【行田】足袋蔵~まちにいきづく歴史を感じる街歩きのすすめ

埼玉県の北部に位置する行田市は、足袋(たび)の生産地として知られ、“足袋のまち” “足袋蔵のまち“として、日本遺産(文化庁創設)にも認定されています。今回は、足袋産業の歴史や足袋蔵がある街並みについてNPO法人ぎょうだ足袋蔵ネットワークの宮本伸子(みやもとのぶこ)さんにお話をうかがいました。

(右上から時計回りに)昭和初期の足袋・被服工場と事務所兼住宅だった「牧禎舎」、手作りの足袋のお土産、行田では珍しい袖蔵式の足袋蔵「時田蔵」

足袋から電力供給まで、行田の人々のくらしを支えた基幹産業

江戸時代中期には商品として流通していたという行田の足袋。当時の旅行ガイドのような書物に、行田の足袋は名産品と書かれていたほど有名だったとか。
明治維新や戦争の時代を経て一大産業へと発展した足袋産業は、行田のまちの基幹として市民生活を支える裾野の広い産業になりました。
始めは手縫いだったものが手回しミシン、足踏みミシンへと移り変わり、電力が必要になると、行田で電力を作っていた時期もあったそうです。
また、お客さんに持っていく手みやげとして奈良漬けができたり、銀行を設立したりと、足袋はさまざまな産業にも影響を与えました。

展示スペースでは足袋作りに使われた道具や写真などを見ることができます

古い建物にこそ、人が入って活用していくことが維持になる

最盛期には年間約8400万足を生産し、全国シェアは最大7割にも達した行田の足袋。足袋や原材料の保管庫として建てられた足袋蔵は、土蔵、石蔵、木蔵、モルタル蔵など多様な建築様式があるのが特徴です。現在残っている足袋蔵は約70棟。老朽化して傷んでいるものも多いといいます。
「毎日掃除して風を入れる。人が入れば、雨漏りや傷んでいる場所にすぐ気づくことができます。古い建物の維持管理は活用してこそ」と宮本さんは語ります。

ぎょうだ足袋蔵ネットワークは、商工会議所や蔵の所有者、行政、まちづくりに関わるさまざまな人たちと協力しながら、これら足袋蔵を活用したまちの活性化に取り組んでいます。中には東京在住で毎週通ってきている人もいるそう。

蔵を改装した施設でも、行田のまちが好きだといういろいろな人に会えます。
街歩き前の情報収集に立ち寄りたい「まちづくりミュージアム」、手打ちそばが味わえる「忠次郎蔵」、藍染め体験ができる「牧禎舎」、カフェやランプショップとして活用されている蔵。
元は牧野本店の足袋工場だった建物を活用した「足袋とくらしの博物館」(土、日曜のみ開館)では、足袋づくり用のミシンや道具、写真や資料の展示、職人による足袋づくり実演が見学できます。
足袋づくりは縫製の中でも非常に難易度が高く、職人の技術あってこそ。それが見学できるのは貴重な体験です。

足袋用ミシンの部品は今では生産されていないものも多く、古いミシンを手放すと聞けば譲ってもらいに行くといいます

蔵の多くは個人の所有で敷地の奥に建てられています。街中に蔵が溶け込んで存在しているので、足袋蔵めぐりは街歩きをしながらがおすすめです。
中に入ることができる蔵もあります。天井の高さや、はしごのような急な階段など、蔵それぞれに特徴があり、見ごたえがあります。
また、毎年4月には、通常は入ることができない蔵の中を見学できるイベント「蔵めぐり・まちあるき」も行われます(コロナ禍により変更の場合も)。

◆取材を終えて

私の実家にも米や野菜を貯蔵する蔵がありました。重い扉と薄暗さが怖くもあり、宝探しができそうなワクワクもありました。老朽化や管理の面から取り壊してしまいましたが、どうにか残せなかったか一抹の後悔や名残惜しさがあります。古い建物には、目には見えないけど感じる空気、歴史を感じる空間があるように思います。古いものを活用しながら、長く残していくことは大変ですが、しかしその価値が十分にあることだと再認識した取材でした。 

取材日:2021年10月10日
小林聡美