子どもが社会に出て、しあわせにやっていけるよう、親は心をくだきます。でもそれがときに親子で食い違い、あつれきを生んでしまうことも。教育ソーシャルワーカー深澤英恵さんは、青年期にあらわれる親子の問題に寄り添い、何度も丁寧に相談を重ね、多くの親子が変わっていきました。自分の時間とエネルギーのほとんどを、親子の教育相談に向けている深澤さんを取材しました。(彩ニュース編集部)
・全力で親子の相談に。「助けて、って言っていいよ」
・子育てがこんなに大変なことになっていたとは
・子どもの人生を子どもの手に持たせてあげてほしい
・一番大事にしたいのは、親と子の距離感
・自分のことは自分で決めていいんだよ
・生きてさえいてくれればいい
Profile 深澤英恵 (ふかさわ ふさえ)
職業:教育ソーシャルワーカー
子どもの発達支援、両親の子育て支援を中心に、教育ソーシャルワーカーとして年間200件を超える面談を通じて、地域・学校・家庭の連携によるそれぞれの子どもに合った教育環境の整備をコーディネート。より多くの親子の「助けて!」に応えるために、自らの支援技術向上を目指し、学び直しに挑戦中。東日本大震災の際には直後から現地に派遣され、支援活動後も継続的に被災者の心身ケアのために石巻市大川地区などで活動を行う。趣味は料理、読書、生き物の世話。
Profile 深澤英恵 (ふかさわ ふさえ)
職業:教育ソーシャルワーカー
子どもの発達支援、両親の子育て支援を中心に、教育ソーシャルワーカーとして年間200件を超える面談を通じて、地域・学校・家庭の連携によるそれぞれの子どもに合った教育環境の整備をコーディネート。より多くの親子の「助けて!」に応えるために、自らの支援技術向上を目指し、学び直しに挑戦中。東日本大震災の際には直後から現地に派遣され、支援活動後も継続的に被災者の心身ケアのために石巻市大川地区などで活動を行う。趣味は料理、読書、生き物の世話。
1 今の仕事のこと
全力で親子の相談に。「助けて、って言っていいよ」
――深澤さんは学習教室の先生をなさりながら、年間200件以上の教育相談を受けているとうかがいました。
深澤 電話での相談を含めず、お会いしているのが200件以上ですね。
相談者のメインは教室に通う親子さんですが、大人も子どもも「助けて、って言っていいよ」「困ったら誰でも相談に来ていいよ」と言っています。
――深澤さんの一日を円グラフにすると、ご相談を含めた仕事時間は何割を占めますか?
深澤 起きている時間の7割くらいだと思います。教室で子どもたちといるのは週2回6時間くらいで、それ以外のほとんどは相談を受けています。
――気持ちに占める割合も7割ですか?
深澤 いいえ、気持ち的には9割くらいです。
――エネルギーのほとんどを相談に向けていらっしゃるのですね。子どものころから教育に興味があったのですか?
深澤 まったくなかったです。勉強はきらいではなかったし、本はよく読んでいたんですけど、強制されるのがすごくいやでした。父が宿題をつきっきりで見てくれた記憶があるので、それくらい自分からはやらなかったんでしょうね。
小学、中学、高校、大学と、ごく普通に学校生活を送り、卒業後は病院に勤め、結婚、出産。その後、大学や専門学校の講師となりました。教育に携わるようになったのはそこからです。
そして娘が通っていた学習教室の先生が引退されるので、私が引き継ぐことになりました。
子育てがこんなに大変なことになっていたとは
――教室は児童生徒が対象ですね。いかがでしたか?
深澤 お母さんから子どもの教育相談を受けるようになり、「子育てがこんなに大変なことになっていたんだ!」と初めて知りました。
親に余裕がなさすぎるんでしょうね。たとえば子どもが学校の宿題を嫌がってグズっていると、「なんであんたはやらないのよ‼」と、子どもの何倍ものパワーでお母さんが怒ってしまう。
考える力ってお母さんの方があるはずですよね。この子は今どういう状況で宿題を嫌だと言っているのか、考えれば分かるはずなのに、余裕がなくて考えられないのかもしれません。「グズっている」という事実だけをとらえて、怒りを爆発させちゃうんでしょうね。そうではなくて、ちょっと工夫すればいいんだけどな、と思います。
――親はどうしたら良いのですか?
深澤 たとえば夕方、遊んで帰ってきた子どもに、「宿題やろうよ」と言ったらグズりだした。遊んできて気持ちが切り替わっていないし、疲れているんですね。
そんなとき、お母さんはちょっと工夫して、「じゃ、先にお風呂に入ってさっぱりしようか」とか、気分を変えてあげると良いと思います。それから「宿題やろうか」と落ち着いて声をかければ良いのです。
「親子が、どうしてこういうことになってしまったんだろう」と考えました。
そして「工夫の仕方が分からなかったりとか、お母さん自身も同じように育てられてきたとか、そういうことなんだろうな」と気づいたんです。
それからは丁寧に丁寧に、お母さんの生活そのものをきちんと聞き取って、どこかに工夫の余地はないかとか、何を変えれば子どもが変化しやすいかとか、一緒に考えていくようにしました。
――深澤さんがそういう視点を持てたのはなぜですか?
深澤 えっ! なぜか? そうですね……。勉強してきたと思います。
自分が子育てをしたのはインターネットがまだ普及していないころで、とにかく子育てに関する本を片っ端から読みました。図書館や書店の子育てに関する棚の本は全部読んだ、と言ってもいいくらいです。
自分が子育てで悩んだとき、唯一相談できたのが、子どもの学習教室の先生だったんです。子どもが宿題をしないとか相談すると必ず、親自身を振り返るよう諭(さと)されました。
子どものことを相談していたけど、結局自分が育てられていた気がします。
――その一方で子育ての本をいろいろ読まれたんですね。
深澤 すごく読みましたね。いろんな意見があるということが分かりました。
たとえば「泣いている子どもを放っておきなさい」という育児書があったら、本当に放っておいていいのかなと思うので、今度は「放っておいてはいけない」という本を読むんです。
両方の意見があるということは、ときには放っておけばいいし、ときには放っておかなければいいし、どっちでもいいということなんだと思います。状況にもよるし、そのときのお母さんの気分にもよるし。
――親は状況に応じて対応を変えればいいと分かって、気持ちが楽になりました。
2 あなたらしくあるために大切なこと
子どもの人生を子どもの手に持たせてあげてほしい
――一人一人が自分らしく生きるために何を重視したら良いとお考えですか?
深澤 自分らしくなくてもいいと思います。自分らしさを求めちゃうから苦しいのだろうと思うんですよね。
それより「親は、子どもの人生を、ちゃんと子どもの手に持たせてあげてほしい」と、すごく思いますね。
子どもの人生が親の手の中にあるんですよね。結構な数のお父さんお母さんが、自分次第で子どもはどうにかなると思っているんですけど、どうにもならないんですね。
一例をあげると、あるお母さんは、息子に、私の望む方向に進んでほしいと願って育てていました。その子は本当にいい子で成績も良かったのですが、中学校に入ってから成績が落ちてしまいました。彼は、勉強しないという態度で自分の気持ちを表していたんですね。
お母さんは「このままでは願いがかなわない」と毎日イライラ、という感じだったんです。
大学を決める段階になって、彼は自分の進みたい方向を話してくれました。私は、すでにその道に進んでいる先輩を紹介しました。すると、それまですべて受け身だった彼が、自分から先輩にアポイントを取っていろいろ教えてもらい、さらに自分でも調べて、「今週末に説明会があるので行ってきます」と動き出した。すごいな、スイッチが入ったなと思いました。
ある晩、「僕はこのまま進みたいです」と彼から報告がありました。「父も母も良いよと言っています」と。
ずっとお母さんを気にしていた子が、ふっと自分で立ち上がり始めた。うれしいというか、良かった良かったとほっとしました。自分で道を選んでいけるようになれば、あとは大丈夫です。
――子どもの人生を子どもの手に持たせてあげると、子どもが自分で自分のために動き出すのですね。
深澤 その姿を見ると、親って変わるんですよね。
このケースも、「本人がそう言うなら」と、親がずっとこだわっていたものを手放して、みごとに変わりました。
一番大事にしたいのは、親と子の距離感
深澤 一番大事にしてほしいのは「親と子の距離感」です。年齢や状況にもよりますが、子どもが思春期や青年期になったら、お互い少し引いているくらいの距離感がちょうどいいです。
私はコロナ禍になるまで約10年間、東日本大震災の被災地復興支援に行っていました。
メインで関わった宮城県石巻市の「大川地区」は、もともと親子の関係が比較的良い地区で、避難所でも親子関係が良い家が多いな、と感じていました。
――なぜ親子の関係が良いのだと思いますか?
深澤 普段、親が忙しいからです。畑仕事があったりして、子どもとべったりしている余裕がないのと、子どもを養育しているのはおじいちゃんおばあちゃんだったりするので、自然と親子がほどよい距離感になるのです。
小さいころから親子の距離感について、親が考え、実践していくことで、たくさんの親子が、満ち足りた気持ちで「親離れ・子離れ」を通過できるのだろうと思います。
3 未来を生きる子どもたちへ
自分のことは自分で決めていいんだよ
――次の世代の子どもたちに、生き抜く力を与えるメッセージをお願いします。
深澤 子どもたちには、「自分のことは自分で決めていいんだよ」と伝えたいです。
いい学校に行って、いい会社に入らないと生きていけないということはないので、世界中どこに行ってても何をしてても、生きていければいい。自分がどうしていきたいか、自分で決めていいのです。
とにかく一人でも多くの子どもがしあわせに育っていってくれて、最終的に「このお母さんに育てられて良かったな」、お父さんお母さんは「この子の親になれて、しあわせだったな」と思ってもらえるようにサポートしていきたいです。
取材を終えて
生きてさえいてくれればいい
深澤さんのお話をうかがっていると、「子どもが生きてさえいてくれればいい」「子どもが生きてさえいれば大丈夫」という言葉がしばしば出てきます。東日本大震災の被災地での復興ボランティア体験が大きいのだそうです。
コロナ禍になるまでずっと、深澤さんは被災地の復興を支援し、人々の心身ケアを行ってきました。平日は教室、週末は被災地でボランティア、そしてお母さんたちの教育相談も受けて、という日々を過ごしてこられました。頭が下がります。
深澤さんは2012年末から大川地区の復興を手伝うようになりました。そこは、校庭に避難していた大勢の子どもたちが被害に遭い、地区の3分の1の方々が亡くなっていて、壮絶な体験をした人たちの多い地区でした。
活動していくうちに、「○○さんはどうしてる?」と怖くて聞けないという人が、実に多いことに気づいたそうです。周りにあまりにも多くの人を亡くしているので、「もうこれ以上、だれかが亡くなったと聞くのは耐えられない」という人がたくさんいて、みんなコミュニティに出ていくのが怖い。地域で、みんなで過ごしているのに、交流できない状態だったそうです。
そこで地区のお祭りの復活を企画。「とにかくみんなに来てもらって、その場で『生きていたんだね』と確認をしてもらえばそれでいいよね」と、2013年春、「大川復興祭り」を開催しました。
お祭りをきっかけに、それまで声をかけられなかった人たちが、お互いに“生きててよかったね確認”ができて、ちょっとずつ人々が動き始めたそうです。
「生きてさえいてくれればいい」という言葉には、深澤さんの深い思いがこめられていると感じました。
取材日:2022年6月8日
綿貫和美