【所沢】半纏からみる明治の商店と、高層ビル街となった所沢中心市街地

高層ビル群の谷間にあるかつて炭の豪商だった斎藤家には、重要文化財となる座敷があります。その店舗部分に入居する野老澤町造商店(ところさわまちづくりしょうてん。愛称:まちぞう)は、埼玉・所沢の中心市街地活性化施設です。明治30年時代には「織物の町」として全盛期を迎え、半纏(はんてん)姿の商人が行き交った所沢銀座通りで、いまの商店街と住民をつないでいます。

明治16年に天皇が飯能に行幸(ぎょうこう)した際、地元の名望家である斎藤家に宿泊した。重要文化財となる座敷と掛け軸(勝海舟、山岡鉄舟、髙橋泥舟の書)は、当時のまま大切に保存されている

半纏は現在のユニフォームジャンパー

「まちぞう」には地元商店から寄付された明治以降の半纏が保管されています。祭りに羽織るイメージもありますが、商店街の勢いが伺える当時の半纏は、どのような存在だったのでしょうか。この町の三上煙草店で生まれ育った“ひげ爺(じい)”こと三上博史さんに聞いてみました。

郷土史伝承ボランティアスタッフの三上博史さんの祖父が愛用していた三上煙草店の半纏(裏地はハイカラな植物柄)

「実家は専売制になる前の個人経営のたばこ店でした。いえには雁首(がんくび:煙管の頭部)の火皿、吸口の金具、らお(竹の部分)など、たくさんの煙管(きせる)の部品が残っていた記憶があるから、ここでタバコの葉を刻んで、刻みたばこを売っていたんですね。当時の商店は毎年木綿の反物を注文して、それぞれの家で半纏をこしらえていました。山田呉服店の注文記録が残っていますよ」。当時は出入り職人の妻が厚手の木綿生地をひとつひとつ手縫いしていたそうです。

「うちの半纏は背中に“林”(祖父の名前:林蔵)の文字が入り、その下の柄は“所”とも読めますね。これらはそれぞれの店の意味や誇りを表す矜持(きょうじ)だからね。正月ころになると従業員の他、店に出入りする職人や取引先に配ったんですよ。着物の時代だから、今でいうユニフォームのジャンパーみたいなものです。職人はそれを着て正月のあいさつ回りをし、仕事をして、その店の出入り業者であることを誇りにしていたんだね」

半纏の生地を扱っていた山田呉服店の従業員一同。家具や日用品も扱い、所沢初のデパートメントストアといわれた(明治45年)

人の流れをつくるために

2005年に開店したまちぞうが、旧店舗から斎藤家の店舗部分に移転してきたのは2008年。所沢商工会議所から店長を任された榊原美和さんは当時の様子を振り返ります。

「所沢銀座通りにはすでにタワーマンションがあって、さらに建設が進んでいました。側道の商店はビルの1階に入り、閉店する菓子店からはまつり提灯をいただきました。昔はこの辺りをアメリカ・マンハッタンのようにしようという声もあったと聞きます。それなのに所沢駅周辺がにぎわってくると、人の流れがここに結びつかなくなって…。高層マンションが立ち並ぶ所沢銀座通り商店街に人の流れを作りたいという思いがありました」

その思いが行動につながったのは、所沢日栄会協同組合の田畑大介理事長との出会いだといいます。ここで「とことこまちづくり実行委員会」を立ち上げ、その事務局を担当。これにより中心市街地の4つの商店街(所沢日栄会協同組合・所沢プロペ通り商店街振興組合・所沢ファルマン通り商店街・所沢銀座協同組合)をつなぐ取り組みが始まります。

「それぞれの商店街どうしが、より接点を持つために、まずは事務担当の女性が交流する機会を設けました。顔や活動を知ることで連携がうまれ、その後の企画にも役立ちました」

また、高層マンション街にある広場のイベントでは、音が上に向かうため配慮が必要だといいます。

「“住民の声をしっかり聞いて、できる対策は全てやっていこう。そうすることで続けていける”という田畑実行委員長のアドバイスがあり、マンションの住人に迷惑にならないようスピーカーの音量や向きに気を配りながら、続けていくための工夫を重ねました」

4つの商店街を回遊できるイベント

8月には所沢市中央公民館で「ジャズフェスティバル」(所沢ジャズフェスティバル実行委員会主催・野老澤町造商店事務局)があり、12月には「サンタを探せ」(とことこまちづくり実行委員会主催・野老澤町造商店事務局)が恒例行事となっています。

このイベントは番号を持つ200人ものサンタクロースが元町コミュニティ広場から駅までパレードするものです。広場は若いアーティストの演奏や出店でにぎわいます。1枚100円のくじでサンタをみつける「サンタdeビンゴ」は、ピクセン提供の望遠鏡が目玉となり、1日で1500枚が完売しました。

しかし、昨年(2020年)はコロナ禍であらゆるイベントが中止になり、今年の「サンタを探せ」もいまは見通しがたたない状況にあります。

「まちぞうの店内では、2020東京オリンピック・パラリンピックにちなんで所沢ゆかりのアスリートの紹介をしたり、ひげ爺が貴重な資料や写真を駆使してつくる企画展示を行っています。買い物の帰りに気軽にお立ち寄りいただけるよう、店頭では柄の可愛い手ぬぐいも300円で販売しています」と榊原さん。

野老澤町造商店店長の榊原美和さん(左)と、郷土史伝承ボランティアスタッフで“ひげ爺”こと三上博史さん

進化を続ける所沢のふるさと伝承と、さまざまな企画で人の流れをつくりだすまちぞう。ここにくれば所沢の新たな発見ができそうです。

◆取材を終えて

明治44年にフランスのアンリ・ファルマン機を操縦した徳川好敏大尉は、所沢航空記念公園の地で日本初の動力飛行を成功させました。この機体を所沢に帰郷させるため、三上さんは10年以上に渡り、関係各所に働きかけをしてきたそうです。

2019年の「フランス航空教育団」来日100周年記念イベントの実行委員を務めた際、フランス大使館に招待された三上さんは吉報を耳にします。そして、一度海を渡って日本に戻り、各地を経て自衛隊の入間基地に保管されるアンリ・ファルマン機の貸与が実現しました。現在、年間契約により所沢航空発祥記念館で特別展示しています。

所沢の商店街を、町を、そして歴史を見つめる「人」が所沢の財産であると改めて感じました。

*とことこまちづくり実行委員会は、2月は「野老澤雛物語」、3月には「新三八市・時代着物市」、5月には「とことこタワーまつり」、7月には「野老澤行灯廊火」そして10月のところざわまつりを経て12月の「サンタを探せ!」が恒例行事となっています。

取材日:2021年7月20日
磯崎弓子