ある日突然、病気やアクシデントで、それまでの日常に戻れなくなったとしたら、あなたはどうしますか? 靴が大好きで100足近く持ち、毎日服装や気分で靴を変えておしゃれを楽しんでいた布施田祥子さんは、突然二つの障がいを持つことになってしまいました。その苦しみの中で気づいたのは「とらえ方次第で未来は変えられる」ということ。今では、自ら立ち上げた会社で、障がいのある人も履けるおしゃれな靴をつくり、インクルーシブデザイン(※)による商品開発のコンサルティングをする一方、講演などで多くの人にエールも送っています。目指すのは、誰にとっても“選択肢のある日常”が当たり前になる世界。苦難を乗り越えてきた布施田さんのこれまでをうかがいました。(彩ニュース編集部)
※インクルーシブデザイン=障がい者など従来のデザインプロセスから外れていた人々を巻き込み、一緒に考え、作り上げるデザイン手法
・突然脳内出血で倒れ、意識不明に
・障がいや病気があっても、好きなことはあきらめない
・苦しみの中で気づく。「とらえ方次第で未来は変えられる」
・履ける靴がないなら、自分で作ろう
・考え過ぎず、行動に移すことも大切
・“自分ごと”に考えて主体的に動こう
・前を向かせてくれる言葉
Profile 布施田祥子 (ふせだ さちこ)
職業:株式会社LUYL(ライル。埼玉県川口市)代表取締役
受賞:2017年埼玉県主催「さいたまスマイルウーマンピッチ2017」キャリアマム賞。2018年、内閣府共催「J300 in TOKYO 2017」女性起業家アワード特別賞、日本青年会議所事業創造会議主催「地域未来投資コンテスト」内閣総理大臣賞 グランプリほか。
2011年脳内出血で左半身麻痺(まひ)の生活になる。2015年大腸全摘、人口肛門造設手術を受ける。
2017年ブランド「Mana’olana」(マナオラナ)を立ち上げ、2019年法人化し、“下肢装具にも履けるオシャレな靴”を企画、開発、販売。インクルーシブデザインによる商品開発のコンサルティングも手掛け、企業や学校で「自分らしく生きること」「心のバリアフリー」などをテーマに講演活動も行う。
1 今のこと
――これまでのことを教えてください。
布施田 小さいころからファッションに興味がありました。19歳で潰瘍性大腸炎と診断された私は、20代から30代は毎年のように体調を崩し、入退院の繰り返しでしたが、体調をみながら、大好きなファッションに関わる仕事をしていました。
2011年8月、出産して8日後に倒れ、意識を失いました。大静脈血栓症と脳内出血を同時に併発したのです。
意識を失っている間、夫は病院に許可をとって、私が5カ月後にライブに行くことになっていたアイドルグループの曲を、耳元でずっと流してくれました。意識がない時、よく声をかけ続けるとか言いますよね。私の場合、大好きな彼らの曲を流してくれたおかげで、倒れてから12日目に意識が戻ったようにも思います。
――私だったら「なぜ私ばかりこんなつらい目に?」と、取り乱すと思います。
布施田 宣告を受けた私に、母は明るく「とりあえず生きていたし、娘も元気に生まれてきたんだから、娘を抱けるように、家族3人で暮らせるように、リハビリを頑張ろう」と励ましてくれました。
先はどうなるかは分かりませんよね。「こうだったらよかったのにと思うより、できることをした方がいい。頑張ろう」と気力がわいてきて、「私ばかりなぜこんなことに」と思うことはありませんでした。
布施田 意識が戻ったとき、「ライブのチケットを持っている」という記憶がしっかりありました。周りが何と言おうと、「ライブに絶対行ける」と根拠のない自信がありました。
リハビリに一生懸命取り組み、車いす生活まで回復しました。左手足に麻痺障害が残りましたが、ライブに行くことができました。
――意志の力ってすごいですね!
布施田 私は障がいや病気の有無に関係なく、好きなことや、やりたいことをあきらめたくないのです。
片手しか使えなくなってしまいましたが、子育てはどうしても自分でしたかったので、どうやったら片手で子育てができるかを考えながら、リハビリに取り組みました。
倒れてから約8カ月後の2012年3月に退院し、やっと家族3人で暮らせるようになりました。
今思うと本当につらかったのは大腸全摘が決まるまでの約1年半です。2013年、持病の潰瘍性大腸炎が急激に悪くなってしまったのです。
子どもと一緒にいたいから入院したくなくて、自宅で漢方や食事療法で治そうとしました。
すると体のほかの部分に影響が出てしまいました。それはもう痛くてつらくて、夜も眠れないほど。食べることもできず、体重が12㎏落ち、体は衰弱し精神的にも限界でした。
そんな状況だと子育てもできません。3歳の娘は甘えたいさかりでしたが、痛みがひどいときは泣き声にもイライラしてしまい、娘にかまってあげることもできず、甘えられることもしんどくなっていました。
――そういう自分がいやになるんですよね。
布施田 そうなんです。「ママがつらそうだから、静かに眠れるようにおばあちゃんの家に行く」と娘から言い出して……。
布施田 そんな中、いい医師に出会い、20年通った病院を変えました。すぐに検査をしてもらうと、「おそらく、ほとんど腸が機能していない。すぐにでも外科手術をしないと危ない」と診断されました。
そして「永久的に人工肛門をつけないとたぶん社会復帰できないでしょう」と言われました。
ショックでした。そのときですよね、はじめて母に電話で言いました、「なんで私だけこんな思いをするんだろう」って。
翌日、両親が病院に飛んで来ました。母は「病気じゃなくても、みんないろんなことに悩んだり苦しんでいるのよ。つらいのはあなただけじゃない」と言いました。父からは「手術すれば、好きなものを食べられるし、好きなところにも行けるようになるんだから大丈夫だよ」と言われました。
両親の言葉でふっきれたんですよね。「私ばかりなぜ」と思っていたのが、心が軽くなった気がしました。
――気持ちにどういう変化があったのですか?
布施田 起きてしまったことは変えられないけど、自分のとらえ方次第で未来は変えられると気づいたんです。
人工肛門になるのはつらいけど、それによって、またやりたいことができると思うと、「とらえ方次第で自分の感情って変わるんだ」と目が覚める思いでした。
すぐに手術日を決め、2015年5月、大腸全摘手術を受けました。その後1年間は療養。娘との時間が持てるようになり、精神的にもだいぶ落ち着きました。本当に日常生活が取り戻せたなと感じられるようになり、もっと外に出たいから働こうと思いました。
2016年10月から障がい者雇用で勤め始めました。
そこはファッション関係ではありませんでしたが、とてもいい会社でした。ですが、自分のやりたいことができないという現実とのギャップがストレスとなりました。
私は、我慢してストレスをずっとかかえていると、すぐに体調を崩してしまうのです。
――自分の心の声を聴くことができなくなっている人は少なくありません。布施田さんは心の声がお体に出てしまうのですね。
布施田 そうなんです。私は「仕事もプライベートも好きなことをしているのが一番自分の体に負担がかからない」ということを知っています。
「難病と向き合いながら、家族との時間も大切にしたい。だから、自分のペースで働けるようにフリーランスになろう。自分の経験を生かして、障がい者が生きやすくなる社会にしたい」と思いました。
会社に話すと、それなら応援すると言ってくれました。2017年10月に個人事業主となり、12月に会社を退職しました。
――なぜフリーランスではなく、個人事業主になられたのですか?
布施田 左半身麻痺の障害が残り、いろいろなことを制限された中で一番嫌だったのは、大好きな靴を履けないことでした。
歩行を支えるための下肢装具をつけた私が、履きたいと思えるおしゃれな靴は見つからなかったのです。それなら自分で作るしかないと思いました。
そうした中で2017年、埼玉県主催のビジネスコンテストに出たことが、個人事業主になるきっかけとなりました。
埼玉県創業・ベンチャー支援センター(さいたま市)に相談すると、どういう風に事業化していくかなど教えていただき、一緒に事業計画書を作ってくださいました。
事業計画書の作成は大変でしたが、とても楽しかったんです。夜中まで頑張って作って、あまり寝てなくても、通常通り会社に行けました。自分でも驚きました。「好きなことなら徹夜もできるんだ! 好きなことをやるって大事だな」と思いました。
――自分の好きなことが分かっているのは幸せなことですね。
布施田 障がいを負った時点で、おしゃれをすることも、外に出ることもあきらめてしまう人がとても多いのが現状です。そもそもおしゃれをしたくても、選択肢がないんですけどね。
だから私は、誰にとっても“選択肢のある日常”が当たり前になる世界を創りたいと思いました。
外に出て、社会と関わると視野が広がります。
だからあきらめずに、まずは何か一歩踏み出してみる。そのとき、私たちのつくるMana’olanaの靴が、だれかの背中を押すきっかけになってくれれば、こんなうれしいことはありません。
でも、それが靴ではないという人もいるでしょう。だから今、私たちは、病気や障がいの有無に関係なく、みんながワクワクドキドキ楽しめるアイテムやサービスをそろえたセレクトショップづくりに取り組んでいます。
心ときめくものを身につけて、また街に出かけたくなってくれるといいなと思っています。
2 あなたらしくあるために大切なこと
――今後、働き方はどのように変わっていくと思いますか?
布施田 身体的にも精神的にも外に出ることが困難な人もいます。そういう人たちはオンラインやリモート化が進むことで働きやすくなりました。地方に住んでいる人たちもリモートで雇用できるようになります。障がい者にとって働き方が広がると思います。
コロナがきっかけで、外に出られないストレスを多くの方が感じていると思いますが、コロナに関係なく、そもそも外に出られない人もいます。これは社会全体として、とてもいい気づきになったと思います。
多様な生き方、多様な働き方について、みんなに考えてもらえるようになるといいですね。
――自分らしく生きていくために何を大切にしたらよいと思いますか?
布施田 自分の好きなこと、やりたいことに正直になることだと思います。
常に先の不安とか、いろいろ考え過ぎると動けなくなると思うんです。考える前に何か行動に移すこともすごく大切です。
私にとってはビジネスコンテストに出たことがそうです。何も分からないけど、とりあえずやってみようと応募したら思いがけず賞に選ばれ、「こうなったらやるしかない」と背中を押してもらいました。
――そして2019年には法人化され、誰にとっても“選択肢のある日常”が当たり前になる世界を目指して、活動の幅を広げていらっしゃいますね。
3 未来を生きる子どもたちへ
――これからの子どもたちへ、生き抜く力を与えるメッセージをお願いします。
布施田 子どものうちから、社会にはいろいろな人がいるということが普通にならないといけないと思います。今、多様性ある社会とかダイバーシティとか言われますが、本来ならそういう社会が当たり前にならないといけない。
“自分ごと”に考えて、自分でよくしていこうと主体的に動ける子どもが増えると良いですよね。そうすると世の中がもっと良くなると思います。
取材を終えて
前を向かせてくれる言葉
起業家として数々の受賞歴を持つ布施田さんは、一体どんな方なのだろうと緊張しながら取材にうかがいました。お会いしてみると気負いは一切なく、自然体でかわいらしい方。迷いを抱える人たちの一助になればと、ご自身の経験を、途中何度も声を詰まらせながら話してくださいました。
今の時代、だれもが悩みや迷い、不安をかかえているのではないでしょうか。だからこそ、前を向かせてくれる「とらえ方次第で未来は変えられる」という布施田さんの言葉が、心に響くのかもしれません。
取材日:2021年4月23日
綿貫和美