どうすれば良い出会いを引き寄せられると思いますか? 自分の夢にまっすぐ努力し続け、良い出会いを引き寄せてきた女性を紹介します。夜間部に通いながら昼間は働き、そこで自分の夢と良き理解者たちに出あい、現在は県産木材の発展につとめながら、木の家の良さを伝えています。(彩ニュース編集部)
・手に職つけ、男性に頼らない生き方を
・住宅設計の楽しさに目覚める
・独立へ背中を押してくれた「女技会」
・「木の家だいすきの会」に出あう
・自分を大切に、欲張りに生きてほしい
・興味を持ったことを大事にして
・独り立ちできる力をつけてから次へ
Profile 勝見紀子 (かつみ のりこ)
職業:一級建築士
1963年石川県生まれ。女子美術短期大学造形科卒業、桑沢デザイン研究所スペースデザイン科卒業、連合設計社市谷建築事務所勤務、1999年株式会社アトリエ・ヌック建築事務所(埼玉県戸田市)設立。女性建築技術者の会会員、埼玉の木の家コーディネーター、木の家だいすきの会会員。
1 今の仕事のこと
「手に職をつけ、男性に頼らない生き方を」
――建築士になったきっかけを教えてください。
勝見 子どものころからデザインすることが好きで石川県金沢市から、女子美術短期大学(東京都杉並区)に入りました。
卒業後も、もう少しデザインを勉強したいと思いましたが、親から就職しないなら帰って来いと言われ、地元の家具店に就職。次のステップに進むために2年間、学費を貯めました。
そして桑沢デザイン研究所(以下「桑沢」。東京都渋谷区)の夜間部に通うことにしました。
――学費をためてまでして次のステップを目指したのですね。一生働こうと思っていたのですか。
勝見 母からずっと「手に職をつけて、男性に頼らない生き方をしなさい」と言われていたので、働かないという選択肢はありませんでした。母は、女性が経済的に自立することの大切さを感じていたのだと思います。
学費は捻出できましたが、生活費のために昼間は働くつもりでした。幸運にも、桑沢の元講師から連合設計社市谷建築事務所(以下「連合設計社」)のアルバイトのお話がありました。結果的には正社員として採用してくれたのですが、入社してすぐ、大学の建築学科で4年間学んできた人たちと自分との能力の違いにがくぜんとしました。
住宅設計の楽しさに目覚める
勝見 連合設計社は役所や病院など公的な建物の設計が多かったのですが、住宅は設計の基本だから、と必ず住宅も手掛けていました。私はその作業に携り、住宅設計の楽しさのとりこになったのです。
家は暮らしそのもの。暮らしを考え、工夫をすればするほど住み手が喜んでくれます。そのうえ材料の使い方、構造的なこと、美しさなどトータルで自分の考えた通りを実現できます。
とはいえ、失敗したら工務店にも建て主にも迷惑をかけるという責任感に加え、デザインセンス、知識、すべてを求められるのでどん欲に学びました。
私は学校の建築学科で学ぶことはできませんでしたが、あの事務所で11年間学べたことはとても大きい、とつくづく思います。
独立へ背中を押してくれた「女性建築技術者の会」
勝見 連合設計社で大変お世話になった師匠の吉田桂二さんという方が「建築を一生懸命やっている女性たちがいるから行って来いよ」と「女性建築技術者の会」(以下「女技会」)に行かせてくれました。
当時は会が発足してまだ10年で、新宿に小さな事務所がありました。そこには「私は図面描くのを中断してお茶くみに行くのに、同期の男は設計してる! 私も設計やりたい!」という女性がいっぱい。時には「子どもをどうやったら保育園に入れられる?」という情報を共有したり、かと思えば、「この間法改正があったよね。どうなの?」といった話もできる優秀な女性が集まっていました。
――仕事もプライベートもさらけ出し励まし合う、女性ならではの関係ですね。
勝見 男性建築家はグループを作って技術的な研さんはしても、プライベートをさらして助け合うということはしません。「それができるのが女性のいいところだよね」と、われわれいつも自画自賛しています(笑)。
女技会は一昨年で40年。居心地がすごくいいのは、みんな精神的に大人で自立していて、足の引っ張り合いとか一切ないからですね。私が独立するとき一番背中を押してくれたのは女技会の仲間たちでした。この会があったから今の私があると思います。
――勝見さんは木の家にこだわっていますね。
勝見 柱と梁の組み合わせでここまで高度な建築をつくる技術は日本が世界で断トツ1位。〝材〟を見て、その特徴を生かして使う技術は他国の追随を許しません。連合設計社では、そうした流れの中で日本の住まいはつくられて来たということを教えられました。また、独立してから「木の家だいすきの会」とも出あい、なおさら木を大事にしなくてはと思うようになりました。
木は工業製品ではないので、植林したら、手入れをしないと建築に使える材木にはなりません。枝打ちや間伐をして、日光をあて、長い年月をかけた手入れが重要です。
その後の製材工程も重要です。そのためにも木の家だいすきの会は、埼玉県ときがわ町の「彩の森とき川」という組合と連携し、応援しています。彼らは地元の木材を世に送り出そうと一生懸命です。〝ときがわブランド〟の木を売るには、乾燥技術、製材技術、構造的な裏付けをとる技術などを確立する必要があります。建築材は木の美しさだけでなく、強度や耐久性などを満足してくれないと困るからです。
木の家だいすきの会は彼らと一緒に乾燥や強度の研究などを地道に積み重ね、10年たった今、やっと設計に盛り込める低温乾燥の建築材をつくることができるようになりました。
――地場の木材を生かせるようになってきたのですね。
勝見 そうなんです。埼玉には木の産地があるのですから、近くの木でつくるのが本当は良いわけですよね。輸送コストもかからないし、CO₂を吸収し酸素を放出し、朽ちたら土にかえるので環境にもやさしいし、山の治水にもなる。だからそういう大きな流れを作る必要があって、木の家だいすきの会は今、ときがわ町と組んで、その流れをつくろうとしているのです。
木は限りある資源ですが、人が手をかけていくことによってずっと提供できます。木に寄り添って生きていけば、SDGsの掲げる持続可能な社会につながるのではと思います。
――勝見さんたちの活動はSDGsの項目の中では、森林の持続可能な管理などが含まれる「陸の豊かさも守ろう」と、「働きがいも経済成長も」にあてはまるのではないでしょうか。
ところで勝見さんはどんな家づくりを目指しているのですか?
勝見 木や自然素材を使い、健康に負荷を与えない家であり、暮らしを大事にする人が暮らしやすい家です。だから間取りや使い勝手にもすごくこだわります。
「こんな風に暮らしたい」という建て主の思いに応えたい。かつ、そこに愛着の持てる素材を使い、美しさを加えていく。それは建て主の視点では難しいことなので、私たちがサポ―トさせていただくのです。
「食の細い子だったのに、新しい家にしてからご飯をよく食べるようになった」、そんなことを言われるとすごくうれしい。空間を作るというハードな仕事ですが、実は人の内面や生き方に触れる仕事だなと思います。
2 あなたらしくあるために大切なこと
自分を大切に、欲張りに生きてほしい
――自分らしく生きていく、働いていくために何を大切にしたらいいと思いますか。
勝見 私はいつも娘に「欲張りに生きて」と言っています。家庭と仕事をてんびんにかけ、どちらかをあきらめるということはしなくていいし、自分を大切に、欲張りに生きてほしいと思います。
そういう自分を持っていれば、養う養われるという関係ではなく、協力し合える人とも出会えると思います。何も考えずに生きていけるほど世の中は甘くないので、しっかりした自分を持っていてほしい。
自立していると、子どもに対しても、いろいろ求めないでいられると思います。ほどよい距離感が取れますよね。
3 未来を生きる子どもたちへ
興味を持ったことを大事にして欲張りに生きる
――これからの子どもたちへ、生き抜く力を与えるメッセージをお願いします。
勝見 興味を持ったことを大事にして、あきらめず、欲張りに生きてほしいと思います。そして身近なことも大事にしつつ、世の中の流れや地球のことも考え、広い視野を持てる人になってほしい。「私なんて」と思わないで自分を認めて、人生を大事に欲張りに生きてほしいですね。
取材を終えて
独り立ちできる力をつけてから次へ
勝見さんはご主人とお付き合いを始めてから結婚するまで約10年かかっています。それは「いつ仕事の依頼が来ても、最初から最後まで自分できちっとやれる力をつけてから辞めたかった」から。そして結婚を機に連合設計社を退職します。
一級建築士の受験は出産直後の授乳期間と重なりましたが、ひるむことなく挑戦し、見事合格しました。
勝見さんは社会の中での自分の立ち位置、家族の中での自分の立ち位置を考え、いかなるときも夢に向かって努力し続けています。その芯の強さが良い出会いを引き寄せているのだと思います。
取材日:2020年11月24日
綿貫和美