食と栄養の専門職として、人々の健康にかかわっていく管理栄養士(国家資格)。さらに専門的な知識と技能を持つ管理栄養士への道も開かれています。そうした流れの中で、「公認スポーツ栄養士」として、全日本アスリートチームの栄養サポート、学生アスリートの栄養セミナー、日本栄養士会の発刊物の栄養監修を担当するなど、活躍めざましい小嶋理恵子さんを取材しました。(彩ニュース編集部)
・あやうい思春期
・進むなら「食」。管理栄養士を目指す
・初めて知った、学びの楽しさ
・管理栄養士の可能性に夢が広がる
・スポーツ栄養の道へ
・ポーツ栄養と地域医療に関わっていきたい
・やってみたら変わる
・サバイバル力を身につけてほしい
・怖いからこそ、素直にアドバイスをもらう
Profile 小嶋理恵子(こじま りえこ)
職業:公認スポーツ栄養士、管理栄養士。plus N代表。
共立女子大学家政学部を卒業後、給食委託会社、大学病院、総合病院にて約 10 年間の臨床経験を積む。2020 年 1 月よりアスリート栄養サポート事業団体 plus N を主宰。フィジカルコーチと連携を取り、主に学生競技者へ、勝つための体づくり、競技力向上を目指した栄養サポートを行っている。競技者が自分で食事管理が実践できる「食の自立」を目標に、食事を組み立てる力、食事を選ぶ力を具体的に指導。また、将来の体づくりの基本となるジュニア期の食事の大切さを 3 人の子育てを通して改めて実感し、ジュニア競技者育成の活動を積極的に行っている。その他にも、特定保健指導、介護予防事業への積極的な参加をしている。Saitama Smile Women ピッチ 2019 ビジネスアイディア賞受賞。
Profile 小嶋理恵子(こじま りえこ)
職業:公認スポーツ栄養士、管理栄養士。plus N代表。
共立女子大学家政学部を卒業後、給食委託会社、大学病院、総合病院にて約 10 年間の臨床経験を積む。2020 年 1 月よりアスリート栄養サポート事業団体 plus N を主宰。フィジカルコーチと連携を取り、主に学生競技者へ、勝つための体づくり、競技力向上を目指した栄養サポートを行っている。競技者が自分で食事管理が実践できる「食の自立」を目標に、食事を組み立てる力、食事を選ぶ力を具体的に指導。また、将来の体づくりの基本となるジュニア期の食事の大切さを 3 人の子育てを通して改めて実感し、ジュニア競技者育成の活動を積極的に行っている。その他にも、特定保健指導、介護予防事業への積極的な参加をしている。Saitama Smile Women ピッチ 2019 ビジネスアイディア賞受賞。
1 今の仕事のこと
あやうい思春期
――小さいころはどんなお子さんでしたか?
小嶋 よく笑い、食べることと体を動かすことが大好きな子でした。
祖父母と両親と姉と6人で住んでいて、家族にたくさんかわいがられて育ちました。祖父母や両親は折にふれ、「自分をしっかり持ちなさい。自分の道は自分で切り開きなさい」と教えてくれました。
3歳でスキーを始め、中学生から大学生までアルペンスキーの選手だったんです。
中学、高校にはスキー部がなかったので個人で連盟に加盟して、自主的にトレーニングをしていました。
中学3年のころ、アムラー、厚底、ルーズソックスがはやり、私ももれなく感化されました。友達と遊ぶのが楽しくて、学校の帰りに池袋や新宿、渋谷に寄ってカラオケに行って、そこでフライドポテトとかつまむうちに、みるみる太ってしまいました
遊びながらも、スキーのトレーニングは続けていましたが、週1回に減っていました。
ほかの日は友達と遊んでいるから、体が重くなって走れなくなるのは目に見えています。でもそのころは遊んでいることが原因と認めたくなくて、とにかく体重が増えたのが問題なんだろう、と無理な減量に取り組みました。
8~10㎏くらい減量できましたが、まあ体調が悪い。ひたすら食事を減らすことしかしていなかったので、結果フラフラになっているという感じでした。
――ご家族は心配されたでしょうね。
小嶋 家はしつけや門限に厳しかったんですが、私は友達と遊びたい方が先に立って、ほとんど守れなかったんです。
ある日、いつも一緒に遊んでいた友達の家に行ったんですけど、その子のお母さんは、ほとんどその子と話をしないんですよ。私が「こんにちは」とあいさつしても、一瞥(いちべつ)されて。
そのあと夜遅く家に帰ると、母は私を真剣に怒るんですね。「ほかの子のことは知らない。でも、うちの子である以上は見捨てないから」と言われました。
――お母さまの思いが胸にささります。
小嶋 そのとき母が私にブレーキをかけてくれたんだと思います。母も父も泣いていました。
高校2年に上がるとき、大きなことがありました。いつも一緒に遊んでいた友達が、校則を守れなくて高校をやめたんです。
それまでは私、高校にしがみついていなきゃいけないと思っていたんです。でもその子はスパッとやめてしまって、「辞めるっていう選択肢もあるのね」と……。
私は自分の選択の中で、「ここにいよう」と決めました。
――どうしてここにいようと思ったんですか?
小嶋 危機感ですね。その一線を越えちゃいけない気がしたんです。
自分がなんとかしなかったら自分の人生は変わらない、と思って。そこからですね、勉強しようと思ったのは。
――そこが一つのターニングポイントでしたね。
進むなら「食」。管理栄養士を目指す
小嶋 そろそろ進路を考える時期になりました。自身の経験から「減量と食」について考えるうち、受かるかは別として、医者もいいなあとか思っていました。
意外に化学が好きで、警視庁の科学捜査班にも興味があったんです。理工系大学のオープンキャンパスに行ったり、警視庁に電話して「どうしたら科学捜査班になれるんですか?」と聞いたりもしました。
実際にいろいろ動いて考えた結果、やっぱり「食」かなと思いました。
――それまでとガラッと変わりましたね。すごい行動力ですね。
小嶋 目標が決まると私は結構早いので、目標さえ決まればそこに集中しますね。
母に「食の道もいいかな」と相談したら、管理栄養士を勧められました。
私が通っていた学校は大学まで一貫校で、大学に家政学部管理栄養士専攻があったんです。大学の先生が高校でも教えていたので、その先生に会いに行って、「管理栄養士って何をするんですか?」と聞いたりしました。
初めて知った、学びの楽しさ
――大学の家政学部に進まれたんですね。
小嶋 はい。私、人生の中で一番勉強したのが大学のときで、授業がすっごく楽しかったんです。
実験が午前と午後にあり、レポートを書いて提出する。それが、みっちり月曜から金曜まであって、とにかく勉強しました。
なぜこうなったかを考える大学の授業はおもしろかったですね。
それから、もっと視野を広めたくて、フランス語を勉強して、大学1年と2年の夏休みにフランスへ短期語学留学をしました。ル・コルドン・ブルー(1895年にパリで設立された料理教育機関)も見学しました。
管理栄養士の可能性に夢が広がる
小嶋 人間の体は食べたものからできているんですね。「食べ物をきちんと整えることで、人間の体を整えることができる」と教わって、管理栄養士にできることって、いっぱいあるんじゃないかって夢が広がりました。
アメリカの臨床栄養師の話にも興味を持ちました。
臨床栄養のベースとなる人間栄養学について本を書かれていた細谷憲政先生(東京大学名誉教授。2016年逝去)に直接電話して、どうしたら臨床栄養師になれるのかお聞きしました。細谷先生はいろいろな先生方を紹介してくださいました。その方たちにどんどん会いに行ってお話を聞き、臨床栄養師の資格を取るためにアメリカに留学したくなりました。
3月に大学を卒業。管理栄養士の国家試験を受け、資格が取れたのは6月でした。
それからアメリカの大学にどうすれば受かるのか調べ、まずは半年間、現地の語学学校に通うことにしました。
日本の大学の学位を持っているので、アメリカで学ぶなら大学院になるんですが、まだ管理栄養士を経験していなかったので実態に即した研究テーマを見つけるのが難しく、そのテーマに合う研究をしている教授を探すにも時間が足りず、英語力も含めていろいろ困難で、結局大学院は、かないませんでした。
でも、その半年間はアメリカでさまざまな栄養士に会い、いろいろなところを見学し、知見を広げられたと思います。そして、管理栄養士として実務を積み重ね、実際に患者さんを相手に医療現場で仕事をしてみたいという思いを胸に帰国しました。
――最初はどこに勤めたのですか?
小嶋 給食委託管理会社に入りました。管理栄養士の仕事は「栄養指導」と「給食管理」がありますが、給食管理がメインになりました。献立を立て、食材を発注し、調理もします。
その一方で、私は栄養指導にも興味があったので、仕事をしながらも、栄養指導を学べる学会に入って勉強していました。
当時は日本でも病院の態勢が変わる時期で、チーム医療のNSTが導入されるときでした。
――チーム医療? NST?
小嶋 チーム医療は、患者の症状に合わせて医師や看護師、薬剤師、管理栄養士などいろいろな医療専門職が連携しながら治療にあたる、というものです。そのチーム医療の一つに、食事で、治療と患者さんの生活をサポートするNST(栄養サポートチーム)があり、導入されつつあるときだったんです。
給食委託会社もその流れに合わせていく必要があり、私は会社から、NSTの勉強のために高知県の近森病院へ研修に行かせてもらいました。日本で先陣を切ってNSTを進めていたのが、近森病院でした。
近森病院で研修させていただいた2週間は、自分にとって本当に、人生の中で何ものにもかえられないほど貴重な体験でした。
スポーツ栄養の道へ
小嶋 やっぱり栄養指導がやりたくて、大学病院に移りました。
そんなある日、スキーのコーチが――のちに主人になるんですけど――学生チームの食事を見てほしいと電話をかけてきたんです。そこから、私はスポーツ栄養に関わることになります。
2010年に結婚。2014年に公認スポーツ栄養士の資格を取得。そして2020年1月、栄養サポート事業をする「plus N」(プラスエヌ)を立ち上げました。
――公認スポーツ栄養士の役割を教えてください。
小嶋 アスリートにとって最終的な目的は勝つことです。試合当日、緊張や興奮にも打ち勝てるだけの強い心を持ち、だれよりも高い技術でできたとき、初めて勝てるんですよね。
高い技術は日々の練習の中で体得していくもの。そのためには、技術に対応できるだけの「体」でないといけない。その体は何からできているかというと、「栄養と休養とトレーニング」なんです。
スポーツ選手は、スポーツをしていない人の1.5~2倍のエネルギーが必要です。でもアスリートの胃の大きさが、普通の人の2倍になっているわけじゃないんですね。
だからスポーツ栄養では、食べられる量に栄養を凝縮するメニューを考えて、栄養密度の高い食事を用意します。質の良い、適度な量の食事をベストタイミングで食べるのがアスリートの食事の基本です。
また、たとえば体重や体型が競技成績に関わるような競技の選手の中には、極度な痩せを目指して摂食障害、貧血、月経がないなどの体調不良を抱えている人もいる。そうしたアスリートの体調も考えあわせて食事を整えていくのが、公認スポーツ栄養士の仕事の一つです。
スポーツ栄養と地域医療に関わっていきたい
――今後の展開について教えてください。
小嶋 今後、展開していきたい方向性は二つあります。一つは「スポーツ栄養」です。
アスリートが現役時代に「健康」や「栄養」を意識した食事をとり、身体づくりを行うことで、トレーニング効果を最大限引き出すことができます。その結果、個人成績が向上し、勝利へつながります。
実はアスリートって現役時代が短いんですね。現役を卒業後、健康上多くの問題を抱えながら第2の人生を歩むより、きちんとした健康状態を保った状態でセカンドキャリアを謳歌(おうか)してほしい。
多くのアスリートが指導者の道を選ぶため、きちんとした健康管理ができるアスリートが増えると、彼らの教え子となる子どもたちも健康管理がしっかりとできるようになります。つまり、現在の現役アスリートの健康管理能力を高めることは、将来の子どもたちの力にもなるんです。
そのためには同志が必要です。今は全国で約26万人の管理栄養士がいますが、公認スポーツ栄養士は440人程度しかいません。埼玉県では約20人。少なすぎるんです。同志を増やして、一緒に広げていきたいなと思っています。
そして、もう一つの方向性は「地域医療」です。
私自身、子育てや義母の介護で地域の方たちに本当にお世話になりました。だからこそ、人生を健康的に歩んでいただけるような地域医療にも携わりたいと思うようになり、今年(2022年)、plus Nは認定栄養ケアステーション(※)をとらせていただきました。地域の医師や薬剤師、理学療法士、臨床心理士など専門家のみなさんと一緒に、地域医療にも尽くしたいと思っています。
※認定栄養ケアステーション=地域の人たちが栄養ケアの支援・指導を受けることができる地域密着型の拠点として日本栄養士会から認定されている施設のこと。
2 あなたらしくあるために大切なこと
やってみたら変わる
――一人一人が自分らしく生きるために何を重視したら良いとお考えですか?
小嶋 「実行力」です。実際に行動に移すことで、現実を大きく変えることができる。自分自身、さんざん大先輩方に電話をしまくり、いろいろやってきた結果ですけど、もんもんと考えていると堂々巡りで終わっちゃうので、やっぱり実行力ですね。
実行力というと、とてもハードルの高いものに思われるかもしれないんですけど、自分がやりたいことを既にやっている人に会いに行くだけでも、ホームページで調べるだけでも、実行力だと思うんです。情報が一つ手に入れば見方がどんどん変わって来るし、夢が少しずつ「目標」になると思うんですよ。
りっぱなことは言えませんが、怖がっていても始まらないので、怖がらないようにするために、知識をもっている方にアドバイスをもらいに行き、どうしたらいいかを考えるといいと思います。
3 未来を生きる子どもたちへ
サバイバル力を身につけてほしい
――次の世代の子どもたちに生き抜く力を与えるメッセージをお願いします。
小嶋 「サバイバル力」を身につけてほしいと思っています。
サバイバル力って頭の良しあしじゃないんですよ。道に迷ったら人に聞ける能力だったり、臨機応変に対処できる力だと思います。
取材を終えて
怖いからこそ、素直にアドバイスをもらう
小嶋さんのお話は、前向きなパワーに満ちたものでした。中でも印象深かったのは、どんどん人に聞いていくところです。
管理栄養士について大学の先生に、科学捜査班について警視庁に、臨床栄養師について東大の教授に、など臆することなく、素直な気持ちで聞いていくからこそ相手は心を開き、アドバイスしてくれるのだと思います。記事には書ききれませんでしたが、本当にたくさんの人が小嶋さんのために力を貸してくださっていました。
相手の懐に飛び込み、道を切り開いてきた小嶋さん。まっすぐで素直な生き方が魅力的でした。
取材日:2022年7月4日
綿貫和美