今、日本の森が抱える問題をご存じですか? 昭和30年代、住宅需要を見込んで大量に植林されたスギやヒノキなどの人工林は、今や森の4割を占めています。その中には、適切に管理されず放置されているところもあり、土砂崩れや洪水が起きやすくなる要因にもなっています。適切な間伐、管理が必要です。秩父の人たちは森の問題と向き合い、新しい林業の形を模索し、活動を開始。秩父出身の井原愛子さんはそうした地元の取り組みに感銘を受け、外資系企業を退職しUターン、“山と街をつなぐ秩父の地域プロデューサー”として精力的に活動しています。井原さんにお話をうかがいました。(彩ニュース編集部)
・志望校に入れなかったおかげでロンドンに留学
・秩父の人と森の活動に感激
・心に火がついた
・秩父メープルの拠点「MAPLE BASE」オープン
・いいと思うことは仲間と一緒に
・自分の思い通りになることが一番いいこと、とは限らない
・森の問題に向き合う秩父の人たち
Profile 井原愛子(いはら あいこ)
職業:TAP&SAP代表取締役
埼玉県秩父市生まれ、在住。海外の音楽やライフスタイルに興味を持ち、学生時代にイギリスに留学。大学卒業後、外資系家具販売会社に入社し、マーケティングや販売プロモーションの企画・プロデュース業務など、物流から販売までさまざまな部門を経験。2013年、秩父の森づくりを行っているNPOの活動に参加したことにより、秩父にUターンを決意、2014年帰郷。山と街をつなぐ秩父の地域プロデューサーとして、持ち前の旺盛な好奇心とフットワークの軽さを生かしてアクティブに活動中。第13回さいたま輝き荻野吟子賞さわやかチャレンジ部門受賞。埼玉県森林審議会委員(第35期)。
Profile 井原愛子(いはら あいこ)
職業:TAP&SAP代表取締役
埼玉県秩父市生まれ、在住。海外の音楽やライフスタイルに興味を持ち、学生時代にイギリスに留学。大学卒業後、外資系家具販売会社に入社し、マーケティングや販売プロモーションなどの企画・プロデュース業務など、物流から販売までさまざまな部門を経験。2013年秩父の森づくりを行っているNPOの活動に参加したことにより、秩父にUターンを決意、2014年帰郷。山と街をつなぐ秩父の地域プロデューサーとして、持ち前の旺盛な好奇心とフットワークの軽さを生かしてアクティブに活動中。第13回さいたま輝き荻野吟子賞さわやかチャレンジ部門受賞。埼玉県森林審議会委員(第35期)。
1 今の仕事のこと
志望校に入れなかったおかげでロンドンに留学
――小さいころはどんな子どもだったのですか?
井原 秩父の住宅地で育ちましたが、自然が身近にありました。英語が好きで、小学生のときAET(英語指導助手)の先生と英語でコミュニケーションをとれてうれしかったという原体験があります。
高校は、第一志望はかなわず、私立に入りました。そこの修学旅行先がロンドン、ローマ、パリの3カ国で、初めてヨーロッパに行ってすごくロンドンが気に入ってしまって。
――どうしてロンドンが気に入ったんですか?
井原 もともとイギリスのロック音楽が好きだったというのもあります。あと、英語もままならない中で、自分たちで調べてバスを乗り継いでいろいろ回ったのもすごく楽しかったんです。
いつかロンドンに住んでみたいなという願望が芽生え、大学生になったら絶対イギリスに留学しようと思っていました。
留学費用をためるため一人暮らしはせず、大学では秩父から都内まで片道約2時間半かけて通いました。
――往復5時間!
井原 はい。でもその大学はイギリスよりアメリカに提携大学が多く、用意されているカリキュラムは学術的で、私が本当に学びたいものと違ったんですよね。私は音楽業界のことを学びたかったんです。「こうなったら自分で調べてやるしかない」と、イギリス大使館の留学セミナーなどいろいろ調べ、ロンドンのカレッジで学ぶことにしました。
留学先のカレッジでは単に講座を聞くだけじゃなくて、実際に音楽業界に携わっている人を自分から訪ねてインタビューしたりもしました。当時語学力もまだまだだったと思うんですけど、海外で臆することなく行動できたことが、今につながっていると思いますね。
――その後に与えた影響は大きいと思います。
井原 日本に帰ってから就職活動を始めましたが音楽業界は狭き門でかなわず、外資系家具販売会社に就職し、秩父を離れました。その企業のカルチャーや価値観が自分の考え方に合っていたので働くのが楽しくて、将来海外店舗で働いてみるのもいいなと考えていました。
でも一方で、「1企業のカルチャーしか知らないで、自分は社会で通用するのかな」という思いもありました。
秩父の人と森の活動に感激
井原 そんなときなんとなく、カエデの樹液を採って商品を開発するという秩父の活動が気になって。調べたらNPO団体「秩父百年の森」(以下「NPO」)に行き着いて、カエデの森を歩くエコツアーに参加したのが、今にいたるきっかけです。2013年のことです。
そのときは会社をやめてどうこうするとは全く考えていなかったんですけど、どういう人たちがどんな風に活動しているのかもっと知りたくなりました。NPOだけでなく、関わっているいろいろな方々にも話を聞きに行きました。
――いろいろな方にお話を聞いて、どうでしたか?
井原 感動しました。
秩父の森には全国に28種類あるうちの21種のカエデが自生しています(※カエデは広葉樹)。それは、山の持ち主が集まってできた「秩父樹液生産協同組合」やNPOが調査したから分かったことです。
日本全体として、針葉樹のスギやヒノキがどこに植わっているかは調査、管理されていますが、広葉樹って調査されていないのが現状なんですね。
でも秩父はちゃんと調査していたんです! 樹液を採るのは登録されたカエデだけで、木1本1本をしっかり見ながら、元気がなければ採らないとか、成長して直径20㎝以上になれば採るとかルールを決め、きちんと管理、育成していたんです!
むやみやたらに量だけ採って、もうかればいいということではなくて、どのくらい樹液を出したかデータ化したり、大学と連携して樹液の成分を分析したり、いろんな部分をしっかりやっていたことにも、すごい感銘を受けました。
将来、どういう森が一番いいのかという模索の中で、秩父の人たちが考えているのが「針広混交林(しんこうこんこうりん)」といって、針葉樹と広葉樹が両方合わさった森です。
今あるカエデから樹液をいただいて商品化したものをみなさんに食べてもらって、その収益を山に還元することでスギやヒノキを間伐してもらう。
その跡地にはだんだん日の光が入るようになるのでカエデを植えて、針葉樹と広葉樹を両方育てていく。
そうすれば残った針葉樹も太くて立派な、より価値の高い木に育ちますし、カエデも将来的に樹液がとれるようになって、結果として森の環境を整え、守れるのではないかという仮説のもと、その取り組みが始まっていました。
――秩父、すごい!
心に火がついた
井原 カエデから樹液を「採る人」、その樹液を使って商品を「作り、売る人」、カエデの苗を「育て、植樹する人」——。
当時、秩父ではそうした流れがすでに、地域内で循環する程度にはできていて、そのことにも感動しました。
――森の問題を解決するだけでなく、活動を持続可能にする小さな循環が、すでにできていたのですね!
井原 でも、木に関わることって時間がかかりますよね。みなさんそれぞれ熱い思いで頑張っているんですけど、平均年齢60代で、若い担い手がいないのが気になりました。
スギやヒノキを間伐し、そこへカエデを植えて育てても、樹液がとれるようになるのは20~30年後。「そのとき誰がやるの?」と危機感を覚えたんです。
それに「秩父メープル」商品のラベルデザインなどに、新しい世代の感覚が必要だなとも思いました。マーケティングにもそんなに力を入れていないようですし、何より、せっかくこれだけ良い活動をしているのに、それがあまり伝わっていないのも残念だなと思いました。
「秩父メープルの取り組みをもっと広めたいし、若い世代がその活動を引き継げるように収益化も必要。それを自分がやってみたい」と、そこで火が付いたんです。
初めてエコツアーに参加してから4カ月後には会社に退職の意志を伝えました。
――いくら秩父の方々の熱い思いと行動力に感銘を受けたとはいえ、やりがいのある仕事をやめてまではなかなか決心できないと思うのですが……。
井原 まあ、そうですよね。
当初は「安定的な会社員をやめて、どうやって食べていくの?」と、大歓迎というわけではなかったですよね。なんの見通しもないし。
でも挑戦してみたかったんです。自信はなかったんですが、外資系企業でつちかってきたマーケティングや販売プロモーションなどの経験が生かせるのでは、という思いもありました。
秩父メープルの拠点・シュガーハウス「MAPLE BASE」オープン
――退職の意志を伝えてからどうしたのですか?
井原 まず2月から3月にかけて樹液採取作業のお手伝いをしました。秩父にはカエデの木がまとまって生えている場所が少なくて、崖を下りて川を渡ってまた対岸に上ったり、寒い中、こんなに大変な思いをしながら採っているんだと身をもって知りました。でも採れる量はわずかです……。
4月には10日間勉強のために本場カナダに行ったのですが、カナダは森全部がカエデで、すべての木にパイプラインがつながっていて、ポンプで樹液を1カ所に集めて採っていました。仕組みも規模も秩父とは全く違いました。
カナダでは森の中にそれぞれの農家の小屋があって、「シュガーハウス」というんですけど、そこでカエデの樹液を煮詰めてメープルシロップをつくっています。場所によってはカフェもあり、シロップや樹液を使った商品を買うこともできる。スクールバスで製造工程の見学に来る子どもたちもいて、秩父にもこういう場所があるといいな、と思いました。
――そして2016年、カナダからメープルシロップ製造機械を取り寄せ、秩父の小高い丘の上にシュガーハウス「MAPLE BASE(メープルベース)」を実現させたのですね。
井原 「秩父メープル」のブランド発信拠点です。森の恵みを味わえるカフェやショップを併設し、未来に豊かな森を残そうとしている秩父の人たちの取り組みも紹介しています。
井原 ここをオープンできたのは、秩父観光土産品協同組合が地場のカエデを活用し、樹液でお土産品を開発してきたからこそで、組合の新規事業として補助金をいただけたからなんです。ほかにも秩父市やたくさんの方たちが応援してくださいました。
――最初は心配していたみなさんも、井原さんの活動を後押ししてくださるようになったのですね。井原さんが加わったことで活動に広がりが出てきたでしょうね。
私一人でやっているわけじゃありません。
それぞれの組合の活動に私も加わらせていただき、今までなかなか取り組めなかった秩父メープルのブランディング(ブランドの構築、管理)や運営などを任せていただいています。
――ところで、カエデの樹液はどのように採るのですか。
井原 地中の水分を吸い上げ、枝葉に行きわたらせ、芽吹くための栄養の水として樹液があって、木に少し穴をあけて樹液を採ります。私たちがもらうのって一部なので、それで木を枯らすことはないんですね。
樹液の糖度は2度弱なので、ほんのりとした甘さなんですけど、それを50分の1程度に煮詰めて甘くしていきます。
――秩父産メープルシロップの特徴は?
井原 “和”の味がしますね。きつい甘さじゃなくて、黒糖や黒蜜みたいな優しい甘さです。天然のカエデの樹液はミネラルも含めて、その土地の環境がダイレクトに反映すると思います。
2 あなたらしくあるために大切なこと
いいと思うことは仲間と一緒に楽しみながら取り組む
――一人一人が自分らしく生きるために何を重視したら良いとお考えですか?
井原 私は、自分がいいなと思ったものへの好奇心は旺盛で、すぐ飛びついちゃうし、気になったら、遠くであろうと海外であろうと、コンタクトをとるようにしていて、それでご縁がつながった経験も何度もあります。だから直感とか、興味関心のアンテナは張り巡らせるようにしています。
それと、いいなと思ったことは、周りの仲間たちと共有して一緒に楽しみたいと思っています。そういうところから新しいアイデアも出てくると思うし、大事にしていきたいですね。
3 未来を生きる子どもたちへ
自分の思い通りになることが一番いいこと、とは限らない
――次の世代の子どもたちに生き抜く力を与えるメッセージをお願いします。
井原 「自分の思い通りになることが一番いいこと、とは限らない」ということを、私は今までの失敗体験の中で身に付けていて。
考えてみると、高校も大学も就職先も、第一希望じゃないんですよね。なので私はたいぶ、自分の最初の希望と別の方向へ進んできているんですけど、気持ちを切り替えて、そこから自分の好きなものを探していくというパターンが多くて。それはそれで、自分の中では楽しんでいます。
たとえば高校のとき、修学旅行での体験にその後の進路が左右されたので、結果オーライです。公立高校に行っていたらあの体験はありませんでしたね。
音楽業界に就職はかないませんでしたが、外資系家具販売会社に入ったことでブランディングやマーケティングや販売について学ぶことができて、それは確実に今の活動に生きています。
「これがだめだったら終わりだ」と自分を追い込まないで、楽しむようにすると新しい道が開けるのではと思います。
取材を終えて
森の問題に向き合う秩父の人たち
取材場所のMAPLE BASEに向かう途中、山がうすい緑や黄緑に色づいていていました。広葉樹の芽吹きだったのでしょう。針葉樹の深い緑とバランスがとれていて、本当に美しいと感じました。その美しさは秩父の方たちの努力によるものだったのだと、井原さんのお話をうかがって分かりました。
森は広葉樹や針葉樹、高木、低木、下草、動物、昆虫、微生物など多様な生き物たちが関係しあい、バランスを保っているのが本来の姿です。
しかし今や日本の森の4割が人工林。放置され間伐が遅れると、木が込み合い、日光が林内に入らず、下草が育たなくなります。そして土壌が貧弱になり、土砂崩れなどが起きやすくなるのだそうです。
秩父の方々はそうした問題と真摯(しんし)に向き合い、行動を起こしていたことを知り、私も感銘を受けました。
「それは大変な作業ですが、秩父では、だれか一人だけがやっているわけじゃなくて、山の持ち主さんは自分たちの森をどうしていけばいいのかを考え、NPOが苗を育てて植林をサポートするといった具合に協力関係ができているんです」
井原さんや秩父の方たちの活動から目が離せません。
取材日:2022年4月19日
綿貫和美