コミュニティを増やすことで子どもに逃げ場をつくる工夫を

公務員からフリーの管理栄養士に転向した経歴をもつ石田美枝さん。まだ独身のときに母親が他界、心強い存在がいないなかワンオペ(ひとりの力)で3人の子育てをしながら仕事を続けてきました。そんな忙しい生活から見えてきた大切なことを、食を通してあらゆる世代の人に伝えています。(彩ニュース編集部)

○恵まれた環境だといわれても限界は自分が知っている
特定検診で保健指導に管理栄養士が参入
私が変わると家族が変わる
○キッチンがあると子どもが話しかけてくれる
学校と家庭のほかに居場所が必要な理由
○自分で選ぶことはワクワクする

Profile 石田美枝(いしだみえ)
職業:放課後児童クラブ「キッズパワーおおみや」 管理栄養士・食育コンサルタント
委託給食会社 株式会社 基元 事業部長 管理栄養士
イオントップバリュー「やさしいごはん」レシピ監修
クックパッドブランドの管理栄養士としてメディア出演も多数

1 今の仕事のこと

まれた環境だといわれても限界は自分が知っている

――3人の子育てをしながらフルタイムで働くのは簡単ではないですね。

石田 もともとは市役所の職員をしていました。私の母が44歳の年齢で他界していて、頼れる家族もいないので、ワンオペで仕事と子育てを両立していました。主人は協力的ではありましたが、時には昼休みに一旦帰宅して家事をし、冠婚葬祭などのつきあいで夜に出かけていくこともあり、保育施設3か所を使いわけて過ごすこともありました。

人に相談しても「公務員だから待遇がいいでしょう」「安定しているよね」「やめたらもったいない」という声…年長者からは「働かせてもらっているだけでありがたい」「公務員だから続けなくてはいけない」という声…

自身にもそう言い聞かせてきました。育休も取得させてもらい、自分が休むとその仕事を誰が負担してくれるのかもわかっていて、戻れば迎えてくれる部署があるのも知っています。子どもを育てながら働いていれば人に協力してもらう機会も多いのが現状です。でも、しだいに周囲に頭を下げながら仕事をしていくことにすごく疲弊してしまい、子どもが9歳と6歳と4歳のときに市役所を退職しました。

特定検診で保健指導に管理栄養士が参入

――フリーの管理栄養士になったきっかけを教えてください。

石田 生時代に管理栄養士の資格をとり、市役所に採用されました。教育委員会を経て学校給食の現場で13年勤めました。

そんななかで起こったのが2011年の東日本大震災です。その日も我が子を預けて仕事をしていました。一大事のときにこそ公務員が率先して働くのだということを痛感した出来事です。これを機に独立しようという意志を固めました。厚生労働省で特定保健指導がはじまり、相談業務に医師、保健師、看護師に加え、管理栄養士が参入した時期です。

フリーになってからは、専門学校の講師、ダイエットカウンセリング業務、講演会、料理講座、クックパッドブランドの管理栄養士を手がけました。いまは学童と老人施設の食育コンサルタントをしているので、全世代の「食」に携わることができたのかなと思っています。

私が変わると家族が変わる

――石田さんのおやりになっている「ママのための食育講座」のサブタイトル〝私が変わると家族が変わる〟のことばにひきつけられました。

石田 料理教室ではだしをとって丁寧に調理したり、調味料を合わせて麻婆豆腐を作ったりしていました。それにより健康意識が高まり家庭で続けてくれる人もいます。しかし、家族に味が薄いとソースをかけられたり、いつもの味(市販品)のほうがいいといわれ、意欲を失うママも少なくないことが気になりました。仕事も家族のスケジュールに合わせることでストレスを感じている人たちが多いなかで、ご飯を作ることでも心無い一言で潰されてしまうことが私にとっては衝撃でした。

一方で担当する特定検診のカウンセリング業務では、メタボリックシンドローム(内臓脂肪型肥満)の男性の栄養指導をしてきました。そこで口々に出るのが「奥さんが作った料理でこう(大きなお腹)なった」というセリフ。夫婦のどちら側の声も聞いているうちに全くもう!となってしまって(笑)こういった現実をたくさん見てきたんですね。

お母さんたちにはそういった現状を伝えて、家族で健康になるんだとか、こういう風に生きていきたいんだとか、長い目でみるように話しました。結局はお母さんの〝心もち〟を変えることが家族を変えることになると思うからです。

結婚した当初は夫に合わせているけれど、だんだん食生活やライフスタイルを無理して合わせていくことに耐えられなくなってくるみたいです。結婚して5年くらいを境に苦しんでいる人が結構いました。食事も夫の好きな高カロリー食をとったら次の食事は健康食で調整するなど、バランスを大切にしながら家族の健康のために一緒に作戦を練ったり、後押しをしたり。なんだか管理栄養士っぽくないかもしれないですね。

2 あなたらしくあるために大切なこと

キッチンがあると子どもが話しかけてくれる

調理風景(白玉作り)

――民間学童保育キッズパワーの食育コンサルタントとして活躍されていますが、どういったことに気をつけていますか。

石田 子どもたちが学校から帰ってきて「ただいま~」と部屋に入ってきたら、キッチンで職員が料理をしながら「おかえり~」といって迎えることを意識しています。

子どもの頃に豚肉と玉ネギとニンジンの煮えた匂いを察して、今日はカレーかな?肉じゃがかな?と感じた経験。ドアをガチャっとあけて「今日のご飯なに?」「今日のおやつなに?」とワクワクしながら聞いた記憶。遠くからカレーの匂いを嗅ぎながら帰ってきたあの感じ。そういったことに五感が刺激されることが子どもたちにとって本当の食育になると思っています。

私もそうですが、お母さんが仕事から戻ってそのままキッチンで夕食の用意するときは、時間に限りがあるので余裕がありません。お手伝いをさせたいなと思う反面、自分でやってしまうほうが速いと思ってしまいます。

だからこそお母さんの気持ちを学童で引き受けたい、その思いとともに学童を選んでいただければと思っています。

子どもたちは一緒に無心になってキャベツの千切りをしたり、たっぷり時間と日数をかけて、箸の動かし方、フライパンの動かし方を覚えながら厚焼き玉子にチャレンジしたりしています。作れるようになるとうれしくて家で披露する子もいるようです。高度な知識を教えているのではなくて、そんな時間に価値を置いています。

――そういう毎日は記憶に残りそうですね。安心感があるというか。

石田 家や学校と別のコミュニティをもつのはいいことです。ガールスカウトのリーダーをさせていただいているのですが、キャンプに引率として行ったときに印象に残ったことがあります。その時は小学校低学年の子と8人で水道を囲んでテントのペグ(固定金具)を洗っていました。水をさわりながらひとりの子が学校での悲しい出来事を自然にしゃべり始めて、リーダーの私はただただ聞いていました。そこにいる子は全員通う学校が違っていて「そうなんだ」と聞いています。「誰にも告げ口されないし、みんなそうなんだと聞いてくれる。どうしたらいいというアドバイスもいらないし、ここでこうやってしゃべるだけですごく楽なんだ。だから私はここに来る」子どもたちのそんな会話を聞きました。

学校のコミュニティがすべてだと、そのコミュニティが破壊されたときに行き場所がなくなってしまいます。学校で何かあったとしても、子どもはほかの場所に逃げていけます。学童、ガールスカウト、趣味や習い事でも、学校とは別の場所を自分で選んでいいんです。コミュニティがあって、吐き出す場所があることが大事だと思います。

食育指導(炒り粉だしのせわた取り)

――子どもの世界は狭いからこそ、別の場所が必要なんですね。自分だけで転校できないですし。

石田 逃げる場所がないのは気の毒です。逃げ場がなくなったときに自分は必要ないんじゃないかと考えたり、もしも命を絶とうと思うくらいならば、いっぱいコミュニティをつくってあればどこかにいけると思います。学校はしかたがない場合でも、他は自分で選んでいいんです。そして「そんなの別にどうでもよくない?」って、ちょっとふざけていう私みたいな大人がいることを知ってもらいたいです。いまの私は母親が他界した年齢になりました。ここからですね。

3 未来を生きる子どもたちへ

自分で選ぶことはワクワクする

――未来を生きる子どもたちに生き抜く力を与えるメッセージをお願いします。

石田 情報があふれている時代です。選択の意志がないと人のせいにしてしまいがちです。子どもたちにはAとBどちらにする?という聞き方をしています。選択肢に至るまでは大人が決めてあげなければいけないこともあるけれど、最終的に決めるのは本人です。自分で選ぶことはワクワクすることだし、「あなたはあなたの人生でいい」というメッセージとして自分で選んでごらんといいます。情報に流されたり、そのままいいなりになってしまったりして〝どうせ〟なんていわないようにさせてあげたいです。

取材を終えて
東日本大震災のあの日を石田さんの経験をとおして思い出した人も多いのではないでしょうか。私もあの日、保育園に子どもを預けて会社にいました。ビルの点検と社員の所在確認ができるまでお迎えに行くことができずに、涙しました。そしてそれを機に安定した会社を退職…それも同じでした。共感する思いを抱えた人が多いに違いないと改めて感じた取材でした。
取材日:2020年11月16日
磯崎弓子