【さいたま】岩槻の街と共に歩み続けて~水野書店&Cafe mao-mao

さいたま市岩槻区で、150年以上にわたって営業している「水野書店」。2019年には店内を改装して「Cafe mao-mao」(カフェ・マオマオ)をオープンし、地元の憩いの場ともなっています。老若男女に“知”の喜びを提供し続けてきた水野書店の水野時枝(ときえ)さんにお話を伺いました。

水野書店の店舗外観。入り口にあるのはイベントの案内板

岩槻城の御用商人から教科書を取り扱う書店へ

岩槻の街は岩槻城の城下町として栄えました。岩槻は「日光御成道」(にっこうおなりみち)の宿場町でもあります。日光御成道は、江戸時代に将軍が「日光東照宮」(にっこうとうしょうぐう)へ参拝するために整備された道です。

水野さんに、水野書店の歴史について伺いました。
「岩槻城(いわつきじょう)の御用商人(ごようしょうにん)として、今でいう文具や雑貨を城内に納めていたのが、水野書店の前身です」

「明治時代になると、1か月程と短い間ですが、岩槻に埼玉県庁が置かれました。そのくらい、岩槻は発展していたんですね。明治政府の方針で小学校が各地に設置されることが決まると、教科書を取り扱う商店が必要になりました。教科書取扱店・水野書店の開業です」

同書店では、31校の教科書を担当しています(2022年9月29日現在)。品行方正であることが求められる教科書取扱店。150年以上に渡って続けてこられたのは、「地域の子どもたちに必要とされる存在であれるよう、コツコツと地域の信頼を積み重ねてきたから」と水野さんは語ります。

右奥がキッズスペース。休憩用のイスとテーブルもあり、ゆっくり本を選べます

絵本の品揃えにも力を入れています。「絵本は子どもたちの将来にさまざまな種をまいてくれる」と考えた水野さんは、家族連れで本を選ぶ時間が楽しくなるように、店内にキッズスペースを設置しました。

地域に根ざした水野書店だからこそできることを

出版不況と言われる時代になり、多くの書店が岐路に立たされています。水野書店も例外ではありませんでした。改装前、水野さんは、これからの時代に合わせた書店になるためには何が必要なのか考えつつ、全国各地の書店を見て回りました。

「書店という形にとらわれずに活動している店舗がたくさんありました。地域を活性化させている姿に元気をもらえましたね。地域と密着して生きてきた水野書店が、これから地域に何を還元すれば良いのか、より考えるようになりました」

「Cafe mao-mao」店内(左)と、岩槻城ご当地グッズコーナー

2019年11月、水野書店は「水野書店&Cafe mao-mao」になり、再スタートを切りました。同書店のある岩槻駅周辺にはカフェが少なく、休めるところを見つけにくい、という声もあり、水野さんはカフェをオープンすることにしたのです。
1人でも過ごしやすい心地よいカフェでありながら、地域の情報発信の場としても利用できるよう、イベント設備も整えました。「Cafe mao-mao」はコミュニティカフェでもあります。

変わりゆく時代だからこそ、岩槻の街と人を元気に

「カフェを開業した時は、岩槻の街が変わっていく時期でもありました。タイミングが後押ししてくれた、とも言えますね」と水野さん。

岩槻は人形の街としても有名です。水野書店が再スタートを切った翌年2020年には、日本初の人形専門公立博物館として「さいたま市岩槻人形博物館」がオープンしました。本格的に“岩槻の街おこし”が始まったと、水野さんは感じたそうです。

「岩槻の街は歴史があるという自信から、街の活性化を目指す動きはあまりなかったように思います。今では、街を元気にしたいという新しいお店も増えました」

水野時枝さん。店内の休憩スペースにて

水野さんは、街作りのつなぎ手として、商店街のコミュニティや起業したい人などの相談も積極的に受けるようにしています。頑張っている人への応援や後押しも、街作りには欠かせない要素だと考えているからです。

「岩槻の歴史や文化を大事にし、街おこしの活性化につながるような店舗でありたいです。岩槻には今までになかった新鮮さと刺激を与えられるようなイベントや企画を、これからも模索していきます」

◆取材を終えて

水野さんはプライベートでも様々な苦境を経験しました。「ビジネスもプライベートも、いかに自分を律して動けるかどうかが大切。愚痴をこぼしているだけでは何も始まりません。前向きにね!」と明るく笑う姿が印象的でした。

取材日:2022年9月29日
塚大あいみ