【挑戦者たち】思うようにならないのが当たり前~版画も子育ても

版画といえば小学校で作成した木版画や紙版画を思い出す人は多いのではないでしょうか。
今回ご紹介するのは紙版画を中心にアート活動を展開している柿崎かずみさん(ヒルネ版画工房)。版画だけでなくイラストレーション、水彩画なども含め幅広く制作を行っています。その制作・表現の裏には、家族と向き合い、自分も大事にしながら、働くこと生きることを見つめて活動する柿崎さんの挑戦がありました。

ヒルネ版画工房の柿崎かずみさん
ヒルネ版画工房の名前で活動する柿崎さん

<柿崎さんの考え方>

 チャレンジへのアプローチ
・他者のものさしではなく、自分なりの視点で考える

 はじめの一歩を踏み出すには
・思い通りにならなくて当然。予想外の出来事こそ、ものごとのスタート地点かもしれない

 仕事を続けていくには
・自分が「今」できることを、できる範囲で精一杯やる
・子育ては永遠に続くものではない。今、そのときを大事にしよう
(自分に時間をかけられるとき・かけるべきときは、またくる)

反転する世界にひかれて

柿崎さんの版画との出合いは、美大に落ちた後に見学に行った美学校で、だったそうです。
「刷りあがると反転する版画の世界に一気に心惹かれました。このおもしろさが版画から離れられない理由でもあります」
版画には木版画、銅版画、リトグラフ、シルクスクリーンなどいろいろな種類がありますが、柿崎さんが主に取り組むのは、紙を使用した凹版(おうはん)です。
凹版とは、銅板やボール紙に「ニードル」という錐(きり)状の道具などで引っかいたり削ったりして描き、そのへこんだ部分にインクを詰めてプレス機で刷る技法です。
「インクがにじんだように出るので、筆や鉛筆では出せないニュアンスが描けます。プレス機に入れるので紙自体に凹凸がつくのも好きなポイントです」

柿崎さんの作品。版画作品「雲、ぬすびと」と、紙、コンテ、コラージュによるカタチ・ドローイング作品
版画作品「雲、ぬすびと」(左)と、紙、コンテ、コラージュによるカタチ・ドローイング作品

作品イメージを考え始めると、「頭の中が“版画脳”になる」という柿崎さん。多色刷りや複数枚の版を合わせて作ることもあるので、逆算しながらイメージを作っていくそうです。
「それでも思ったようにならないのが版画です。人の生き方と同じですよね」
その背景には、子育てしながら働く親のリアルな体験、自分の頑張りだけではどうにでもならないことへの直面がありました。

自分のしたいことと自分ではどうにもならないことのはざまで

「子育てをしながら、締め切りのあるひとり仕事を続けるのは難しいのかもしれない」
学校生活に悩み、もがく我が子の様子に、「今は子どもに向き合わなければいけない時期だ」と一度仕事をストップした柿崎さん。時間をかけて子どもと一緒にひとつひとつの事象に向き合うこと、子どもの気持ちを受け止めて話を聞くことを続けたそうです。
「子どもも必死だし、自分も必死。でも自分にできることを精いっぱいやる。すると、失敗しても納得がいくんですよね。そして、そこから見えてくることも多い」
毎日のように子どもを連れて個展会場に来る柿崎さんを、あたたかく迎えてくれた人たちも大きな支えになったといいます。
「結婚前は自分が頑張ればどうにかなりましたが、家族ができたら、自分ではどうにもならないことが発生するとわかった出来事でした。でも、ある時ふと、一生これが続くわけではない、今は頑張ろう、と思ったら気持ちが軽くなったんです」
現在進行形ではあるものの、今はなんとなく自分が納得できる働き方やバランスが見えてきたという柿崎さん。家族が起床する前の早朝、起き抜けにスケッチブックを開き、こころの赴くままペンをはしらせるそうです。頭の中にあるイメージが描けることもあれば、線だけや形にならない図形もある。紙に書き落としたカタチを成す前の線やイメージを、自分と会話しながら作品へと醸成させていく。そんな自分だけの時間が何よりも大事なひと時でもあったといいます。

「予想通りではないものごとに直面して初めて、人は考え始めるんだと思うんです。視点や角度を変えるだけでものごとの見え方って大きく変わるんですよね。残念ながら絶対的な正解はない。だからこそ、あれこれ悩んで自分なりの道を見つけたときに、納得できるんだと思います」

柿崎さんの作品「忘れていた名前」。数枚の原画を組み合わせて刷り、1枚の版画作品にしたもの
柿崎さんの作品「忘れていた名前」(右)。数枚の原画を組み合わせて刷り、1枚の版画作品にします。持ち運びができる小型プレス機は体験ワークショップなどでも使用するそう

柿崎さんは子ども時代から、「絵をかいたり、レコードの音楽に感動したり、昔から絶対的に自分を幸せにしてくれるものがあった」といいます。
「だから世間一般でいわれる“成功”を自分が手に入れたとしても、何だか違う気がするとずっと感じていました」
他者のものさしや人にうらやましがられることは自分にとっての正解ではなく、自分が納得して歩むことが大事。子どもを通して体験した出来事も、自分の意識とは関係なく広がる世界やさまざまな価値観に気付かせてくれた貴重な体験だったといいます。

思い通りにいかない、それが当たり前

「ある程度予測をつけて進めるのも大事だけれども、整えようとし過ぎるのもよくない。強制・矯正しようとしてもコントロールできないものが出てくる。これはかえっていい事だと思っています」
版画も人生も思い通りにはならないということを前提にしたら、あれこれ悩みながら、違った楽しみ方ができるのではと語りかけてくれます。

子どもの成長もあり、少しずつ活動を広げられそうな兆しがあるという柿崎さん。日々の気づきや学びは版画とつながる点も多く、改めて版画の魅力を感じる機会にもなっているそうです。
柿崎さんは、2022年12月1日~10日に刺しゅう作家とコラボレーションした展示会(北越谷)を、2023年1月24日~2月5日に個展(恵比寿)を開催予定。紙版画のワークショップも定期的に開催しています。

取材を終えて

私を含め、忙しい現代人は、つい「想定内におさめよう、思い通りに進めよう」としてしまいます。そして思い通りにならない生活や子育てにイライラしてしまうのかもしれませんね。しかし、視点を少し変えると、アンコントロールな世界こそ、新しい発見や刺激があふれる場です。自分の固定概念をとっぱらい、ついコントロールしたくなる矯正グセをゆるめてみることも、時に必要かもしれません。
そのきっかけとして、反転する版画世界を体験してみるのも良いかもしれません。実は気軽に家でも楽しむことができる版画。ものづくりとして、表現のひとつとして、版画で年賀状をつくってみるのもおすすめです。

取材日:2022年10月20日
小林聡美