普通の主婦が〝スモール起業〟全国からカレーファンが訪れる店に

22年前、50歳の誕生日を機に店を持った加地信江さん。当初は認知されず、経営は低空飛行。それでもへこたれず、その場その場の課題に向き合い、「この店のスリランカカレーが食べたい」と、全国からカレーファンが訪れる店になりました。でも、スタートはスリランカ紅茶の専門店。「紅茶の店が、なぜカレー?」。加地さんを取材すると、自分がやりたいと思ったことを、リスクをできるだけ減らし、無理なく続ける〝スモール起業〟の理想形の一端が見えてきました。
(彩ニュース編集部)

○自宅を使った小さな店なら、主婦の私にもできるかも
○病気を通して開眼 50歳の誕生日に何か始めよう
○開店するも認知されず ある紅茶との出合い
○訪れた転機
○小さく始めて好きなことを仕事に〝スモール起業〟
○年をとっても健康であれば働ける
○打たれてもへこたれず、続ける

Profile 加治信江(かじ のぶえ)
職業:紅茶専門店「紅茶屋さん」(埼玉県さいたま市大宮区)店主
他:ココナッツマイスター
カレー大学カレー伝道師
1948年、埼玉県生まれ

1 今の仕事のこと

自宅を使った小さな店なら、主婦の私にもできるかも

――紅茶との出合いを教えてください。

加地 子どものころから、興味をもつと後先考えず突っ走るところがあり、若いころは茶道、着付け、組み紐、花結びなどいろいろなおけいこ事をしました。

花結びに鎌倉の方がいて、「おいしい紅茶のお店が鎌倉にオープンしたから遊びに来ない?」と誘ってくださいました。

行ってみると紅茶研究家・磯淵猛さんのお店でした。紅茶もティーフードもおいしくてとても気に入り、磯淵さんの紅茶教室に通うことにしました。

――31歳で紅茶の奥深さにひかれたのですね。

加地 散策がてら、あちこちのお店にも連れて行ってもらいました。
鎌倉は風情があり、ちょっと路地に入ると、普通の民家で食事やお茶をいただける主婦の店がたくさんありました。

若いころから、いつか自分で教室かお店を開きたいと思っていましたが、自宅を使った小さなお店なら、主婦の私にもできるかもと希望が湧いてきました。

病気を通して開眼 50歳の誕生日に何か始めよう

加地 磯淵さんに「将来紅茶の専門店を開きたい」と相談したら、「ならば紅茶の原産地を見ておいた方がいい」とスリランカツアーを勧められました。

――スリランカへ行かれたのですか?

加地 実はこの少し前に私は病気になりました。悪性だと思っていたので「あと何年生きられるのかな」と落ちこんでいたところに、悪性ではないと分かり、「なんでもやってみよう!スリランカにも行ってみよう」と勇気が湧いてきました。そして50歳の自分の誕生日に何かを始めようという目標を立てました。

今考えてみると、それが私のターニングポイントかもしれません。

スリランカでは茶畑や製造工程だけでなく、人々の生活とお茶との関わりも見るようにしました。紅茶原産地のインドや中国、紅茶文化を世界に広めたイギリスにも行きました。

――料理・お菓子研究家の藤野真紀子さんの教室でお菓子づくりも習いますね。

加地 紅茶に合うのはイギリス菓子。パウンドケーキのようにしっかり焼きこまれたお菓子やクッキーが合いますよね。

書店で見つけた藤野真紀子さんのイギリス菓子の本に魅了され、マキコフーズステュディオに入門しました。

開店するも認知されず ある紅茶との出合い

――紅茶もお菓子もそろって、いよいよ「紅茶屋さん」をオープン。夢がかないましたね。

加地 目標としていた〝50歳の誕生日〟から1カ月遅れでしたが、お店をオープンしました。

夢はかないましたけど、なかなか認知されませんでした。みなさん紅茶の店というとイギリス風のおしゃれな雰囲気の店をイメージされるので、来てみて、普通の家なので笑い出しちゃうんです。

2年後、突然主人が亡くなりました。「女一人、これからどう生きていこうか。お店を続けろということかな。ならば数字は別としてお店をやっていこう」と決心しました。

そのころ、あるお客さんが「これはどういうお茶ですか?」と、紅茶の箱を持ってきました。それは私がほしかった高級茶でした。ミルクティーに最適で、当時日本には入ってきていませんでした。

私は思わず「この紅茶をどこで入手されたのですか!?」と聞くと、「親戚がある企業からもらったんです」と教えてくれました。

添えられていた電話番号にかけたら社長のお宅につながり、社長のお嬢さんがスリランカに嫁いでいて、お得意様などへのギフト用に輸入していたのだと分かりました。事情を話し、お願いしてその紅茶を直接輸入できるようになりました。

――そのことが転機になりましたか?

加地 店自体の転機というより、その紅茶との出合いが、私に、また少し成長する機会を与えてくれました。

輸入するために通関手続きを勉強しなくてはなりませんでした。
スリランカではひんぱんに停電するため、注文をファクスからメールに切り替えることになり、今度はパソコンを習わなくてはならなくなりました。
さらに、せっかくスリランカから紅茶を入れるのだからネット通販で売ってみようということになり、ホームページをつくるためにパソコンの基礎から学ばなければなりませんでした。

――すごい。果敢に挑戦されるのですね。失礼ですけどおいくつのときですか?

加地 お店を始めて2年目ですから52歳のときですね。今から20年前です。

――ネット通販は順調でしたか?

加地 いいえ、順調ではなかったので、インターネットのショッピングモールに出してみようと思いました。ちょうど「楽天市場」に個人でも出せるようになったときで、説明会に飛んでいきました。
楽天市場を8年間くらい続けましたが、あまり芳しくなかったので、お店のホームページで買い物ができるように切り替えました。

訪れた転機

――そして60歳を過ぎて、スパイスやスリランカ料理を学ぶのですね。

加地 紅茶とスパイスは深い関係があるので、スパイス料理研究家マバニマサコさんの教室に通いました。

せっかくスリランカとご縁があるので、ランチにスリランカ料理を出したらいいかなと思いました。

スリランカ料理の教室を探すと、英語を使って料理を学ぶところがありました。英語は全く話せませんが、「スリランカ料理を覚えなくては」という気持ちの方が強くて、図々しくも飛び込みました。60歳を過ぎていましたから、それこそ〝度胸〟ですね。この教室には4年間通いました。

スリランカカレーを、まだお店のメニューに載せてはいませんでしたが、近所の方から食べたいと言われれば、作って食べてもらったりしていました。
ある日、その方から紹介されたという男性から「そちらでスリランカカレーが食べられると聞きました。食べさせてください」と電話がかかってきました。
「お店では出してませんけど、いいですよ」とこたえ、作って食べてもらいました。

それが転機となりました。その人がSNSでスリランカカレーのことを発信してくれて、「それはどこの店だ?」となっていったんです。

そして、カレー大学(井上岳久学長)のイベントの一環としてスリランカカレー講座の講師のお話もいただきました。会場は原宿のエイベックスアーティストアカデミーのスタジオで、3回つとめさせていただきました。5年前のことです。

スリランカカレーはご飯、肉のカレー、青菜の炒め物などを少しづつ皿に取り、食べる分量を混ぜながらいただく

小さく始めて好きなことを仕事に〝スモール起業〟

――不思議な変遷を経て、今や全国からカレー好きが食べに来る〝スリランカ紅茶とスリランカカレーの店〟になられたわけですね。こうしてきたから今の自分があるという自負はありますか。

加地 ないですね。その場その場、自然と来た流れに沿ってきたという感じです。
私にもう少し才覚があれば、もっと大きくしようと進んでいくと思いますが、自然の流れに沿っているだけなのでまったく大きくならない。

自分がこう思ったらそれに向かって踏み出していこうという考えは誰もが持つものだと思います。そうしたときに偶然縁ができ、その都度一歩一歩踏み出していったという、なんてことはない流れなんですよね。

――今、小さく始めて本当に好きなことを仕事にしたいという〝スモール起業〟を目指す人が増えています。自分の時間を調整しながら働けますし、興味のあることを極めていくことにもなりますよね。加地さんは早くから自然な形でスモール起業をなさって来たのだと思います。理想的です。

加地 22年前にお店を始めた時にテレビ埼玉のニュース番組の取材を受け、家庭の主婦が自分の家を使ってビジネスをやっていると紹介されました。
でも数字が上がっていないので、ビジネスと言われると恥ずかしいです。

2 あなたらしくあるために大切なこと 

年をとっても健康であれば働ける

――働き方についてお聞きします。自分らしく生きていく、働いていくために何を大切にしたらいいと思いますか。

加地 健康ですね。年をとっても元気で健康であれば働けると思うんですよね。

健康であれば買い物も自転車で行けますし、どこかで講習会があっても、かさばる荷物を持ってどこへでも行けます。一番思うのは、若くて体力があるときだったからスリランカへ行くことができ、その後につながっていきました。今行けと言われても無理ですね。

3 未来を生きる子どもたちへ 

打たれてもへこたれず、続ける

――これからの子どもたちへ、生き抜く力を与えるメッセージをお願いします。

加地 気候変動など世の中が不安であっても、子どもたちは自分の夢を持っていると思います。だから自分の夢に向かっていく勇気があったらいいかなと思いますね。やってみたいことがあったらとりあえず進んでみる。そうすると、縁のあるものだったら自然とチャンスが来ると思うので、あきらめないでほしいですね。

打たれ強いということも必要かな。打たれてもへこたれず、そこでやめないでほしいと思いますね。できなかったら、だれか知っている人に教えてもらえばいい。手探りでいいのです。意志を強く持ち、そこを乗り越えられれば次へ進めると思います。

取材を終えて
加地さんは経理士からこう言われたそうです。「加地さんのところは、自分が辞めない限り倒産はないですよ。自宅だし従業員いないし、赤字でもつぶれることはありません」。
加地さんのやり方は、女性の一つの自立する方法として理想的ではないでしょうか。リスクをできるだけ減らし、無理のない形で店を経営しています。だから22年間続けてこられたのだと思います。もちろん、その場その場で新しいことに挑戦していらっしゃいますが、肩に力の入ったところがなく、とても自然体です。
小さくていい、スモール起業でいいので、自分が本当にやりたいことだったら続けていくと続けられるよということを、加地さんのこれまでが語ってくれています。これからもこうした例をお伝えしていけたらと思います。
取材日:2020年10月26日
綿貫和美