自分を人と比較してあせらないで(伝統工芸士 谷野裕子)

ITの世界から、和紙職人の世界へ転身した谷野裕子さん。とはいっても、紙すき技術を簡単に学べるわけもなく、やっとつかんだ研修の場にも、子育てと介護で通えない日々。自分だけが周りから置いていかれる……。そんなあせりや孤独感におそわれ、それでも毎日、「一生懸命できる範囲で」頑張ってきた谷野さんの考え方は、私たちに多くのことを気づかせてくれます。(彩ニュース編集部)

紙すき職人の世界と出あう
やっぱりあきらめられない
私だけ置いていかれる…
細川紙技術者協会から声がかかる
技術を次の世代へ。子どもたちが卒業証書の紙をすく
新たな和紙の居場所を探す
さわやかなくらい孤独になることも必要
強い人は変化に対応できる人
谷野さんの人生哲学

Profile 谷野裕子(たにの ひろこ)
 細川紙技術保持者、埼玉伝統工芸士、彩の国優秀技能者。
手漉(す)き和紙職人。
30歳を過ぎ、紙漉き職人を目指す。 現在、細川紙(2014年11月ユネスコ無形文化遺産記載登録)の正会員として工房「手漉き和紙 たにの」を運営するほか、学校・博物館・美術館等での和紙作りの指導や講演、他産地や海外での技術指導を行う。書写素材としての和紙はもとより、ホテル、住宅、店舗の内装も手掛ける。

 Profile 谷野裕子(たにの ひろこ)
細川紙技術保持者、埼玉伝統工芸士、彩の国優秀技能者。
手漉(す)き和紙職人。
30歳を過ぎ、紙漉き職人を目指す。 現在、細川紙(2014年11月ユネスコ無形文化遺産記載登録)の正会員として工房「手漉き和紙 たにの」を運営するほか、学校・博物館・美術館等での和紙作りの指導や講演、他産地や海外での技術指導を行う。書写素材としての和紙はもとより、ホテル、住宅、店舗の内装も手掛ける。

1 今の仕事のこと

紙すき職人の世界と出あう

――谷野さんはユネスコ無形文化遺産の細川紙(埼玉県)技術保持者ですが、埼玉県生まれですか?

谷野 いいえ、岡山県で生まれ、兵庫県で育ちました。やりたい仕事があって23歳で東京に出てきました。

――何をやりたかったのですか?

谷野 本当言うと、小さいころから動物園の飼育員になりたかったの。でも狭き門でなれなくて、最終的にペットの関連品を扱う専門商社に入社しました。

その商社が埼玉県に物流センターと支店をつくることになり、私は商品管理と物流のシステム開発担当となりました。最初は都内から通っていましたが、会社が埼玉県熊谷市にマンションを借りてくれ、ちょうど結婚したころで、熊谷に住み始めました。

休日に周辺をドライブしていたら、小川町周辺にいっぱい和紙の工房があったんです。昔話に出てくるような世界に見えました。平成初めのころです。和紙自体は知ってはいましたが、「本当につくっている人たちがいるんだ」と感動しました。

職人によってすかれた紙が整然と積みあがっていくのを見て、「あんなにきれいな紙ができるの? あれを作りたい」と、あと先考えず、やってみたいと思いました。
コンピューターの世界は夜中じゅう仕事なので、システム開発をこの先ずっと続けていくのは無理だと感じていました。そんな中、ものづくりの世界に出あい、飛び込んでみようかなと思ったんです。

――そこが不思議なんですよね。コンピューターと伝統技術と、真逆の方向ですよね。自分の足で立って、自分で何かを生み出すことに谷野さんの視点が移っていったのでしょうか?

谷野 きっとそうだったと思います。20代はやりたい夢もあって東京に出てきましたけど、夢破れることばっかりでした。
たまたま伝統工芸にふれて、何かが心に染みてきたんです。「静かに長くできる仕事かな」「一から取り組んでみるのもいいかな」とも思いました。

そこで、弟子を募集している工房を探したんですけど、和紙の需要が減っていたので、だれもうちに来て勉強していいよという感じではなかったですね。

テンポよく紙をすいていく谷野さん
紙をすく谷野さん

やっぱりあきらめられない

谷野 1年くらいで物流センターと支店がたちあがりました。子どもがほしいし、仕事にも疲れていたので環境を変えようと思い、思い切って会社をやめました。

和紙をやってみたい。とはいっても、私が好きなことをやるとなると、生活がなかなか成り立たない。でもやりたい……と思いつつ、紙に関わっていたくて、絵本の出版社でアルバイトを始めました。そこで「復刻版」という和紙でできた、ものすごくいい本に出あい、「やっぱり和紙をやりたい。こういう本を作りたい」と心底思いました。

紙すきをあきらめきれず、アンテナを張り巡らしていました。すると埼玉県の広報誌で、県と小川町が後継者育成事業をするというお知らせが目に飛び込んできました。

行ってみると、15人採用のところ100人以上の応募者が来ていました。女性も多かったですよ。たぶんバブルがはじけて、みんな考え方が変わるタイミングだったのかもしれません。

私は30歳を過ぎていたし、そう簡単には採用してもらえないと思って、「採用してもらえたら和紙の産地に移住します」と宣言したんです。

私だけ置いていかれる…

谷野 うれしいことに研修生に採用されました。研修は土、日曜に行われ、期間は5年間です。
紙をすくなら、水のきれいなところに移ってこないとだめだと思って、ときがわ町に小さな家を建て、そこからがスタートです。30年前のことです。
研修を受けながら、出版社のアルバイトもして出産もして、何もかもが一気にやってきました。

――すごく忙しいじゃないですか。

谷野 しんどかったですよね。だけどそのときは34歳でまだ元気がいいから、「行けー! 進めー!」で始めちゃったんですね。

――月曜から金曜は仕事をして、土、日曜で紙すきを学ぶ生活。

谷野 その予定でしたが、主人の両親が近くに来ることになって、そのあと義母が大腿骨の骨折で寝たきりになってしまって、そこからが大変でしたね。
研修をがんばりたいと思っても、研修に行けない日も出てくるんですよ。家族がいるので、自分のためだけに時間を取るわけにはいかないですよね。
「みんな研修に行けてうらやましいな」と、ほかの研修生たちから置いていかれる感じがして、めげそうにもなりました。

――その気持ち、分かります。

谷野 でも、大変だと嘆いていてもしょうがない。受け入れるしかない。「今、この状態で、自分にできる精一杯のことをやりなさい」と神さまに言われているんだなと思って、「今できる最大のことをやればいい」と考え方を変えました。

「人より遅くても、それはそれと、自分を人と比べないようにしよう。この道を目指したんだから、自分は自分の速度でやっているんだから、心配しなくてもきっと大丈夫」って、開き直って思うようにしましたね。

そうしないと生き残れない。めげちゃうじゃないですか。なんの根拠もないですけど、そう思うしかなかった。
今になってみると、少しずつしか進めなかったけど、崩れることはなかったですね。むしろゆっくり進んで私は良かったと思います。それは紙と同じです。

――どういうことですか?

谷野 100年200年残っている紙は自然の素材を使い、手間と時間をかけて丁寧につくられたものです。一方で、すぐにできたものは、すぐにだめになりやすい。高度成長期に急に紙が必要となり、薬品を使って短時間でつくった紙は、もう残っていません。時間をかけてじっくり作ったものはそう簡単には崩れないんです。

それと同じで、少しずつ自分のできる範囲で、いろいろ考えながらやる。そうやって遠周りをしたことが、むしろ私にとっては良かったかなと思っています。
研修に行けないなら、家で自主練をすればいいと考えを変えて、自分の小さな作業場をつくりました。

細川紙技術者協会から声がかかる

谷野 そんな生活を続けて3年目に細川紙技術者協会から声がかかり、こちらにも研修生として入りました。細川紙は小川和紙の最高級で、国の重要無形文化財の指定を受けています。

――谷野さんの努力と技術が認められたのですね。協会では何をするのですか?

谷野 国指定をいただいてる協会なので、技術を残していくのが仕事です。その後2014年、細川紙はユネスコ無形文化遺産に日本の手すき和紙技術というカテゴリーで、岐阜の本美濃紙と島根の石州半紙とともに記載登録されたんです。

技術を次の世代へ。子どもたちが卒業証書の紙をすく

谷野 なるたけ次の世代に和紙の技術を伝えていきたいと思い、20年前から子どもたちに、自分の卒業証書の紙をすいてもらっています。
紙すき道具一式を車に積んで、こちらから学校へうかがいます。ときがわ町だけでなく、近隣や都内でもやっています。

――子どもには単なる卒業証書じゃなくなりますね。

谷野 社会教育の一環として始めた卒業証書づくりですが、毎年続けていくためには原料を安定的に入手できることが必要です。そのため20年前から、紙の原料となるコウゾの栽培にも取り組んでいます。

コウゾの株300本を購入して50本ずつに分け、自分でも植えましたが、畑を持っている方にもお願いしました。上手に育ててくださる方がいたら、「必ず買います」って株を増やしていったんです。
今、一番大きな畑が1000株になりました。その畑は当初、50本のうち5本しか育たなかったのですが、協力してくださる方々が「悔しい」と言ってコウゾの産地に勉強に行かれたりして1000株にまでなったんです。地域の人たちに助けてもらって本当にありがたいです。

ここ5,6年でやっと形が整ってきて約2トン収穫できるようになりました。それでなんとか自分たちが使う量はまかなえるかなという感じです。

身長より高く伸びたコウゾ畑の雑草を刈り取る、地元の協力者
コウゾ畑の雑草を刈り取る一般社団法人武蔵企画のメンバー。「子どもたちの卒業証書の原料をつくろうと、頑張ってくれているんです」と谷野さん

新たな和紙の居場所を探す

谷野 今、自立してくために、ホテルや店舗の内装などもやっています。ロビーや客室の壁紙や明かり、アートパネルなどに和紙を使うのです。
私は先輩方とは違う分野で、和紙の居場所を探していこうと思います。今まで和紙を使ったことのない異業種の人たちにも提案していこうと考えています。

――和紙が内装に使われると、あたたかい雰囲気になるでしょうね。でもそれだけデザイン性の高いものが求められますね?

谷野 設計士やデザイナーの意向に合わせ、毎回違うものをつくるので大変ではあります。絵柄や透かしを入れたり、立体だったり、工夫を凝らしながらつくります。

――デザイナーの希望に合わせ、毎回違うものをつくるって、かなり大変ですよね。どうやったら実現できるかなと考えるところからスタートするわけですよね。

谷野 それがおもしろいですね。
お客さんが何を欲しがっているか、どうすれば実現するのか、一緒に考えて作り上げていくのが楽しいですね。

たとえば佃煮(つくだに)専門店の社長室の内装を、貝殻を混ぜた和紙でやらせてもらいました。社長さんから「うちはね、アサリの佃煮からスタートしているんですよ」と聞いて、アサリの貝殻を砕いて紙に混ぜてすいたんです。壁紙にするとポコポコポコと凹凸が出てかわいいんですよ。「創業時の物語が表現されている」と社長さんに喜んでいただいて、うれしかったですね。自然素材だったらなんにでも合うので。

――発想力が豊かですね。

谷野 和紙でウエディングドレスを作ったりもしました。和紙の可能性を広げていきたいですね。町有林を間伐したコナラから紙にして、町の包装紙に使ってもらったり、コウゾの捨ててしまう皮のところを使って防草シートにしようかと考えたりもしています。
マスクなど医療用にも使えるかもしれません。和紙の性能を調べたら花粉をブロックするんです。ウイルスについては調べている最中ですが、ちゃんと確立してくれば医療分野でもおすすめできるのかなと思っています。

――すごい! 「伝統」を守りながら「革新」、時代に合わせて変化させているんですね。

和紙で作ったウエディングドレスは、クラシカルな雰囲気。そのドレスで作ったお宮参りのベビードレスは、やわらなか風合い
注文を受け、和紙でウエディングドレスを制作。のちにこのドレスから、子どものお宮参りのベビードレス(右)をつくったそうです

2 あなたらしくあるために大切なこと

さわやかなくらい孤独になることも必要

――一人ひとりが自分らしくあるために何を重視したら良いとお考えですか?

谷野 「絶対に人と比較してあせるな」と言いたいですね。あなたにはあなたの生き方がある、そう思ったときに強くなれるから。
気にしちゃうからイライラするので、「自分は自分」と、さわやかなくらい孤独になった方がいいですよ。だれも私のこと知らないかもっていうくらい孤独になるかもしれないけど、大勢の中でもまれてややこしいときもあるから、そのくらい孤独を味わうことも必要なんです。

私もすごく孤独でした。相談する人もなくて、頭の中は親の介護のことばっかりになって……。一人で勝手に妄想して、みんなは勉強していて私だけ置いていかれる気がしたんですよ。
でも、それもくだらないことだな、とだんだん思うようになって、できることをやろうと。紙がすけないなら、紙に関する本を図書館から借りてきて全部読もうとかね。

――読んだのですか?

谷野 そうです。現実として紙がすけないなら、将来和紙のことを聞かれたらなんでも答えらえられるようにしよう、本を読んで勉強することはできるよね、と考え方を変えました。

今、実際にホテルや店舗作りなどいろいろなこと――たとえば茶室のしつらい、ふすまの造り方、屏風の作り方など――に、そのとき学んだことが役立っています。
だから、できることを精一杯やっていれば、きっと実を結ぶときが来る。経験上、そうなっているところもあるので、あせらないでほしいですね。だって自分らしさは30代、40代、50代で変わっていくし、毎日一生懸命、できる範囲で頑張る。そうすれば少しずつでも進歩していると実感できると思います。

谷野さんが手掛けたホテルのフロントの内装。ふんだんに和紙が使われ、趣とあたたかさを添えています
谷野さんが手掛けたホテルのフロントの内装。天井、壁面などに和紙がふんだんに使われ、趣(おもむき)とあたたかさを添えています。壁面上部の、内側から照らし出された和紙には紅葉がすき込まれています

3 未来を生きる子どもたちへ

強い人は変化に対応できる人

――次の世代の子どもたちに生き抜く力を与えるメッセージをお願いします。

谷野 子どもたちにときどき聞きます、「強い人ってどんな人?」って。力がある人? 健康的な人? お金がある人? そうじゃなくて「変化に対応できる人」だと経験から思います。
義母が寝たきりになったとき、私は開き直るしかなかったわけですが、気持ちを切り替えて変化に対応してきたことで、崩れずになんとかやってこれたのだと思います。

それから、人と比較しない。比較すると自分らしさがなくなりますね。人のことばかり気にしていると、心の中が恨みつらみでいっぱいになっちゃうでしょう。
そんなに急ぐことはないし、自分を信じて、失敗はたくさんした方が良いと思います。私も失敗の塊です。失敗しないと次のフィールドに行けないですよね。

取材を終えて
谷野さんの人生哲学「できる最大限のことをする」

谷野さんは10年前から個人的に、インドネシアのバリ島で紙すきを教えています。ある大学教授から「生活が厳しいバリの山間地の人たちをなんとかしたい。バリの植物で紙を作って村の収入源にならないかしら?」と相談を受けたからだそうです。

日本ではコウゾ、ミツマタ、ガンピを原料に、トロロアオイをつなぎにして和紙をすいています。「紙は地元の木で、土で、水で、すくのが一番」と、バリでは、コウゾの代わりに「幸福の木」、トロロアオイの代わりに「月下美人」を原料にしているそうです。どちらもいっぱい生えているとか。

それにしても驚いたのは、本格的に仕事としてやれるようになってほしいと、自腹でバリの人たちを谷野さんの工房へ招いたこと。「やるからには、できる最大限のことをする」、そんな谷野さんの人生哲学がここにも感じられます。

和紙の風合いをまねた紙は、本物の味わいには及びませんが、現代の工業技術で手軽に作ることはできます。だからなおさら、伝統の「紙すき技術」を残し、次の世代に伝えていく必要があるのでしょう。
その一方で、海外では紙すき技術自体に価値があり、必要とされています。日本の伝統技術が、世界でだれかを支えている、という事実に感慨を覚えます。

取材日:2022年10月15日
綿貫和美