どうしたらできるか考えることで 次へ進める(義手ギタリスト Lisa13)

2021年のパラリンピック閉会式で、ギタリストとして演奏を披露したLisa13(以降「リサ」)さん。生まれつき右手がないリサさんが、どういう考え方をして行動し、物事を好転させてきたのか、お話を伺いました。(彩ニュース編集部)

Profile Lisa13(リサ サーティーン)
職業:ギタリスト 
BAD BABY BOMB ギター、ボーカル、作詞作曲担当
1995年1月5日生まれ。先天性四肢障害により、右手首から先がないながらも小学校 6 年よりギターを始める。ギターを弾くためのピック装具(義手)を父と作製。ギターを始めたきっかけは小さいころから音楽のある環境で育ち、母の CD コレクションから布袋寅泰 と X JAPAN の hide の CD を見つけ、彼らの派手でおしゃれなプレイスタイルにひかれたため。高校時代にギターを田中一郎氏と斉藤光浩氏に習う。パラリンピック2020閉会式出演。モデル活動経験あり。趣味はバードウォッチング、英語・韓国語の勉強、カフェ巡り。

・幼いころから常に家には音楽があった
・右手がないなら、ギターのための義手をつくればいい
・高校で現役ギタリストから学ぶ 自分の引き出しが増えていく楽しさ
・好きなこと一筋に、年齢なんて関係ないという境地を
・ありのままの自分を受け入れ、目標を立てて
・打ち込めるものを見つけ、筋道立てて地道に努力
・「無理かな」ではなく「どうしたらできるか」考える

1 今のこと

幼いころから常に家には音楽があった

――小さいころの記憶はありますか?

リサ 幼いころから記憶にあるのは「音楽」ですね。常に家に音楽がある環境だったんです。
母は音大を出ていてピアノと声楽をやっていたし、祖父は趣味でハワイアンバンドでギターを弾き、父も趣味でサックスを吹いていて、私の周りには常に音楽がありました。

――今につながる原点ですね。ところで、障がいがあるということを自身で意識したのはいつごろですか?

リサ 私は生まれたときから右手がなくて、先天性右全手指欠損というそうです。
でも両親は「あなたは人と違うんだから」と言うこともなく、普通の一人の女の子としてずっと生活してきたので、「右手がないな」と意識したことはなかったんです。
「ちょっと人と見た目が違うな」と思っていたかもしれないですけど、それで何かマイナスになるとも感じていませんでした。

――個性的でいらしたから、一目置かれていたんですね。

右手がないなら、ギターのための義手をつくればいい

――リサさんが一般の人と違うのは、どんどん自分を前に出して自己表現されるところだと思います。それができるのはなぜだと思いますか?

リサ 私は小さいときから両親に、「自分の好きなことを見つけてごらん。打ち込めるものがあったら、右手があろうがなかろうが関係なく、やっていけばいい」という考えのもと育てられました。それが影響していると思います。

母がいろいろなアーティストのCDをいっぱい持っていて、たまたま聞いていたら、布袋寅泰さんだったりX JAPAN のhideさんだったり、ギタリストにスポットが当たっているバンドに自然とひかれたんです。

「ギタリストってかっこいいな。私もそうなりたいから、どんどん表に出ていこう!」と思うようになりました。中学1、2年生のときです。

――打ち込めるものを見つけたのですね! でも困難なこともあったのでは。どうやって練習したのですか?

リサ 祖父のアコースティックギターが家にあったんです。
でも体がまだ小さかったからギターの弦を押さえるところ(フレット)が見えなくて、お琴のようにゴロンと横にして、コードの練習から始めました。

そのときはただポロロンと鳴らす感じで、ギターのピックをどうしようとか、どうやったらちゃんと弾けるかとか、そこまで考えがいたっていなかったんです。
中学1年生のとき、お年玉をためてエレキギターを買って初めて「あれ、どうやって弾こう?」となったんですよ(笑)。

困って父に相談したら、「作るしかないね」となって、父と私でギターを弾くための義手を作ることにしたんです。

――「無理だよ」ではなく、「じゃあ、どうしたらできるか考えよう」というスタンスなんですね。

リサ 常にそういう育てられ方をしていますね。

義手は、最初アクリル板で作ったり、軽くしようと素材をかえたり、試行錯誤でした。ビジュアル的にもいろいろリクエストするんですけど、父はちゃんと期待に応えて、いい感じに作ってくれます。
革の部分を縫うのは母です。革は硬くてなかなか針が通らないんですけど、きれいに縫ってくれます。今使っているのは7代目です。

これをはめると、「今日もやるぞ!」「今日も私が一番目立つ!」という気持ちになりますね。

ご両親が作るギターを弾くための義手も7代目に。とがって見えるのはギターのピック

高校で現役ギタリストから学ぶ 自分の引き出しが増えていく楽しさ

――この義手でどうやって繊細な音を出すのですか?

リサ 私は手首から先の骨がないので、健常な人で言うと、手首でギターを弾いているようなものなんです。
普通は指先で弦をはじいて音を出しますが、私の場合、手首の回転を利用して演奏します。

「義手を手に固定して、一つの弦だけを弾くときは、こんな風に右手首の回転で演奏します」

――その回転で、あれだけ繊細な音が出せるなんてすごく不思議です。デビューできるまでの実力をつけるのに相当ご苦労されたのでは。どれくらい練習したのですか?

リサ ギターを始めた中学生のころは、自分の腕となるように、一日中無我夢中で、ああでもないこうでもないと言ってとにかく練習していましたね。

高校に入るまでは独学でしたが、高校は音楽専攻がある学校に行きました。
ステージでギターをかっこよく弾いている方たちに習いたかったので、甲斐バンドの田中一郎さん、BOWWOWの斉藤光浩さんがギター講師をされている高校に入学を決めました。

――実際に習ってどうでしたか?

リサ 曲を流して、一緒にアドリブみたいな感じでセッションするという授業がメインだったので、すごくためになりました。
自分の引き出しがどんどん増えていく、自分で作り上げる力がつく、実践に強くなれる、そんな授業でした。

――リサさんが今活動されているバンド「BAD BABY BOMB」の曲にも、ギターの演奏が光る場面がいっぱいありますよね。

リサ ポイントポイントで、ここはギターが出るところとか考えて作っています。

――えっ、曲も作られるのですか!

リサ BAD BABY BOMBの作詞、作曲もしています。

――曲作りはどうやって勉強されたのですか?

リサ ギターを始めた中学生のころからなんですけど、まず、こういう感じの曲を作りたいなというところから始まるんです。
それに沿って、既存の曲にどんどんアレンジを加えていき、オリジナル曲を作るようになりました。完全に独学です。

Lisa13

――バンド活動をするようになったのはいつからですか?

リサ 高校を卒業してすぐ、19歳で初めてライブハウスで演奏しました。そのバンドで6年間、大阪や韓国など各地でツアーをしていました。
そのメンバー1人と私とで組んだバンドが、今のBAD BABY BOMBです。ポップでキャッチ―な4人組の女の子のバンドで、海外も視野に入れています。2020年3月14日にデビューしました。

好きなこと一筋に、年齢なんて関係ないという境地を

――これから目指していきたい方向は?

リサ 私のバンドを知ってくれる人って、私の障がいを全く知らずに、音楽から入ってきてくれる人が多くて、私の写真を見て初めて、右手が無い子なんだと気づくんですね。
ずっとそういう感じだったので、右手のことをあえて出さなくてもいいと思っていました。

でも、義足をデコレーションするのが好きとSNSに出している友達を見て、障害のある人たちの励みになるかもしれないし、積極的にということではありませんが、「義手ギタリスト」と出してもいいかなと思うようになったんです。

曲はいろいろなタイプのものを作っていきますが、姿勢としては、「義手でもステージで演奏している人もいるんだよ」ということを知ってもらえるような活動もしていければと思っています。

――目標とする人はいますか?

リサ 高校で習ったギターの先生、甲斐バンドの田中一郎さんと、BOWWOWの斉藤光浩さんです。表現などいろいろなことを教えていただき、その生き方にも刺激を受けました。
彼らはもう60歳を超えているんですけど、今もライブハウスでバリバリ演奏していて、滅茶苦茶カッコイイんですよ。
好きなことを一筋に、年齢なんて関係ないという境地を目指したいです。

2 あなたらしくあるために大切なこと

ありのままの自分を受け入れ、目標を立てて

――自分らしく生きていくために何を大切にしたらいいと思いますか。

リサ 自分に素直であることが大切かなと思います。
私の場合は右手がないから、ありのままの自分を受け入れて、好きなものを見つけたら、それに向かって地道に努力することですね。
それと目標を立てることを忘れないでほしいです。

――いつも目標を立てているのですか?

リサ はい。たとえばギターを始めたころは、この曲をいつまでに弾けるようにするとか。そうしないとメリハリがつかないじゃないですか。

――その通りですね。「自分に素直である」とは?

リサ 私の場合で言えば、曲づくりの上で、自分の表現したいことをまず一つ中心において、そのあとに、流行などを少しずつ取り入れたりして作っていきます。
自分のキャラや個性のようなもの、それが一番のベースとなるので、そこを大事にしないと、音楽とかアートとかファッションってブレてしまうと思います。

――何かを生み出すには、自分に素直であることが大切なんですね。

3 未来を生きる子どもたちへ

打ち込めるものを見つけ、筋道立てて地道に努力

――これからの子どもたちへ、生き抜く力を与えるメッセージをお願いします。

リサ 打ち込めるものを見つける。
健常者であっても障がい者であっても、何か打ち込めるものや、好きなものを一つでも見つけられたら、それを磨いていく。
そしてそれ以外にも、自分にプラスになること、たとえば引き出しを増やしていくのも楽しいと思うんですよね。積極的にやってほしいですね。

ただ「周りがやっているから自分もこうやればいいや」というのでは、確かにその場ではうまく立ち回れるかもしれないけど、いつか意識が高い人に負けてしまいます。
高みを目指したい、こういう風になりたいと思っている人こそ、ちゃんと筋道を立てて地道に努力をしていくのが、生き抜く力になるのではと思いますね。

取材を終えて
「無理かな」ではなく「どうしたらできるか」考える

2021年のパラリンピック閉会式で、リサさんはギタリストとして演奏を披露され、大役をみごとに果たされました。その姿も演奏もまさにカッコよくて、私はこの原稿を書いている最中だったので自分のことのようにうれしくて、テレビにくぎ付けになりました。
取材の中でエレキギターを買った話がありますが、中学1年生の私だったら、右手がないと我に返ったとき、真っ暗な気持ちになってしまうだろうと思い、「無理かなって思うシチュエーションは生きていればありますよね?」とたずねました。
すると「無理かなと思ったことはないですね。なんとかできるはずだと思うんです」。そして「私の場合、まだそういう事案に直面していないんですよ」と、サラリと話すリサさん。
……。私は一瞬言葉を失いました。そして、その力強さこそがリサさんなのだと納得し、「たぶん一生ないかも!」と言うと、その場は笑いに包まれました。それくらい明るくてカラッとした雰囲気だったのです。
リサさんは「親から、自分ができないことだったら頼っていい。いろんな人に助けてって言えばいいと教えられているので、たぶん直面したらそうすると思います」とニッコリ。
ご両親の言葉をまっすぐ素直に受け止め、いつも自然体で乗り越えてきたリサさん。
こんな風に物事を考えれば好転していくということを証明しています。

取材日:2021年8月3日
綿貫和美