吉見町にある「吉見百穴(よしみひゃくあな)」は、人工的に掘られた横穴墓が集まっている、全国的にも珍しい遺跡です。吉見百穴について、吉見町役場の八木橋健一さんと太田賢一さんにお話を伺いました。
いつから? どうして造られた? 吉見百穴の謎
吉見百穴の横穴墓はいったい何のために掘られたのでしょうか?
「古墳時代に地域の豪族が埋葬のために掘ったものです。横に出入り口のある石室で、横穴の中の台のように造られた「棺座(かんざ)」と呼ばれる場所に亡くなった人を寝かせていました。一部の横穴墓は中に入ることができますよ」と八木橋さん。
ひとつの斜面にたくさんの横穴墓が開いている光景。いつ発見されたのでしょうか? 太田さんに伺いました。
「古くから地元の人々は、この一帯の山の中に幾つかの不思議な穴が開いていることを知っていました。その話が東京大学で考古学を研究していた大学院生の坪井正五郎(つぼいしょうごろう)氏に伝わり、1887年(明治20年)に発掘が行われました。横穴墓の周辺にかぶっていた土をすべて取り除き、岩盤むき出しの今の状態にしたんですよ」
「現在確認されている横穴墓は219基ですが、太平洋戦争前は237基ありました。坪井氏は住居跡だと主張しましたが、1923年(大正12年)に、古墳時代の横穴墓として国指定の史跡になったのです」
明治時代から、歴史を感じられる場所として有名になり、俳人・歌人正岡子規(まさおかしき)や、大森貝塚を発掘したE.Sモースも訪れるほどでした。
吉見百穴の姿を変えた戦争
吉見百穴にある大きな洞窟からは、時折、冷たい風が吹きつけてきます。八木橋さんに伺いました。
「第二次世界大戦の時に造られた軍需工場のトンネル跡です。本格的に使われる前に終戦を迎えましたが、戦争の遺構としてそのままの状態で残してあります。以前は内部まで見学可能だったのですが、現在は崩落の危険があるので、残念ながら入れません」
戦争によって外観を変えた吉見百穴は、戦争の爪痕を後世に伝える役割も担うことになったのです。
目をこらして見てみよう 不思議な生物ヒカリゴケ
ヒカリゴケは原始的なコケ植物で、デリケートなため環境の変化に弱く、環境省の準絶滅危惧種に指定されています。
吉見百穴の横穴のひとつが自生地になっており、国の天然記念物です。
「国の指定になったのは1928年(昭和3年)です。他の植物が育ちにくいような薄暗く湿った場所を好むため、ヒカリゴケが見られるのは山間部や、北側の地域が比較的多いんです。ここにいつから生えているのか、どこから来たのかはわかっていません」と太田さん。
ヒカリゴケの自生地を守り、伝えていく取り組みについて、八木橋さんに伺いました。
「職員で温湿度の管理を行い、環境維持をしています。ビデオカメラのライトを当てないようお願いするほど、熱に弱いんです。遺跡の草刈りをするときも、ヒカリゴケの周りはそのままにしています。草が影を作り、ヒカリゴケにとって良い状態かもしれませんから。希少なコケを少しでも長く見られるよう、工夫しています」
◆取材を終えて 歴史に触れ、天然記念物も見られる吉見百穴。写生にも向いている景観です。敷地内の「吉見町埋蔵文化財センター」では、吉見町で発掘された出土品を展示しています。大人だけではなく、子どもの好奇心も大いに刺激されそうだと感じました。 取材日:2021年7月26日 塚大あいみ