一つはご当地ヒーローの活躍を後押しする団体、もう一つは認知症への理解に向けて活動する団体。清水智恵子さんは、この全く内容の異なる二つの団体を立ち上げ、代表を務めています。今に至るまでにはどのような経緯があったのでしょう。これまでの歩みを伺いました。(彩ニュース編集部)
・“お母さん”になりたくて
・自力で立ち上げた保育園が1年で閉園へ
・「埼玉戦士さいたぁマン」を発案・実現
・子どもたちの喜ぶ姿が励みに
・誰もが気軽に集まれる「認知症カフェ」を
・心と時間に余裕を持つことが大切
・やってみなければ分からない
Profile 清水智恵子(しみず ちえこ)
職業:オリジナルヒーロープロダクション「ミルクルーウェルプロモーション」代表・「NPO法人みんなのちから笑顔会グループ」代表理事
1979年羽生市生まれ。羽生市在住。高校卒業後にさまざまなアルバイトを経験。結婚、出産後の2008年に「株式会社ミルクルーウェル」を設立(後に解散)。翌年に保育園を開園するも1年で閉園。2009年、自身発案のご当地ヒーロー「埼玉戦士さいたぁマン」のマネジメント開始。2018年、認知カフェなどを主催する「NPO法人みんなのちから笑顔会グループ」を設立。メンタル心理カウンセラー、上級心理カウンセラー、認知症介助士などの民間資格を持つ
Profile 清水智恵子(しみず ちえこ)
職業:オリジナルヒーロープロダクション「ミルクルーウェルプロモーション」代表・「NPO法人みんなのちから笑顔会グループ」代表理事
1979年羽生市生まれ。羽生市在住。高校卒業後にさまざまなアルバイトを経験。結婚、出産後の2008年に「株式会社ミルクルーウェル」を設立(後に解散)。翌年に保育園を開園するも1年で閉園。2009年、自身発案のご当地ヒーロー「埼玉戦士さいたぁマン」のマネジメント開始。2018年、認知カフェなどを主催する「NPO法人みんなのちから笑顔会グループ」を設立。メンタル心理カウンセラー、上級心理カウンセラー、認知症介助士
1 今の仕事のこと
“お母さん”になりたくて
――子どものころはどんな夢を持っていましたか。
清水 私は小学生のときからずっと「お母さん」になりたいと思っていました。近所に保育園があり、小さな子どもが身近にいたからかもしれませんが、目指したのはなぜか保育士ではなく、お母さんでした。それが高校卒業時まで続いたので、アルバイトをしながら、その機会を待つことにしたんです(笑)。レンタルビデオ店や工場のスタッフ、会社の事務職など興味の向くまま、いろいろな仕事を経験しましたね。そして、21歳で結婚し、2年後に長女を、その2年後に長男を出産しました。
――でも、“お母さん業”に専念するわけではなかったのですね。
清水 新しいことにチャレンジしたい、いろいろなことをやってみたいという気持ちが強いので、専業主婦には向いていませんでしたね。
自力で立ち上げた保育園が1年で閉園へ
――2008年に会社を設立したのはなぜですか。
清水 当時、経理として働いていた会社の社長から「新事業を始めるので、別会社をつくらないか」との打診があったのがきっかけです。聞いたときは戸惑いましたが、好奇心から設立することにしました。ただ、設立後、母体の会社が傾いてしまったんです。
――それでどうされたのですか。
清水 どうしようかと思っていたところ、人から人へとつながり「もともと保育園があった場所で新たな保育園をつくっては」という話が舞い込みました。保育園の設立にはたくさんの書類が必要なので、私はそこから猛勉強。全部1人で準備をして開園にこぎつけました。
でも、私自身が保育士ではないので資格のある人を雇うための人件費などもかかり、うまく経営することができませんでした。借金ができてしまい、先が見えなくなったので1年で閉園しました。自分のできる範囲を超え、無理をしたことが原因かなと思っています。
「埼玉戦士さいたぁマン」を発案・実現
――次に始めたのが、ヒーロープロダクションですね。「埼玉戦士さいたぁマン」は、どのようにして誕生したのですか。
清水 保育園を経営していたとき、例えば子どもたちへの「歯を磨こう」といった呼びかけも、ヒーローが伝えるとインパクトがあるのではと考えたんです。当時、埼玉県のマスコット「コバトン」が注目されていたので、埼玉のヒーローをつくることにしました。ヒーローの“中の人”は、私が趣味で続けているバンドのメンバー(古池真吾さん)が引き受けてくれ、埼玉の歴史や特産品などを盛り込んだシナリオも併せて手掛けてくれることになりました。
衣装は、洗濯ができたほうがいいと思ったので布製です。私がデザインし、母にも手伝ってもらって手作りしました。完成してからは、自分の保育園だけでなく、他の園でもイベントを開いたりしましたね。
――思い立ったらすぐ行動ですね。ご当地ヒーローのマネジメントという初めての仕事で戸惑ったことはありませんでしたか。
清水 埼玉県の公認ご当地ヒーローになったので県主催のイベントには参加できましたが、どうしたらいろいろな場所に呼んでもらえるのかが分からず、とりあえず企画書を持って商業施設などを回りました。でも、相手にしてもらえないことが多かったですね。訪問先の人に何を勘違いされたのか、私が帰った後、県に問い合わせをされてしまったこともあります。
やる気はあるのにうまくいかないので、一時、気持ちが落ち込んだりもしましたが、どこからか情報を得た人から連絡があり、少しずつイベントに呼ばれるようになりました。2017年に古池が人命救助をした際、さいたぁマンの中の人として大きく報じられたことも知られるきっかけになったのかなと思います。
子どもたちの笑顔や応援が励みに
――やりがいを感じるのはどんなときですか。
清水 イベント会場に集まった子どもたちが笑顔で楽しんでいたり、さいたぁマンを大きな声で応援していたりする姿を見ると、うるうるしてしまいます。私が応援されているわけではないのに「ありがとう。頑張るよ」という気持ちになりますね。コロナ禍ですが、ネットでの動画配信や独自のイベント開催なども企画しながら続けていきたいです。
誰もが気軽に集まれる「認知症カフェ」を
――NPO法人の設立は、何がきっかけだったのですか。
清水 7年ほど前、もう一人のバンドメンバー(近藤健史さん)の紹介で市外の介護施設で働き始めたことです。そこで開いていた「認知症カフェ」を地元・羽生市にもつくりたいと思いました。認知症カフェは当事者や家族、相談員はもちろん、認知症に興味のある方など職業や年齢に関係なく誰もが集まれる場です。同じ悩みを持っている人同士が話せるのもいいなと思い、3年働いた介護施設を辞めて活動を始めました。今考えると、辞めなくてもできたと思いますけど(笑)。
プロダクションもNPO法人も、目指しているのは「笑顔」です。みんな、笑っていたほうがいいですからね。
――NPO法人を設立した後、メンタルにかかわる資格を取ったそうですね。
清水 活動に役立てようと勉強を始めたのですが、受講してみたら自分の今の状況を客観的に判断できるようになり、私自身のためにもなりました。知らなかったことを知るのは楽しいですね。高校を出てからヤンチャな生活をしていたので、特にそう思いました(笑)。
――こちらの認知症カフェは、どのような内容なのですか。
清水 どなたでも来やすいように、公民館などを会場にしています。コロナ禍によりオンラインでも開催しましたが、やっぱり皆さんには対面のほうが喜んでいただけますね。
物作りや絆づくりも目的にしているので「つくろうカフェ」の名で開催することもありますし、もともと全国的に認知症カフェには「オレンジカフェ」という別名が付けられています。でも、これから私たちは、あいまいにせず「認知症カフェ」の名称で開催していく予定です。それは、認知症という言葉を使った場所に気軽に集まれるような羽生市になってほしいからです。そうならなければ、認知症に対する偏見がなくならないのではと、私は思っています。
2 あなたらしくあるために大切なこと
心と時間に余裕を持つこと
――清水さんは、子育てをしながら自分のやりたいことを実現されてきました。その中で大切にしていることは何ですか。
清水 保育園経営の失敗で学んだのが「無理をしない」「詰め込み過ぎない」ということです。以来、心と時間に余裕を持ち、“今、自分のできることをできる範囲でやること”を心掛けてきました。もし子どもに何かあったときにすぐ対応できなかったら、自分のメンタルにもきますから。私の場合、今後、子どもの手が離れてプロダクションの仕事に時間を割けるようになったら、さいたぁマンももっと活躍できるかなと思っています。
自分自身が楽しむことも大切にしていますね。これまで私はいろいろ失敗してきましたが、それは全部良い経験として受け止めています。でも、いつかは「失敗しないので」と言いたいです(笑)。
3 未来を生きる子どもたちへ
やってみなければ分からない
――現代の子どもたちへメッセージをお願いします。
清水 選べるのなら、自分の好きなほうへ進みましょう。今はさまざまな生き方ができる時代です。何が正解かはやってみなければ分かりません。もしうまくいかなくても、それはそれでいいとポジティブにとらえ、次に向かえばいいんです。生きていれば、それができます。
SNSの誹謗(ひぼう)中傷なども気にしないことです。私がさいたぁマンの活動を始めたころ、SNSでいろいろ言われましたが、「それだけ知ってくれているんだ」と思うようにしました。知らない人に言われた言葉より、自分が実際にやってみて得たもののほうが重要です。
取材を終えて
人を笑顔にすることを目指しているだけあって、清水さんは、よく笑う方でした。インタビュー原稿の中にも「(笑)」をいくつか入れましたが、確実にそれ以上の回数、声を出して笑っていらっしゃいます。
プロダクション名の「ミルクルーウェル」について、事前に調べても意味が分からなかったのでご本人に尋ねたところ、当時、飼っていた愛犬の名前「ミルク」に、音の響きの良さだけで「ルーウェル」を付け足してつくった言葉で、意味はないのだと教えてくれました。世界に一つの言葉にすることで、検索されたときに他に被らないようにするのが狙いだったそうです。ただその結果、言いにくい、覚えにくいという反応が多く、「申し訳ない(笑)」とのことでした。
自然体でさまざまなことを受け入れ、興味を持った方向へ積極的に動いて実現させている清水さん。これからもパワフルに、どんどん新しいチャレンジを続けていかれると思います。
取材日:2021年3月24日
矢崎真弓