自分のスタイルを持っている女性ってステキですよね。戸田中央医科グループの広瀬晶子さんは、まさにそんな人。何事に対しても生き生きと取り組み、周りの人は自然と協力したくなってしまうのです。そのスタイルはどうやって確立されたのか、また、長年取り組んでいるピンクリボン運動についてもうかがいました。(彩ニュース編集部)
・変化をもたらした海外での経験
・フィンランドでの学びが転換点
・自分にできることはこれだ!
・新型コロナとたたかう医療従事者たち
・自分にとって大切なことを明確に
・人生は〝自分の心次第〟
・すべてのことに意味がある
Profile 広瀬晶子(ひろせ あきこ)
職業:秘書・地域貢献推進室室長
首都圏を中心に29病院、6介護老人保健施設、15訪問看護ステーションなどを展開する戸田中央医科グループ(本部=埼玉県戸田市)の秘書課次長(会長秘書)・地域貢献推進室室長。乳がん撲滅を目指し、埼玉県のピンクリボン運動推進に長年携わる。
1 今の仕事のこと
――今の仕事に就かれたいきさつを教えてください。
広瀬 とにかく私は若いころ好奇心が旺盛でした。大学を卒業したら故郷(香川県)に帰るのが親の条件でしたが、総合職を経験してみたくて故郷には戻らず、戸田中央医科グループ(以下「TMG」)に就職。院長秘書室に配属となりました。
5年ほどつとめた20代後半、TMGを退職し、約1年イギリスに語学留学しました。「好きな英語を学び、海外で見識を広めたい」という強い思いが学生のころからずっとあって、お金をため、実行しました。イギリス知人の紹介で、日本人向け新聞のコラムを書く仕事にも触れることができ、いい経験でした。
――思い切って海外へ出ていかがでしたか?
広瀬 世界から見ると自分の仕事観がとてもちっぽけにみえて、「やっぱり外に出てよかった」と思いました。好奇心を持ち続け、冒険できて良かった。自分で決断して一歩踏み込んだことで、少し自分に自信が持てるようになりました。海外の方たちがはっきり自己主張されるのにも刺激を受けました。
帰国後実家で充電していたところ、再びTMG会長秘書復帰の機会をいただきました。
福祉先進国フィンランドでの学びがターニングポイント
――病院に復帰されてからピンクリボン運動などにまい進されたのですか?
広瀬 いいえ。まだ秘書業務だけでした。しかし2003年、ターニングポイントとなる体験をさせていただきました。国際ロ―タリークラブ2770地区の交換留学で、再び海外に行ったのです。県で4人選ばれ、私の行き先はフィンランドでした。
フィンランドは「ゆりかごから墓場まで」といわれるくらい社会保障が整っている国です。事前に1年間フィンランドについて研修を受け、滞在期間の1カ月間はいろいろな施設も視察し、多くを吸収し帰国しました。先進的な医療、介護、福祉を目の当たりにできて本当によかったと思います。
この体験を通して自分の仕事に、より前向きになり、「地域のために何かしたい」という思いが強くなりました。ピンクリボン運動や地域に貢献する仕事に取り組むようになったのはそのためです。今の時代は通用しませんが、当初は業務時間外で活動していました。そのときは楽しいからやっていました。
――楽しいと感じたのはどうしてだと思いますか?
広瀬 人から感謝されたり喜ばれたり、人の役に立っていると実感できたからだと思います。自分が立てたプランが通ったりするとやりがいも感じました。何年かして、ピンクリボン運動はTMGの社会貢献目標の一つになりました。
乳がんで悲しむ人を見たくない 自分にできることはこれだ!
――話は戻りますが、ピンクリボン運動を始めたいきさつを教えてください。
広瀬 乳がんは早期に発見すれば90%以上が治癒すると言われています。ピンクリボン運動は乳がんの早期発見、早期診断、早期治療の重要性を訴えるものです。
私たちがピンクリボン運動に取り組んだのは2007年から。その数年前、マンモグラフィーが日本に導入されたころ、中村隆俊TMG会長自らピンクリボンバッジをつけ始めました。当時は乳がんになる人は20人に1人だったと思います。アメリカが8人に1人でした。
乳がんは働き盛りの40代が一番多いのですが、40代といえばちょうど子育て真っ最中。そんな時に母親が乳がんになったら…。乳がんで悲しむ人たちを見て「自分にできることはこれかもしれない。ピンクリボン運動に取り組みたい!」という強い思いがわき起こってきました。
この取り組みは官民一体で広めていきたいと、2007年に県内で初めて「ピンクリボンウォークIN戸田市」を始めました。そのころ戸田市の乳がん検診率は5%でした。
以降、毎年ピンクリボンウォークを続け、10年目の2016年には59.9%にアップ。厚生労働省の目標値50%を超えました。
次の使命は埼玉県全域に向けてピンクリボン運動を広げることです。2013年に大宮ソニックシティで「ピンクリボンライトアップ点灯式」を開催。2014年には県、さいたま市、県立がんセンター、ロータリークラブにお声をかけ、「ピンクリボン運動推進埼玉県委員会」を立ち上げました。
2017年からさいたま新都心で「ピンクリボンミニウォーク㏌埼玉」も始まりました。
今年のピンクリボンウォークはコロナ禍で自粛となりましたが、ピンクリボンライトアップを、大宮ソニックシティに加え、さいたまスーパーアリーナでも初開催しました。
――今年、ピンクリボンフォトコンテストも初開催されましたね。
広瀬 何もせずに1年間過ごしても良かったのですが、乳がんになる人が昨年11人に1人だったのが、今年9人に1人に悪化。さらにコロナ禍で健診3割減のニュースも気になりました。
それならば人との接触の少ないフォトコンテストを開催しようと、ピンクリボンライトアップの素敵な写真を送ってくださいと呼びかけると、北海道から沖縄まで184作品が集まりました。この企画を通してピンクリボンを知っていただき、乳がん啓発になれば幸いです。
また、乳がん月間の10月最後には、当グループ病院の臨床検査技師が自主制作してくれ、「ピンクリボンプロジェクションマッピング2020」を初上映することもできました。
――今後取り組みたいことはなんですか?
広瀬 SDGsです。この取り組みが広く普及したら、みんなが幸せな日々を送ることができると思います。TMGにとってもSDGsが道しるべになるのではと思っています。
すでに取り組んでいるものもあります。SDGs 17項目で例えば「すべての人に健康と福祉を」「ジェンダー平等を実現しよう」「働きがいも経済成長も」等があてはまると思います。その結果、TMGが働きやすい職場環境づくりを推進していると評価され、埼玉県より今年度「荻野吟子賞」(いきいき職場部門)を受賞しました。
――ところで今年は新型コロナに振り回されました。医療従事者の方々も大変なご苦労をされていると思います。
広瀬 人の命を守ることが私たちの社会的責任です。コロナ陽性患者の受け入れ、PCR検査の導入強化、季節性インフルエンザや新型コロナの発熱患者の受け入れなど、職員一人ひとりが献身的に取り組んでいます。
一方で先の見えない緊張と不安が続き、疲労を感じている職員も多く、最近では心のケアにも配慮しています。
――現場の一人ひとりがものすごく努力しているのだと感じます。
広瀬 うれしかったのが、緊張と疲労と不安がピークだった4月ごろ、取引先や個人の方、患者さんたちからマスクなど物資の提供があったんです。会長も目頭を熱くされていました。
今もなお、みなさんからたくさんの応援や感謝のメッセージが届いております。医療・介護現場の職員みんなに、そのことを伝えたくて、地域貢献推進室ではこまめに報告を配信し、エールを届けています。
みなさんのあたたかい心が、新型コロナとたたかう職員にとって大きな励みとなり、頑張る気概を呼び起こしてくださっています。
2 あなたらしくあるために大切なこと
自分にとって大切なことを明確にする
――新型コロナによって社会が大きく変わり、一方で働き方も大きく変わろうとしています。一人ひとりが自分らしくあるために何を重視して働き方を選ぶと良いでしょうか。
広瀬 自分らしい働き方は自分らしい生き方であり、働くことがゴールではなく、心豊かで幸せな人生を送ることがゴールだと思います。
働き方は多様です。自分の人生で大切なこと――人、時間、家庭など――を明確にして、心が求めるものに素直に従うことが大切ではないでしょうか。心を満たす仕事に就けたら最高ですよね。
3 未来を生きる子どもたちへ
――これからの子どもたちへ、生き抜く力を与えるメッセージをお願いします。
広瀬 コロナで一歩先が見えない状態ですよね。答えもない時代ですから、答えは一つではありません。世の中ではこう言われているけど、自分はどう思うか自問し、自分の意見を持つようになってほしいですね。
それから好奇心を持つこと。好奇心を持つと関心が広がり、そこから勉強を始めたら得意分野ができます。それは将来歩む道につながるかもしれません。人生は〝自分の心次第〟です。
取材を終えて
すべてのことに意味がある
「困難にぶつかったことはありますか?」と質問すると、「困難を困難ともあまり感じないんです。〝すべてのことに意味がある〟と思っているからです」と広瀬さん。
中学生のころ、「何事もすべてに意味がある」と思うようになったそうです。だから自然と前向きに考えられるようになったと。
そしてこう付け加えました。「大変だと感じることも、やりがいをもってできれば、必ず楽しさにつながります。医療はサービス業。世の中に不可欠な仕事だから人の役に立ちたい。今を精一杯生き、一生続けたいと思っています!」
取材日:2020年11月30日
綿貫和美