素顔の自分をさらけ出し、飾らない人柄の山口由美さん。子どもたちの病気、認知症の介護、農業、と苦労の連続だったにもかかわらず、心折れることなく人生を好転できたのは、内向きに縮こまるのではなく、視点を外に向けたから。由美さんのこれまでは私たちに、外に目を向け、行動することの大切さを教えてくれます。(彩ニュース編集部)
・次々と子どもたちが病気に。さらに介護も
・外に出て、モノの見方が変わる
・“農業女子”として3年間は外に出まくるぞ!
・本当に越生の梅は和歌山に及ばないのか?
・和歌山の梅農家が驚いた、越生の技術
・行動は止まらない
・これからは恩返しがしたい
・ブレない信念を持ち、損得勘定で動かないで
・「折れない心」を持って
・自分の軸を持つことが心を強くする
Profile 山口由美(やまぐち ゆみ)
職業:山口農園(埼玉県越生町)代表。3代目園主。
大阪生まれ。小学6年生のとき埼玉県鶴ケ島市に移り住む。幼稚園教員を経て結婚、夫の実家は山口農園。「長男の嫁」「本家の嫁」「農家の嫁」として20年。義父が病で倒れてからは「女性農業経営者」に。現在は農業女子プロジェクト(農林水産省)、ひめこらぼ(女性農林漁業者とつながる全国ネット)、さいたま農村女性アドバイザー(埼玉県)、越生町梅産地を元気にする協議会のほか、異業種とのコラボ企画やフェイスブックを積極展開中。同農園商品「万能梅みそ」は平成29年度優良ふるさと食品中央コンクール新製品開発部門食品産業センター会長賞を受賞。
Profile 山口由美(やまぐち ゆみ)
職業:山口農園(埼玉県越生町)代表。3代目園主。
大阪生まれ。小学6年生のとき埼玉県鶴ケ島市に移り住む。幼稚園教員を経て結婚、夫の実家は山口農園。「長男の嫁」「本家の嫁」「農家の嫁」として20年。義父が病で倒れてからは「女性農業経営者」に。現在は農業女子プロジェクト(農林水産省)、ひめこらぼ(女性農林漁業者とつながる全国ネット)、さいたま農村女性アドバイザー(埼玉県)、越生町梅産地を元気にする協議会のほか、異業種とのコラボ企画やフェイスブックを積極展開中。同農園商品「万能梅みそ」は平成29年度優良ふるさと食品中央コンクール新製品開発部門食品産業センター会長賞を受賞。
1 今の仕事のこと
次々と子どもたちが病気に。さらに介護も
――現在、農園を経営されていますが、もともと農家のお生まれですか?
山口 いいえ、サラリーマン家庭で育って、最初は梅の木の見分けさえつきませんでした。
幼稚園の教員になり26歳で結婚。義理の父と母、重い障がいのある叔父(義父の弟)との同居生活が始まりました。公務員の夫の実家が90年以上続く梅農家だったんです。
2年後に長男が生まれ、ほどなく義母が亡くなってからは農家の嫁、本家の嫁としての役割がいろいろあって大変でした。
でも何よりきつかったのは、子どもの大病です。
あるとき5歳になった長男の熱が下がらなくて、いろんな病院を転々としても、入院してもなかなか原因が分からず、けいれんがずっとすごくて、意識がなくなって……。
その年、長女が生まれていたんですけど実母に預けて、叔父と義父のお昼ご飯の準備をしてから病院へ行く日々でした。
診断は10万人に1人という急性散在性脳脊髄炎。「この子は助けられるかどうか分からないから覚悟してください」と医者に言われて、大ショックで。
打ちひしがれて家に帰ると、叔父はそんな状況を理解できず、「メシはまだか」と言うわけですよ。
――しかたないとは分かりつつも、きついですね。
山口 大変でしたが、長男は意識も戻って元気になり、退院できました。ところが今度は長女が小児ぜんそくに。その後生まれた次女も小児ぜんそくになってしまいました。
さらに、義父が脳出血を起こして倒れ、そのあと認知症になってしまいました。
そのうえ叔父も重い障がいに認知症が加わり、ダブルになりました。
毎日、朝一番の仕事は義父と叔父の排せつ物の処理。トイレを掃除して、おむつを取り換えて。
そんな生活が2010年から2015年まで続きました。
――そうすると農業も由美さんに任せられることに?
山口 そうです。
義父の代わりに、越生町の梅農家が集まる「梅部会」に出て「越生の梅をもっと知ってもらいたい」と発言しても、考えが古い人ばかりでとりあってもらえなくて悔しくて。
あのころは本当にね、さんざんな毎日でしたね。
――そんなにしんどい毎日を送っていたとは、今の由美さんからは想像もつきません。
外に出て、モノの見方が変わる
山口 あるとき、越生町の6次産業化(生産者が加工や販売も行い、経営を多角化すること)の勉強会に出させてもらいました。そこで「越生の梅を外に向けて発信したい」と訴えていると、涙が出てきました。家でストレスがたまっていたこともあったと思います。
そのときコーディネーターから、「たぶん山口さんがいくら越生で訴えても、同じように考える人はこの中にはいないから、外に出た方がいいですよ。『ひめこらぼ』の表彰式があるので、輝く女性たちの講話を聞いてみたら」と言われたんです。
当時(2012年)、農林水産省(以下「農水省」)の事業を受けて、農林漁業に携わる女性どうしと異業種の全国ネットワークが新しくできていたんです。それが「ひめこらぼ」です。
出てみてメチャメチャ衝撃を受けたんです。
――どんな衝撃を受けたのですか?
山口 そこには全国から女性がきていて、まず彼女たちの、自分の意見を冷静に堂々と伝える姿勢がすばらしいなと思いました。
北海道のアスパラ農家さんは「みんな考えが古くて、私がやりたいことなんか一切やらせてもらえない」と言っていて、悩みって同じなんだなと思って。
島根の人は「由美さん、今はSNSがあるから、それで自分の思いを伝えたら?」と教えてくれたんです。
考えてみれば梅部会で、いきなり先輩たちにいろいろ提案しても、昔ながらのやり方があるから無理なんですよね。それなら外の若い人たちに発信していこうと思いました。
“農業女子”として3年間は外に出まくるぞ!
山口 会場には農水省の方々もみえていて、その課長に、「私は介護も子育てもこんなに頑張って、義父の代わりに一生懸命農業もやっているけど、梅部会に行ってもこんなこと言われて」と話していると、また涙があふれてきました。
すると、「必ず道は開けるから。自分が成功した姿を思い浮かべなさい」と言われました。
それから「出過ぎた杭(くい)は打たれない」から「出過ぎてしまえ」とも言われたんです。
ひめこらぼに出たおかげで、「自分の考えを外へ向けて発信していこう。埼玉の越生町が梅の名産地だと知ってもらうために、まずは山口農園が外から認められるようになろう」と、考え方を変えることができました。
――それが飛躍のカギだったのですね。
山口 翌年(2013年)には農水省の「農業女子プロジェクト」が立ち上がり、私は1期生となりました。3年間はがむしゃらに外に出てみようと心に決めました。
このころ営業も始めました。スーツケースに梅の商品を入れて、店頭に立たせてもらい、お菓子屋さんに梅のお菓子を作ってほしいとお願いもしました。
企業と連携したり、農業女子の子たちと情報交換したり、農水省のアドバイスをいただいたり、いろいろな経験を積み、学びの多い3年間でした。
本当に越生の梅は和歌山に及ばないのか?
山口 私が学んだことを町の人たちに教えてあげたらいいかなと思って、梅部会でSNSの使い方などを説明すると、「自分たちの梅なんて和歌山には及ばないから」と先輩たちは及び腰。
たしかに梅といえば和歌山県の南高梅(なんこうばい)が有名で、私自身も「埼玉から来ました」と言うと「和歌山じゃないんだ」と言われることがありました。
「本当に越生の梅は和歌山に及ばないのかな?」
そのころの私は以前の私じゃありません。結構行動的になっていたので、農水省に電話して、和歌山の梅農家を紹介してもらいました。
すぐに夫に「お父さん、明日からの土・日曜、私につきあって」と電話して、夫と子どもの荷物を全部車に積んで、「今からミステリーツアーに行くから、お母さんについてこい!」と和歌山に向かいました。
和歌山に着くと、山の斜面一面に梅畑が広がっていて、感動して涙が止まらなくて。
――何に感動したんですか?
山口 和歌山まで自分の力でこれたという感動と、越生のように平地ではない山の中で梅をつくって、うわぁ、すっごい、きっとこの下にはたくさんの努力と歴史があるんだろうなと感動しました。
和歌山の梅農家が驚いた、越生の技術
山口 和歌山では梅干しを漬けるときの塩分は20%だと聞きました。でも越生では12%の減塩で漬け込むことができるんです。はじめて和歌山の農家さんに「すごいよ、その技術」ってほめられて、「なんて越生ってすごいところなんだ! これはもう帰ってみんなに報告しなきゃ」と思って。
――塩分が低いとどうなるんですか?
山口 梅がカビやすくなるんです。でもそうさせない技術と手入れの工夫が私たちにはあります。
越生の人たちはずっと「どこまで塩分を落とせるか」、たぶん努力してきたんだと思うんです。義父も「塩味(えんみ)と酸味のバランスがいいのが12%なんだよ」と言っていました。
行動は止まらない 全国サミットを提案し開催するまでに
山口 和歌山の農家さんの「梅で儲(もう)かっているのは漬物業者で、おれたちは儲からなくて大変だ」という言葉が心に残りました。このままではもったいないな、梅作りというキーワードで全国の人とつながって、悩みやアイデアや成功例を共有できたらと思って、帰りの車の中から農水省に電話して「全国梅女性生産者サミット」を提案したんです。
農水省は賛同してくれました。各方面に了解をとるのが大変でしたが、なんとか開催までこぎつけ、2016年3月、「第1回全国ウメ生産者女性サミット」を越生町で開きました。
その後毎年、和歌山、茨城、奈良、群馬と第5回までやったところで、コロナ禍で休止しています。
これからは恩返しがしたい
山口 外に向けて発信してきた私ですが、いろんな人に育ててもらったので、今度は恩返しで人を育てたいなと思って、「新規就農」のお手伝いをしています。
農業大学校で講演したときに、「越生に来れば、山口由美が全力でサポートするから、越生で農家になろうよ」と呼び掛けたら、去年農家になりたい子が一人来て、今越生に住んで野菜農家として頑張っているんです。今年も一人来るんですよ!
それと、みんなの夢を後押ししたくて2021年、山口農園の中に「梅凛caffe(ばいりんカフェ)」をオープンさせました。
たとえばカフェでは曜日でシェフが変わるスタイルにしています。ここでシェフをやってみて「自信がついた」と、自分の店を出す方もいます。
障がいのある方たちに山口農園で農作業をしてもらうというボランティア活動もさせてもらっています。
2 あなたらしくあるために大切なこと
ブレない信念を持ち、損得勘定で動かないで
――一人ひとりが自分らしく生きるために、何を重視したら良いとお考えですか?
山口 もし私がひめこらぼに出あえず、ずっと越生にいたら、きっと何も変わらなかったですね。だからきっかけってすごく大事。あとは自分の考え方ですね。それをどう生かし、実行するかということもすごく大事かなと思います。
それと、ブレない信念を持ってもらいたいんです。自分の軸を決めて、食いしばるところは食いしばってほしい。
そして損得勘定だけで動かないこと。いい仕事をしていれば、そのときは損しても、あとで必ず返って来ると思います。
3 未来を生きる子どもたちへ
「折れない心」を持って
――次世代の子どもたちに、生き抜く力を与えるメッセージをお願いします。
山口 災害が起きたり環境が変わっても、人間は知恵と努力で適応してきた歴史があります。新型コロナウイルスの感染拡大も最初はどうなっちゃうかなと思ったけど、ワクチンが開発されたり、高性能の空気清浄機やパーテーションが考えられたりして適応してきたと思うんですよね。
人間って知恵がすごいから、必ず未来はあるから、「折れない心」を持ってガンと身構えていれば生き抜いていけるかなと思います。
だから大人は子どもたちに、どんなに大変な環境にあっても折れない心を育ててもらいたいなと思います。
取材を終えて
自分の軸を持つことが心を強くする
ひめこらぼに出あう前の、つらく苦しかったころのお話をうかがいながら、「なぜ由美さんは、心が折れずにいられたんだろう?」と不思議でした。
取材を進めるうち、その理由が分かってきた気がしました。ご主人をはじめ、3人の子どもたち、友人、そして出会った人たちが支えてくれたからですが、そのサポートを引き出せたのは、由美さんの中に、「越生を梅の町として盛り立てたい」という軸があったからではないかと。だから周りの賛同が得られなくても、「ならば、まずは自分の農園から」と考えを変え、結果として道を切り開いていけたのだと思うのです。
外に目を向け行動することの大切さと、自分の軸を持つことの強さを学んだ取材でした。
ところで山口農園では通年、梅ジュースや梅酒の加工体験ができます。5月中旬から生梅の販売と梅の収穫体験も始まります。今年(2022年)は梅ジュースの品種飲み比べ体験もできるようにしたいと考えているそうです。
取材日:2022年3月10日
綿貫和美