「マーケット」と聞くと何を思い浮かべますか? スーパーマーケット、金融マーケットなどを思い浮かべる人もいるかもしれませんが、今回お話するマーケットとは、海外のストリートマーケットのように、道や広場に出店が立ち並び、月に1回など定期的に行われるものです。建築面からマーケットの持つ効果に着目し、各地で、地域の人たちと一緒に地域を盛り上げようと尽力している建築家・鈴木美央さんをご紹介します。(彩ニュース編集部)
・建築の力を実感し、建築家を志す
・スペイン人の先生との出会いが転機
・子育てと博士課程の両立
・小さな店舗の集合体がまちを変えていく「マーケット」に着目
・マーケットは効果的で非常に扱いやすいツール
・ローカルなつながりだけで自走化の仕組みをつくる
・男女格差120位の日本。一人ひとりの意識を変えていくことから
・失敗しながらでも自分で考え続けよう
・「購買行動を通じて私たちはまちをつくることができる」
Profile 鈴木美央(すずき みお)
職業:O + Architecture ltd.(オープラスアーキテクチャー合同会社)代表。博士(工学)。東京理科大学経営学部国際デザイン経営学科講師。
早稲田大学理工学部建築学科卒業後イギリスに渡り、設計事務所で大規模プロジェクトを担当。帰国後、慶應義塾大学理工学研究科勤務を経て、同大学博士後期課程。「このまちにくらすよろこび」をテーマに建築意匠設計、商店街支援、公共施設企画、スクール事業など、まちや建築に関わる業務を多岐に行う。専門は公共空間、マーケット、親子の居場所、購買行動とまち、団地など。著書に『マーケットでまちを変える ~人が集まる公共空間のつくり方~』(学芸出版社)、第九回不動産協会賞受賞。
1 今の仕事のこと
建築の力を実感し、建築家を志す
――建築家を志し、マーケットに着目されたいきさつをお話しいただけますか?
鈴木 兵庫県の神戸で生まれて、小学5年生のときに阪神淡路大震災に遭って、そのときに建築が人の命を奪うということを知りました。それが一つスタートラインとしてありますね。私が住んでいた地域はそんなに大きな被害はなかったんですけど、知っている街の様子が変わってしまいました。
そのあと入院したのですが、「外壁の汚れた、白くて大きな箱型の建物(病院)が、病人に威圧感を与えるな」という心理的な面を感じたということがまたもう一つあったんです。
退院して、母と海外旅行に行き、今度はイタリアの大聖堂を見て、建築の美しさに圧倒されました。
こうした経験から建築家を志そうと思い、大学の建築学科に進みました。
――大学卒業後はどうされたのですか?
鈴木 イギリスへ渡り、現地の設計事務所で5年間、高層ビルや大学など大規模建築の設計をしていました。
あるとき途上国での仕事があり、労働者が搾取される構造に直面したんです。
そのときはお金持ちが住むような、とても複雑な形の大規模高層マンションを設計していました。
高所作業は、労働環境の整った先進国でも毎年多くの方が亡くなられるような、とても危険な作業です。
それを途上国で、しかも「この国には安い労働者がいっぱいいる」といった言い方をする開発業者のもとで、起きうる事故を考えると悲しくなりました。
スペイン人の先生との出会いが転機
鈴木 すべての人がしあわせな日常を送るために建築ができることは何なのか。それを探求するため帰国後、大学の研究室に入り、スペイン人の先生の研究補佐として働き始めました。先生は公共空間について研究していました。
私は研究が楽しくて、先生からも「あなたは研究が向いている」と言われました。
でも半年後に妊娠し、仕事をやめることにしました。
「働き始めて間もないのに」と申し訳なく思っていると、先生は「当たり前のことだ。申し訳ないなんて思わなくていいよ」と、むしろ、子育てをしながら大学院に進むよう促してくださいました。
先生は「女性が子育てをしながらキャリアを形成するのは当たり前」と考えていました。スペインで女性が活躍する姿を見せてもらって私自身も勉強になりました。
先生からの推薦もあり、長女が6カ月のとき、博士課程に入学しました。
子育てと博士課程の両立
――子育てしながらの博士課程は大変でしたか?
鈴木 子どもって眠っているものだと思っていたので、その間に研究活動をしようと考えていたのですが、子育ては甘くはありませんでした。それほど眠っていてくれないし、寝ているときは私も疲れて寝てしまうことが多くて、誤算でした。
私は根がポジティブなのか、だいたいいつも見通しが甘くて、やってみると大変ということが多いのですが、いつも周りの人たちに恵まれてどうにかなってきました。
博士課程と子育ての両立も、周りに友人や親せきなど頼りになる方が多かったので、預かってもらいながら、なんとか論文を書きあげることができました。大変だけど、やってしまえばどうにかなるものなのだなと実感しています。
小さな店舗の集合体がまちを変えていく「マーケット」に着目
鈴木 博士論文では「マーケット」に着目し、「人が集まる公共空間のつくり方」について書きました。
――なぜマーケットに着目されたのですか?
鈴木 マーケットという小さな店舗の集合体がまちを変えていくことに興味を持っていました。5年間住んでいたイギリスには、そういうマーケットが当たり前に存在していましたから。
建築的要素が多いマーケットが研究テーマにいいのでは、と先生と話し合い、決めました。
――「マーケット」と「建築的要素」が私の中では結びつかないのですが、どのようにつながるのですか?
鈴木 たとえば小さな店をどう並べるかは建築的要素ですよね。一番手前はどんな店にするかもポイントで、そうしたことによって人の流れが変わります。
全体のレイアウトもすごく重要です。広場は真ん中に置くのか端に置くのか点在させるのか、それによって広場の使い方は全然違うので、「場を設計する」ことが必要になってくるんです。
マーケットはさまざまな効果があり、非常に扱いやすいツール
――研究が進むにつれて感じたことは?
鈴木 マーケットは本当にツール(手段)としておもしろいなと思いました。いろいろな効果を生み出すことができます。
というのは、マーケットは商いなので、地域経済的な効果もありますし、人の居場所になるようなコミュニティ形成、生活の質の向上といった社会的な効果もあります。
近隣のものを売るので輸送負荷が減るなど、環境負荷の軽減も評価されています。
そのうえ、自分がマーケットを実際に運営してみて思ったのは、非常に扱いやすいツールだということです。地道な積み重ねが必要ではありますけれど。
たとえばどういうレイアウトが良いか丁寧に設計し、現場でさらに調整すれば、魅力的な空間をつくることができます。失敗しても仮設なので、次やるときに調整、変更が可能です。やればやるだけ、しっかり成果が出るという手ごたえを感じました。
さらにマーケットにお金が介在することで、運営を担ってくださる方に謝金を払えます。街づくり的な活動ってそこが難しいじゃないですか、運営者の善意だけに頼ってしまう……。もちろん善意の部分が大きいと思いますし、出店料収入から必要経費を引いた額なのでそれほど多くはありませんが、お金が回ることで謝金を払うことができるというのは大きいと思います。自治体の補助金などがなくても、地域の人たちが対価を払い、マーケットを継続していくことができるようになります。
――マーケットの可能性ってすごいですね! ところで論文を書いてからどうされましたか?
鈴木 私の研究に周りの方々が興味を示し、ちょこちょこコンサルティングみたいな仕事をし始め、いろいろなところで話す機会も出てきました。そんなとき、出版社から声がかかり、『マーケットでまちを変える 人が集まる公共空間のつくり方』(2018年。学芸出版社)という本を出すと、業務委託契約のような大きな仕事もいただくようになりました。
――どんな業務委託ですか?
鈴木 行政からの業務委託契約で商店街支援をすることが多く、今は埼玉県の狭山市、所沢市、本庄市から業務委託契約を受けています。地域の方々と、どうやって商店街を盛り上げていくかというものです。
北本市とマーケットを使ったシティプロモーション事業もやっています。
志木市観光協会の店舗紹介冊子『このまちにくらすよろこび』の企画もしています。
愛知県豊田市でもマーケット支援事業を今年度やっていますが、ほとんどが埼玉県で、商店街支援、マーケットの支援などに関わる仕事が多いかなと思います。
私自身、出身は神戸で、若いころはロンドンや都内に住んでいましたが、暮らすなら埼玉がいいなと思っています。都内に行くのに便利なだけでなく、埼玉の人たちのおおらかな県民性や地域性は心地よくて、とても住みやすいなと思っています。どんどん埼玉が好きになって、こんなに埼玉にどっぷりつかるとは思っていませんでしたね(笑)。
――埼玉県民の私としてはうれしい発言です。私も埼玉は、程よく住みやすいと思います。ところで行政の仕事をもう少し詳しく教えてください。
鈴木 行政の仕事は、基本的には3年くらいで自走化していきます。いつまでも私がついているのではなくて、3年くらいしたら地域の方々で協力して、マーケットをまわしていけるような自走化の仕組みをつくるようにしています。
――すでに自走化している地域もあるのですか?
鈴木 群馬県の片品村です。役場と一緒に立ち上げたマーケットは完全に自走化しています。
狭山市の新狭山北口商店街のマーケットは、来年度(2022年度)の自走化を目標にしています。
――狭山市は、大手自動車メーカー・ホンダ狭山工場の移転(2022年1月)で動揺が走っています。
鈴木 まさにホンダの工場があった新狭山を私はフィールドにしていて、そこに新狭山北口商店街があります。
ホンダの移転は以前から分かっていましたし、これから市の人口が減っていくと予想される中で、この商店街をまとめる商店会長は「空き店舗対策だけでは限界がある。商店街として持続可能であるために何ができるのか」と考えていたそうです。そんなとき、私の本を読んで「地域に愛され、人と人とがつながるマーケットを開きたいと思った」とお話しくださいました。
マーケットをやると、商店街以外の人たちの魅力が入っていきます。マーケットにはマーケットでしか得ることのできない体験や役割があるのです。魅力的なマーケットを開けば、人々が商店街に来る理由ができる。来れば、商店街のお店を知るきっかけにもなります。
狭山北口商店街は月に1回、商店街の道路を通行止めにして、飲食店やハンドメイド作品の店など30店ほどが並ぶマーケットを開けるようになりました。
これが肝心。ローカルなつながりだけで自走化の仕組みをつくる
鈴木 でも、コロナ禍でマーケットが開けなくなりました。そんな中でもできることを話し合い、シャッターに絵を描く「ミューラルアート事業」をやって、「ここにお店を出したいと思ってもらえる商店街にしていこう」ということになりました。
ただしシャッターに絵を描くのでも、誰でもいいからアーティストを呼んでくるのではなく、なるべく地域に関わりのある近隣の方で、地域の魅力になるような高品質のものを作れる方を探します。
SNSで描きたい人を呼びかければ簡単に集まりますが、そうではなくて、この土地を一緒に愛し、一緒に考え、描いている間に地域の方々とコミュニケーションとってくださるような方にお願いしたいと思うのです。
それには県内のネットワークが役に立ちます。「この人なら、絵を描いてくれる良い人を知っていそう」と知り合いを伝いながら、適した方を探し出します。
「事業も運営も地域の方々と一緒にやっていく」。これは、私がとても大事にしていることです。地域の多様なスキルを持っている人たちを見出し、地域の人たちが協力してまちや商店街を盛り立てていく。その仕組みづくりに時間を割くことで、地域の人たちだけで継続的に自走化していけるようにと心がけています。
――鈴木さんは一貫して、みんながしあわせな暮らしを送るために建築ができることは何なのか、を考えていらっしゃるのですね。
2 あなたらしくあるために大切なこと
男女格差120位の日本。一人ひとりの意識を変えていくことから
――今後女性の働き方はどのように変わっていくとお考えですか?
鈴木 そもそも女性だから、男性だから、ということが言われなくなればいいなと、本当に思っています。ただそこに到達するまでには、女性を応援する活動が必要だと思っています。
たとえば私の仕事に関わってもらう人を普通に集めると、男性ばかりになってしまうんですね。そこであえて女性を入れるようにしています。
本来ならば意識しなくてもいいはずなんですけど、やっぱり日本はすごく遅れをとっていて、その遅れがどんどん開いています。
日本はジェンダーギャップ(男女格差)が世界156カ国120位(2021年世界経済フォーラム発表)。でもほかの国々だって頑張って努力してきたのです。だから日本が120位から脱出するのは不可能ではないと思います。それには一人ひとりの意識を変えていくことを地道に積み重ねていくしかないと思います。
3 未来を生きる子どもたちへ
失敗しながらでも自分で考え続けよう
――次世代の子どもたちに生き抜く力を与えるメッセージをお願いします。
鈴木 子どもには、失敗することはいいことだと話しています。私も間違えることはあるということも話します。
大人が言うことは絶対だと思うのは良くない。大人だって良い大人も悪い大人もいるし、良い大人でも間違えることはありますよね。
だから、失敗しながらでも自分で考え続けるという行為をしないと、前に進まないのかなと思います。
取材を終えて
「購買行動を通じて私たちはまちをつくることができる」
今回取材を申し込んだきっかけは、志木市観光協会の冊子『このまちにくらすよろこび』を見かけたことでした。
編集後記の「購買行動を通じて私たちはまちをつくることができる」という一文にくぎ付けになり、この冊子を企画した方にお会いしたいと思いました。それが鈴木美央さんでした。
鈴木さんは最近、「商店街やまちなかへ人に来てもらうにはどうしたらいいか」「商店街がどうやったらその魅力や価値を発揮できるか」をずっと考えているそうです。
「安さや便利さに勝るものを地域では提供できるはずですし、それが“地域の魅力”だと思います」と鈴木さん。
たしかに私たちが地域で買い物をしなければ、地域からお店はなくなってしまいます。先日、気がつくと近所の本屋がなくなっていました。このままでいくと、本当に何もないまちになってしまいます。
今、こうした問題を各地域で抱えています。
地域が本来の魅力を発信し、本当にここに住みたいと思える住民を増やしていく。私たち住民も、自分たちの住むまちを大切に思い、地域からの発信にアンテナを立てていく。そんな相互関係が築けたらすてきだなと思いました。
取材撮影協力:おとぎのティールーム夏楓舎
取材日:2021年1月18日
綿貫和美