勉強から学問へ。クワイの可能性を信じて(大学院生 田村芽夕)

「クワイ」という野菜をご存じですか? 昔はおせち料理に欠かせない食材であり、江戸時代には飢饉(ききん。食べ物が欠乏して人々が飢え苦しむこと)の際に農家を助けたともいわれる野菜です。あるときクワイのことを知り、一時は就職したものの、大学院で今、日夜クワイの可能性を研究している田村芽夕さんを紹介します。(彩ニュース編集部)

人生を歩んでいく中で、指標は一つではない
コロナ禍での就職活動。入社するも、道を変える
クワイが将来、食料危機を救う?
自分の意志を貫く自信を持つ
周りの言葉を吸収し、考え、自分を信じて決断する
心の声に素直に

Profile 田村芽夕(たむら めゆ)
1998年生まれ。幼いころから食べること、両親や祖母が料理している姿を見ることが好きで、食について学びたいと、実践女子大学生活科学部に進学。食についてより深く学びたいと思い、大学院進学を考えたが、一度諦めたことがある。しかし、両親や恩師など周りの大人たちに相談したことをきっかけに、現在では大学院に通い「クワイ」の研究をしている。
趣味は、料理やお菓子作り、老舗の和菓子巡り、道の駅巡り、英会話や韓国語の勉強。

Profile 田村芽夕(たむら めゆ)
1998年生まれ。幼いころから食べること、両親や祖母が料理している姿を見ることが好きで、食について学びたいと、実践女子大学生活科学部に進学。食についてより深く学びたいと思い、大学院進学を考えたが、一度諦めたことがある。しかし、両親や恩師など周りの大人たちに相談したことをきっかけに、現在では大学院に通い「クワイ」の研究をしている。
趣味は、料理やお菓子作り、老舗の和菓子巡り、道の駅巡り、英会話や韓国語の勉強。

1 今の仕事のこと

人生を歩んでいく中で、指標は一つではない

――今、大学院で学ばれていますが、小さいころから勉強が好きだったんですか?

田村 いいえ。両親は子どもの教育に熱心でしたが、当時の私は好んで勉強する子ではなかったんです。「友達と遊びたい」「勉強したくないな」と思うこともありました。分からないと黙ってしまうような子でした。

でも高校に入って、ある化学の先生の授業を受けて、初めて化学がおもしろい、楽しいということに気づいたんです。そこがターニングポイントでした。「好きだから、疑問を解決したいから勉強するんだ」という思いがだんだん強くなっていったんです。好きな理数系の分野は好んで勉強するようになりました。それが将来役に立つかどうかなんて何も考えていなかったんですよね。

――知りたいから、好きだから学ぶというのは、“学問への気づき”だったのかとも思うのですが、どうですか?

田村 本当に学問への気づきだったと思います! なんていうんですかね、自分で進んでやるものが「学問」で、「勉強」というと自分の意志ではないのが少し含まれている気がします。
実際、世界史とか社会系の教科は「試験のための勉強」としか私の中ではとらえられなかったので、どうしても勉強する気が起きなかった。生きていくうえで役立つ知識だという認識がなかったんです。

――それってどの学生にもあることだと思うんですよね。学生たちに伝えたいことはありますか?

田村 今ものすごく感じるのは、偏差値とか点数とか、いわゆる「一つの数字」は、何かを見定めるうえで指標となるものではありますが、必ずしも指標は一つとは限らないということです。

――人生を歩んでいくうえで、指標は一つではないということですか?

田村 はい。私自身もそうだったんですけど、学生時代は、受験という壁に向かって、そこが自分の近い目標・未来になっていたんです。その先のことが見えていない。たとえばトンネルみたいなもので、目の前に大きな物が落ちていて、その先は真っ暗で、光が見えない。目の前に志望校と言う目標は立てられても、その先何になりたいとか、それほど強いものはなかったんです。

私の入った大学は、いわゆる偏差値がものすごく高い大学ではないんですけど、ただ「学びたい」と思うものがその大学にあったから選びました。指標は一つではないと思います。考え方は人それぞれですが、多少なりとも本気で頑張りたいと思っていることであれば、偏差値や点数に関係なく、それを選択してもいいのではと私は思います。

もし途中で、やっぱり違う道を選んでおけばよかったと思ったとしても、どこかで機会があると思うんです。それこそいろんな資格もあるわけで、別のことを学びながらでも挑戦できると思います。

コロナ禍での就職活動。入社するも、道を変える

――大学で学びたいと思ったのは、どんなことだったのですか?

田村 幼いころから、祖母や母がキッチンで料理をしている姿を見るのが好きだったんです。
まな板があって包丁があって食材がおいてあって、それを水で洗って、切ったりゆでたり、流れるように作業が進んでいくのがおもしろくて、不思議な気持ちで見ていました。

そんな影響からか、食べることも好きで食品に興味があり、食品関係の学部がある大学をメインに受験し、4年間、食品と物流について学びました。
大学3年生くらいから、世界や日本の食料事情について考えるようになったんです。

――何かきっかけがあったんですか?

田村 父の田舎が岩手県で畑を持っていて、幼いころは畑に行って野菜を収穫して、その場で洗ってかぶりついていたので、形が曲がっていても異様に長くても、私の中では当たり前のことでした。

でも今の時代、スーパーに並ぶ野菜は少しでも形が悪いと避けられてしまいますよね。その気持ちも分かるんですけど、飢餓に苦しむ国の人たちのことを考えると、日本はこんなにも恵まれているのに、といった思いが頭をよぎってしまって……。

一方で、日本の食料自給率は主要先進国では最低の水準で、不作や戦争など何かあれば食料不足になりかねません。
そうした問題をどうしたらいいのか、私一人に何ができるのか、正直分からないのが実際のところですが、考えるようになりました。

――なるほど。

田村 そんなとき、知り合いから「クワイって野菜、知ってる?」と聞かれ、興味を持ち始めました。
調べてみると昔、埼玉県の収穫量が全国で一位になるほど栽培されていたことが分かったんです。それから、縁起物としておせち料理に欠かせなかったことも。私、埼玉県出身ですが、クワイのことをまったく知りませんでした。

そんなクワイなのに、「なんで埼玉が誇るものの一つに入っていないのかな?」「古くから愛されてきた食材なのに、なんで今の日本人は食べないのかな?」と次々と疑問が出てきて、そこからクワイへの探求が始まり、大学院でクワイを研究したいという夢を持つようになったんです。

でも当時は、大学院に進んだら研究職につかないといけないと思い込んでいたので、「研究職につきたいわけでもないから」と、就職して社会に出ることにしました。

――大学を卒業し、新卒で入社されたのですね。どんなお仕事だったのですか?

田村 食品メーカーの物流兼営業の仕事につきました。
楽しさもあったんですけど、私が学びたいと思っていた分野とはかけ離れていたんですよね。なので、その仕事にどこかで前向きになれなかった。

言い訳になってしまいますが、私が就職活動をした2020年は、ちょうど新型コロナウイルス感染が広がっていった時期だったんです。就職活動も遅れて、面接は対面ではなくリモートで。そうやって最終的に自分で選んだ企業でしたが、やっぱり何か違うと思ってしまって。

そのとき頭をもたげたのが、大学院への夢。社会に出たものの、どこかであきらめきれなかったんです。両親や恩師に相談し、最後は自分で決断しました。

クワイが将来、食料危機を救う?

クワイは6月ごろに植え付けます。植え付けから2週間くらいで、しっかりした芽が出ます(右)。栽培の仕方など、レンコンをイメージすると分かりやすいかも。レンコンの収穫に使う機械を使って収穫することもあるそうです

――クワイはどんな植物ですか? 

田村 クワイはオモダカ科の水生植物で、地下にできるピンポン玉くらいの丸い実の部分を食用にします。
大きな芽が出るので「目(芽)出たい」(めでたい)ということで、縁起の良い食べ物とされてきました。現在は主に広島県や埼玉県で栽培されています。

――立身出世や開運と関連させてもおもしろいかもしれませんね。「開運クワイ」とか。

田村 そうですよね(笑)。
クワイは昔から、救荒作物(編集注:稲や麦など作物が不作のとき,代用するために栽培する作物)とされていたので、江戸時代の飢饉の際、収入を含め農家の助けになったとされています。また、一般の人々にとっても飢饉の際は貴重な食料源だったのではないかとも考えています。

今でも、たとえば飢餓で苦しんでいる方がたくさんいるインドでは、その減少にクワイが鍵をにぎっていて、栄養不足を満たすと考えられています。

――クワイってすごいんですね。なぜ食卓に上がらないのでしょう? 

田村 私が感じているのは、なじみが少ないのと、購入できる時季や場所が限られていることが原因かなと。

――おいしく食べられる調理法も知りたいです。

田村 そうですよね。もっとレシピが必要ですよね。
たとえば素揚げにして、塩を振ってシンプルにいただく食べ方もあります。

――田村さんは今、大学院1年目ですが、何を研究しているのですか?

田村 今、日本の食料自給率が年々減少していることが問題視されています。
そうした状況の中、日本で古くから栽培されている野菜クワイをどのように活用できるか、もしくは活用するべきなのかを追究していきたいと考えています。いい活用法があれば、クワイ農家や埼玉県にとって、何かいい光が見えるのではと思っています。

一方で海外に目を向けてみると、明確な根拠があるわけではなく、あくまでも仮説ですが、飢餓数の多い国やイモ類を主食とする国では、クワイは利用価値があるかもしれませんし、そういった国へ輸出した方が、日本で食すよりも利用価値があるかもしれません。
これらのことを含め、クワイについて研究を進めています。

――今後、どういう風になっていきたいですか?

田村 大学院を修了したら、クワイに携わって何かサポートする立場で自分の道を切り開いていければいいかなと思っています。
クワイを知ってもらい、農家と消費者、企業と農家などをつなぐサポート役になれたらうれしいです。

田村さんは実際に田んぼに入って泥だらけになりながら、クワイ農家に農作業を教えてもらったりもしています。クワイの植え付けは、膝下まで水を張った田んぼで、泥に足を取られながらのきつい作業です

2 あなたらしくあるために大切なこと

自分の意志を貫く自信を持つ

――ひとり一人が自分らしく生きるために何を重視したら良いとお考えですか?

田村 いろいろ経験して大切だと思ったのは「自分の意志を貫く自信を持つこと」です。自分の意志を貫いて、自分の選択を信じること。難しいけれども必要なことだと思います。

私自身も一度就職して、でもどうしても大学院に進学したいという気持ちをあきらめきれず、すぐに退社してしまいましたが、そのときもすごく迷いがありました。「新卒」というネームを捨ててしまうことになるからです。

今の時代、いろんな生き方がある一方で、日本の就職活動は特有なものがあると感じていて、新卒というネームを捨ててまで大学院で学ぶ価値があるのかと、けっこう迷いましたね。

「この先、やっていけるかな」という恐怖心もありました。ただ、その恐怖心ばかり見つめていても、自分が何を学びたいのかを見失ってしまうので、そこは自分の意志を強く持って信じること。信じることで自分の弱い部分も強い部分も見えてくるのではないかなと思います。

――田村さんはもともと慎重派ですよね?

田村 慎重派だと思います。どちらかというと計画をしていくタイプで、少し道をそれてしまうと、頭の中が混乱してしまいます。

――計画通りに進みたいタイプの田村さんが、恐怖心と向き合いながら会社をやめ、大学院進学を選択する決断をしたのは、大きなことだったでしょうね。

田村 はい。不安の方が大きかったです。傍から見たら道をそれたように見えるかもしれませんが、それでも私の中では決断して良かったな、と思っています。

3 未来を生きる子どもたちへ

周りの言葉を吸収し、考え、自分を信じて決断する

――次の世代の子どもたちに生き抜く力を与えるメッセージをお願いします。

田村 もともと私は「こうあるべき」と、自分で自分をしばってしまうところがあるんです。そんな私の小さな悩みに真剣に向き合ってくれた両親、先生、そういった人たちのおかげで、「考え方を変えてもいいんだな」と気づかせてもらえて、今、新しい自分を見つけることもできました。

周りの言葉に振り回されるわけではなく、吸収し、考え、自分を信じて決断する。そういったことが私を強くしてくれたと思います。

――自分のことを思って助言してくれる人は、たぶん誰にでも身近にいると思うんですよね。それを頭から拒否せず、素直に耳を傾け、吸収し、考える。そういった意識の持ち方が、生き抜く力につながるんですね。

田村 そうですね。それは簡単にできることではないと思うんです。私自身、幼いころは反発することの方が多かったので、むずかしいのは身にしみて感じています。

でも、小さなことでも周りの大人に相談してみる。そこで、「やっぱり自分はこうしたい」「ここだけは譲れない」というのがあれば、それを軸にしたら良いと思います。本当に譲れないものが一つでもあるなら、自分を信じてほしいです。

取材を終えて
心の声に素直に

 クワイという、昔からあるけれど、今はあまり知られていない野菜に着目し、研究している大学院生がいると聞き、ぜひ取材させていただきたいと思いました。それが田村芽夕さんでした。
 実際に田村さんにお話をうかがって、大学院に人生のルートを変えるまでの迷いや葛藤は、あとに続く若い人たちへのエールとなるのではと感じました。
 今、念願のクワイ研究にまい進している田村さん。研究の合い間なので時々しか行けないそうですが、クワイ農家に通って、泥だらけになりながら、「クワイの植え付け作業などを含めてお世話になったり、お話をうかがったりしています」とのこと。研究に直結しないかもしれないけれど、やりたいからやっているのだそうです。
 周りの人たちの助言を力にして、少しずつ芯の強い女性に成長してきた田村さん。クワイの研究に向かう、さわやかな横顔が印象的でした。

取材日:2022年9月8日
綿貫和美