毎日1ミリでも前へ(経営者 德永奈美)

シングルマザーとして3人の子どもを育てながら、40歳のとき1軒の手作りパンの店をオープンさせた德永奈美さん。今やベーカリー20店のほか、フードコート13カ所に飲食店を出店するなど事業を拡大しています。そのうえ50歳になってから、経営者として多忙な日々を送りながらも日本大学法学部に通い始め、この春、法政大学経営大学院イノベーションマネジメント研究科を卒業予定。精神的につらかった日々も、自分を成長させるために天が与えた課題と受けとめ、「毎日1ミリでも前へ」進んできた德永さんを取材しました。(彩ニュース編集部)

DVからシングルマザーに
手に職もない。これから先どうしよう……
弟のために手づくりパンの店を始める
後悔したくなくて50歳で大学へ
女性の「中小企業型働き方改革」に向き合う
社員の自己成長をうながす
「絶対にあきらめないのよ!」。子どもたちに行動で示す
試練は自分を磨くツール
主体的に考え、人のせいにしない
母を裏切れない。「ちゃんと生きなくちゃ」

德永さん(アクア社内で)

Profile  德永奈美(とくなが なみ)
株式会社アクア代表取締役社長。 
東京生まれ、3歳からさいたま市に住む。2000年ブーランジェベーグ(ベーカリー)上尾本店開業、2003年アクアグルメフードコート福よし(ラーメン・定食)スーパービバホーム鴻巣店開業を皮切りに、ベーカリー20店、フードコート13カ所に飲食店を展開。ベーカリーは2005年から「100種類100円パン」業態に変更。2020年、フィンランドのヘルシンキナスダック上場企業・ライシオ社と日本での独占輸入販売代理契約を交わす。
 埼玉県ビリヤード協会理事長。2004年彩の国まごころ国体では「デモンストレーションとしてのスポーツ競技」としてビリヤード競技を「車いすの部」「小学生の部」「中学生の部」「女子の部」「ポケットの部」「3クッションの部」「スヌーカーの部」で開催した。2022年からはフィンランドのユニバーサルスポーツ「モルック」の普及にも携わる。

德永さん(アクア社内で)

Profile 德永奈美(とくながなみ)
株式会社アクア代表取締役社長。 
東京生まれ、3歳からさいたま市に住む。2000年ブーランジェベーグ(ベーカリー)上尾本店開業、2003年アクアグルメフードコート福よし(ラーメン・定食)スーパービバホーム鴻巣店開業を皮切りに、ベーカリー20店、フードコート13カ所に飲食店を展開。ベーカリーは2005年から「100種類100円パン」業態に変更。2020年、フィンランドのヘルシンキナスダック上場企業・ライシオ社と日本での独占輸入販売代理契約を交わす。
 埼玉県ビリヤード協会理事長。2004年彩の国まごころ国体では「デモンストレーションとしてのスポーツ競技」としてビリヤード競技を「車いすの部」「小学生の部」「中学生の部」「女子の部」「ポケットの部」「3クッションの部」「スヌーカーの部」で開催した。2022年からはフィンランドのユニバーサルスポーツ「モルック」の普及にも携わる。

1 今の仕事のこと

DVからシングルマザーに

――子どものころは何に興味があったのですか?

德永 絵を描くことや書道が好きで、デザインにも興味がありました。高校を卒業したら美大に行きたいという気持ちもありましたが、就職しました。
でもそのときからずっと、「大学に行きたかった」という思いがありました。

24歳で結婚したのですが、ひどいDV(家庭内暴力)を受け、子ども3人を連れて実家に帰りました。
なんとかしようとしましたが無理でした。これ以上この生活を続けたら、子どもにグチをこぼすだけの人生になってしまう。それはいやだから、この生活をやめるしかない。何回も考えて出した答えでした。29歳のときです。

手に職もない。これから先どうしよう……

德永 シングルマザーになって、「手に職なんて何もない。どうしよう、何か資格を取らなきゃ」と思いました。ちょうどそのころは不動産ブームで、親類が宅建士(宅地建物取引士)の資格をとったと聞いて、私もとろうと予備校へ行き、民法の授業がものすごくおもしろいと思いました。無事、宅建士の資格を取ることができました。

――民法のどういうところがおもしろかったのですか?

德永 法律がすべて社会を制御しているっていうことが素晴らしいな、と感動しました。
宅建に関連する法律だけでなく、いつかは法律を全部、俯瞰(ふかん)して勉強してみたいと思いました。

弟のために手づくりパンの店を始める

――そして40歳のとき、パンの店を始められましたね。いきさつを教えてください。

德永 弟が生まれつき、重度の難聴なんですね。この先、障がいのある弟が、人生をどのように歩むのが良いかと考えていたとき、障がい者施設でパンを作っているということを知り、弟もパン作りならできるのではと思いました。
普通はパンが好きだからパン屋さんを始めると思うのですけど、私の場合は弟に、一生涯働ける環境を用意したいという思いで始めました。

1店舗目が路面店「ブーランジェベーグ上尾店」(現在の上尾本店)です。手作りのスクラッチベーカリー製法のパン屋さんを、イートインのカフェスペースを併設して始めました。
小さいお子さま連れから高齢の方まで、お客さまが癒やされる空間を提供することがコンセプトでした。

――スクラッチベーカリー製法とはなんですか?

德永 パン生地を粉から仕込み、発酵、成形、焼き上げまでの全工程を一貫して行う製法のことです。丁寧に作った焼きたてのパンをお客さまに提供することができます。

――経営は順調にいきましたか?

德永 いいえ、とても難しくて簡単には行きませんでした。初めはなんとかやっていけるかなと思ったのですが、だんだん売り上げが落ちていきました。

もう本当にどうしようかと困りはてていたとき、たまたま100円ショップに入ってびっくりしました。普通なら2000円~3000円するアイシャドーが100円! 口紅もファンデーションも、大好きな文房具もみんな100円!
「そうだ! これをパンでやったら、100円でいろいろな種類のパンを提供したら、お客さま絶対喜んでくれるのでは」と思いました。

そこで大手製パンメーカーの役員に、そのアイデアを相談しました。すると「やめなさい」と言われました。「いろんな値段があるから買っていただけるのだから」と。
私、「やめなさい」って言われるのが一番効くんです。やりたくなるんですね。
それに自分自身が100円ショップに行ってこんなに楽しいのだから、お客さまだって絶対楽しいにきまっている、と思ったんです。

――自分の直感を信じたんですね。結果はどうだったんですか?

德永 お客さまの人数でいうと、100人から150人前後がやっとだった上尾本店が、今、週末には600人を超える日もあるくらいにぎわっています。

――大当たりだったんですね。それにしてもパンを100円で提供して経営を成り立たせるとは、すごい企業努力ですね。

德永 とにかく無駄をなくし、フードロスを出さないように、原材料を大切に使い切ることを社内全体で取り組んできました。
SMAPの歌に「世界に一つだけの花」という曲がありますが、まさにそのイメージで、お花屋さんの店先の色とりどりの花のようにパンを並べて、お客さまに喜んでいただこうと、全従業員が努力を惜しみませんでした。

上尾本店は20年以上、地元のお客さまにご利用いただけて、感謝の気持ちでいっぱいです。ここ数年は新卒入社の中に、「ブーランジェベーグのパンを子どものころから家族で食べて育ちました」という新入社員が必ずいます。

ブーランジェベーグには手作りの炊きたてパンがずらりと並びます
バラエティ豊かな、手作りの焼きたてパンが並ぶブーランジェベーグ。昨年(2022年)、世界情勢による小麦粉の値上がりや円安などで価格を、100円から120円ベースに値上げせざるを得なかったそうですが、それでもブーランジェ(パン職人)が腕を振るうパンが値ごろとあって人気です

後悔したくなくて50歳で大学へ

――德永さんは経営者として多忙な日々を送りながら、今、大学へも通っていますよね?

德永 パンの店を始めた翌年41歳のとき、「人生の最期に、大学に行けなかったと後悔したくないな」と一念発起し、慶應義塾大学の通信教育を受けてみました。でも分厚い教科書を一人で読んでレポートを提出するという勉強の進め方は、私には向きませんでした。

だから次は上智大学のソフィア・コミュニティ・カレッジに通ってみました。コースを選んで週3回通うというものでした。
マーケティングを選んだのですが、とても素敵な教授の授業でした。たくさんの社会人のお友達もでき、「この調子なら、夜間なら社長業と二足の草鞋(わらじ)で通えるのではないかな」と、少し自信がつきました。
調べてみたら、日本大学(以下「日大」)法学部法律学科に夜間でも学べる第2部がありました。

そのころ、わが社(株式会社アクア。以下「アクア」)はホームセンターやスーパーマーケットでパン屋さんのほか、フードコートに飲食店を展開し始めていたのですが、どちらもビジネスパートナーは大手上場企業です。「会社を守るために法律を勉強しなきゃ」という思いもありましたし、以前から、「いつかは法律全般を勉強したい」と思っていたので、日大法学部を受験しました。50歳のときです。

そして4年間、念願の法律全般を学ぶことができました。「社長を務めながらでも大学に通えるんだ」と、また少し自信がつきました。

私の人生で大きかったのが、法政大学名誉教授の小川孔輔(おがわ・こうすけ)先生と出会ったことです。マーケティングで本当に有名な先生です。
あるとき長男の通う法政大学経営学部から、「学部長が変わりました。学部長講演会を開くので聴講に来ませんか」と案内が来たんです。行ってみたら、授業がおもしろいのなんのって、素晴らしい授業をなさるんです。その新しい学部長が小川先生だったのです。
そのときから小川先生とご縁をいただくようになり、かれこれ20年以上多くのご指導をいただいています。

小川先生とのご縁から、「ブックオフ」や「俺のイタリアン」などを創業された坂本孝社長(2022年逝去)にお会いする機会にも恵まれました。
そのとき小川先生が坂本社長に尋ねたんです。「1000社もの中小企業の社長さんたちとフランチャイズ契約でご縁を得るという体験をされてきた中で、人生にとって何が一番大切だと思いましたか?」って。
坂本社長はちょっと考えて、「人生で最初に出会う上司ですね。まさにその上司から一生、影響を受け続けますよ」とおっしゃったんですよ。思い当たりますか? 自分が人生最初に出会った上司がどんな人だったか、その上司にどんなことを言われたか。

――考えてみると私もたしかに、初めての上司に大きな影響を受けていますね。

德永 坂本社長とお会いしたとき、ちょうど、アクアが新卒の受け入れを始めた年だったんですね。そうすると、私やアクアの社員たちが、新卒の社員たちの“人生で最初の上司”になるわけです。
「ヒャー、これはえらいこっちゃ、責任重大! 私も含めて社員、店長たちがしっかり勉強しないと!」って気づいたんです。それで「もっと勉強しなきゃ」と思って日大を卒業後、大学院に行くことにしました。

チャレンジしたのは、法政大学大学院のイノベーション・マネジメント研究科です。小川先生は大学院でも教鞭(きょうべん)を取っておられ、小川先生の大学院のゼミで学ぶことができました。

女性の「中小企業型働き方改革」に向き合う

――修士論文のテーマはなんですか?

德永 テーマは「女性を経営に生かす中小企業型働き方改革」。働きたい女性がそれぞれのライフスタイルの中で生き生きと働き、高い生産性をあげるためにはどうしたらいいか、という課題に取り組んでいます。

論文のために全従業員に37問のアンケートを作成し、回答をお願いしました。仕事で楽しかったこと、うれしかったこと、悲しかったこと、落ち込んだこと、生きがいを感じること、チャレンジしたい資格などのほか、生活面についても聞きました。
全対象者554人中151人、27.3%から有効回答をもらいました。無記名式にしたので気軽に本音で答えてくれました。

驚いたのは、基本的には介護も家事も育児もみんなワンオペ(ひとり作業)の人が多数だということです。家を守るということを全部女性に任せる日本の慣習が、昭和、平成、令和の今も脈々と続いている。先進諸国との差はとても大きいと思います。

国連による国民幸福度ランキング5年連続世界一のフィンランドでは、すべてにおいて目線が、国民の幸せのためなんですよね。商品も、国民の健康を第一に考えて開発されています。フィンランドに住む友人によると、子育て、家事は夫婦でほとんどシェアしていて、それは当然のライフスタイルだそうです。

アクアは2020年、フィンランド最大のオーツ麦メーカー・ライシオ社と独占販売契約を結びました。「エロヴェナオーツバー」と「エロヴェナオートミールバー」
アクアは2020年、フィンランド最大のオーツ麦メーカー・ライシオ社と独占販売契約を結び、オーツ麦原体と、シリアルオーツバー「エロヴェナ」の日本輸入総販売代理店に。写真左の「エロヴェナオーツバー」は5種のフレーバーがあります。同右「エロヴェナオートミールバー」は、オートミール1杯分の栄養がぎゅっと詰まっていて、2023年3月14日販売開始予定

一人ひとりの可能性は無限大。社員の自己成長をうながす

――德永さんが社員に対して心がけていることは何ですか?

德永 一番心がけているのは、スタッフ一人ひとりの可能性を引き出すということです。「可能性は無限ですよ!」って言いながら、基本的に毎日スタッフたちにコメントを送っています。

――それはどういうことですか?

德永 毎日33店舗から日報メールが届くんです。店長、社員やパートさんたちからの業務報告のコメントが書かれています。
それらに夜のうちに目を通し、翌朝の「社長コメント」に織り込んで、全店舗に一斉発信するんです。そうすると、その日の日報に、社長コメントを読んで思ったことなどを書いてくれます。

――スタッフ554人分ですよね。すごい量ですね。

德永 アクアの在籍スタッフは554人ですが、日々店舗で勤務するのは250~270人前後です。

人材育成のための社内大学「アクアアカデミー」も開いています。「人にとって一番大切なのは、人生で最初に出会う上司」なのだから、若手の手本となれるよう、モチベーションを高く持って、自己成長に関心を持ってほしいと思って開講しています。

それから小冊子の「アクアバイブル・トレーナーとトレーニーの自己成長ノート」(以下「アクアバイブル」)。社員の成長をうながすもので、社員には全員に渡しています。2016年から毎年更新しながら発行してきて、今、8冊目の2023年版を作成中です。

現在「アクアバイブル」は社員だけの運用ですが、DX化することでより使いやすくし、さらにパートタイマーやアルバイトにも広げるため、アプリ化しようと計画しています。AI技術により、社内の誰とでもより良いコミュニケーションが取りやすく、効果的に活用できるようチャレンジしたいと考えています。

取材に応じる徳永さん
取材に応じる德永さん

「絶対にあきらめないのよ!」。子どもたちに行動で示す

――ところで德永さんは苦しいとき、どうやって自分を支えてきたんですか?

德永 これは、本当に不思議なんですけど湧いてくるんですよね、情熱が、ふつふつと。

あとはやっぱり子どもたちの存在ですね。
実はいろいろあって今、大学院8年目。在学年限ギリギリのところで今年度(2022年度)復学しました。小川先生は「会社の経営の方が大事ですから、いまさらMBA(経営学修士)を取らなくても良いのでは」と私の健康をとても心配してくださって、復学を反対されましたが、「人に“やるな”と言われたらやりたくなる」という私の例の負けん気と、それとやっぱり自分の中で一番大きいのは、子どもたちに、「絶対負けない! あきらめない!」ということを伝えたいという思いです。

――そう言い聞かせて子どもたちを育ててきたのですか?

德永 手をかけてあげる時間がなかったから、結果的に行動で見せるようなっていました。
口で言うのではなくて、子どもたちが、私の姿から学ぶのだろうなと思ってきました。

――うしろ姿を見せられる自分でいないといけませんよね。

德永 そうですね、その思いがすごく強いです。今では3人の子どもたちは立派に成長し、私をサポートしてくれています。口にしたことはありませんが、感謝しています。

2 あなたらしくあるために大切なこと

試練は自分を磨くツール

――一人ひとりが自分らしくあるために何を大切にしたらよいでしょうか?

德永 何事もプラスに考えるということ、どんなことにも感謝の気持ちを持つということですね。

シングルマザーになって、精神的につらくて、「なんで私ばっかりこんな目に遭うんだろう」と、ずいぶん考えている時期がありました。

でも、ウジウジ泣いていても悩んでいても何も始まらない。ピンチはチャンスっていいますけど、やすりで磨くっていうか、ピンチ、障害、ストレス、いろんな負のものを、自分を磨いてくれるありがたいツール(道具)だと受けとめるように自分を習慣づけたんです。20年前、ちょうどパン屋さんを始めたころからでしょうか。

「それは自分を成長させるために天が与えた課題である。解決できるから神様が私に与えたのだ。必ず乗り越えられる!」という信念というか、絶対に乗り越えられるはずだとプラスに考えるようにしました。

3 未来を生きる子どもたちへ

主体的に考え、人のせいにしない

――次の世代の子どもたちに生き抜く力を与えるメッセージをお願いします。

德永 ものごとを主体的に考え、人のせいにしないこと。すべて自分の責任で、自分の行動は自分でコントロールできるのです。
人のせいにしていると幸せになれないと思います。勉強するのも、失敗するのも、楽しくするのも、もとは自分なんですよね。

たぶん私も遠い昔は、不満を全部人のせいにしていた時期がありました。
人間ってなんとなく変化したくなくて、そこにしがみつきたがるんだけど、逆に自分が変わっていくことを恐れないで、「変化することが気持ちいい」と思うように心がけました。たとえ1ミリでも毎日前へ進んでいくことが、変化するということなんだと思います。

自分が変わろうと思えば変われるんだ、ってものごとを主体的に考えると、やらなければならないことが見えてくると思います。
そうしてひと皮むけふた皮むけ……。それが“成長”だと思うんですよね。

取材を終えて
母を裏切れない。「ちゃんと生きなくちゃ」

德永さんは取材の中でこう話していました。
「子どもたちを父親のいない形にしたのは私なので、父親のいる人に負けないようにしあわせになってほしい。そのために私は、懸命に努力して行動で示すようにしていて、それが私の支えになっていると思います」

一方、取材を終えて帰るとき、德永さんの長女に少しお話をうかがうことができました。
「母と一緒に食事をしたり、母の手料理を食べたという記憶はほとんどないんです。母から直接指導される時間は、一般家庭より著しく少なかったと思うんですけど、夜中まで一生懸命仕事をしている背中を見ていたので、『母を裏切っちゃいけないな。ちゃんと生きなくちゃ』みたいな思いは、私にも二人の兄たちにもあったと思います」。

德永さんの思いは3人の子どもたちにしっかりと届いていました。「子どもは親の背中を見て育つ」。これはまぎれもない事実です。

取材日:2023年2月2日
綿貫和美