川越・氷川神社裏手を流れる新河岸川には約500mの桜並木があります。
太平洋戦争のさなか、川越の銘菓「亀屋栄泉」の中島良助当主(当時)は戦地へと出征したふたりの息子の武運を祈り、勝戦の際には桜を植えて祝おうと、苗木を農家に依頼して育ててもらっていました。しかし戦況が悪化、最初の苗木は四散してしまいました。
やがて終戦を迎えましたが、息子たちが帰ってくることはありませんでした。
中島当主は、息子たちや戦地に散った多くの兵士の慰霊のため、昭和32年に300本の桜を新河岸河畔に植え、「誉桜」(ほまれざくら)と命名しました。
しかし、植栽の翌年、桜の開花を見ることなく中島当主は亡くなりました。
桜並木を絶やさぬように
終戦から70年以上が経ち、300本あった桜の木も老木となり、101本になってしまいました。そこで、氷川神社の山田禎久(よしひさ)宮司の「新河岸川沿いに桜並木をつくりましょう」という発案から、10年程前に地元有志「桜を愛する会」の手で、新たに16本の苗木が植栽されました。
ある程度桜の木がそろいましたが、桜並木がない場所があるとのことで、今年(2022年)、さらに20本の桜を植栽する計画を立てました。川越市に申請したところ2022年に市制100周年を迎える市の事業のひとつとして、植栽を行うことになったそうです。河畔には「市制100周年」を記念したプレートを付ける予定なのだとか。
記録として残して後世に伝えていくことが大切
今までの植栽事業について記録に残そうという話があがっています。
「話し合いの段階から植栽までの記録を伝えていくことが大事なので、資料が残っていれば、次の時代の人が、前回はこういう風にやったのだと分かるから、ここで終わらせるのではなく、きちんと資料として残すのです」と金子会長と村田会長は話してくれました。
桜を絶やさず、桜並木を維持することで、川越観光に訪れる人の目を楽しませるのはもちろん、地元住民にとっても住みやすい街になるのだそうです。
◆取材を終えて 美しい桜並木には、こんなにも悲しい歴史があったのだと思いました。今回、植栽の様子を見学させていただきました。今はまだ細い苗木が、時間をかけてゆっくりと成長していく姿が楽しみです。 取材日:2022年2月1日 水越初菜