漫画みたいなおせっかい精神とビジネスで培った力が武器(経営者 川島恵子)

子どものころは、漫画に出てきそうな“おせっかい焼き”。そこに、社会に出てさまざまな知恵とスキルが加わり、数々の人材開発・組織開発で功績を上げてきた川島恵子さん。現在もその事業を経営するかたわら、47歳からスポーツ自転車に乗り始め、実業団のロードレースチーム「サイタマサイクルプロジェクト」の社長として地域貢献にも取り組んでいます。「今の私は、ほぼ小学5年生の川島恵子」という川島さんのこれまでをうかがいました。(彩ニュース編集部)

漫画のキャラにもなりそうな“おせっかい”
ワクワクした会社に就職
ビジネスの土台、生きていく力を会社が教えてくれた
先進の営業教育の手法は小学校でやっていたことだった!
人材開発会社にステップアップ
自転車の世界へ
サイタマサイクルプロジェクトの社長に
自分の直感を信じてほしい
自分でお金をマネジメントする力を
すべてのことが糧になる

Profile  川島恵子(かわしま けいこ)
人材開発・組織開発コンサルティング業「オフィス・ケイ」代表。株式会社「サイタマサイクルプロジェクト」代表取締役
1963年東京都生まれ。日本女子大学在学中のアルバイトがきっかけで、1986年、株式会社日本リクルートセンター(現株式会社リクルート)に入社。1999年、人材開発業界のベンチャー企業・株式会社プロアクティア(現株式会社インヴィニオ)転職などをへて、2002年38歳で独立しオフィス・ケイを始動。2015年、株式会社サイタマサイクルプロジェクト設立。さいたま市ニュービジネス大賞2015ファイナリスト。
さいたま市自転車まちづくり計画「さいたまはーと推進協議会」委員(2022年度任期満了)、埼玉県サイクリング協会、さいたま市サイクリング連盟リーダー。令和2年度さいたま市体育賞体育功労賞受賞。

1 今の仕事のこと

漫画のキャラにもなりそうな“おせっかい”

――生まれはどちらですか?

川島 東京都世田谷区下馬です。漫画「サザエさん」みたいな雰囲気の、古い住宅地でした。隣近所が仲良しで、しょうゆが足りないと隣の家に行ってちょっと借りてきたり、子どもを置いて親が出かけなきゃいけないときは「○○のおばちゃんに頼んであるから、あそこに行っておやつを食べなさい」とか、下町のような人づきあいがありました。

――将来なりたいものはあったのですか?

川島 特にあこがれの職業もなく、日々の楽しさの中に埋没した、完全なる子どもだったと思います。
今の私はほぼ、「小学5年生の川島恵子」なんです。

――どういうことですか?

川島 私の土台は完全に小学校でできているということです。5・6年生のときのクラス担任のおかげです。何か問題が起こると、大人が決めるべきこと以外は子どもたちに決めさせる、という教育方針を徹底していました。

たとえば「男子が女子を呼び捨てにするのは良くないと思います」とホームルームで意見が出ると、普通は教師が男子を叱って終わるのがパターンですよね。

でも先生は、「では、それについてみんなで意見を出してください」と言って全員に発言させるんです。発言が苦手な子にも絶対言わせます。だからその子が発言するまでみんなで待つんです。せかすのは禁止。ちゃかすのも禁止。すごくフェアだったんです。

先生は、出た意見をまとめることはしません。多数決で決めてしまえば楽なのですが、先生は多数決を禁止しています。私は、みんなで意見を交換するときの議長として良い方向に促していけるよう苦心しました。
先生は私たちに「自主性」や「自立心」を身につけさせたかったのだと思います。

子どもだけではすまない問題が出てくると親が巻き込まれて、お母さん同士も仲良くやっていました。子どもたちのつながりが深くなっていくと、親のつながりも深くなっていきます。

――人間関係が豊かだったのですね。

川島 そうなんです。私はそのときに“おせっかい精神”をたたきこまれましたね。もともと芽生えていたものが、さらにそこで伸ばされました。

たとえば学校に来なくなった、体の弱い女の子がいたんです。先生に促されたような気もしますが、私もその子が心配だから、給食を届けるとか、授業の宿題を届けるという口実で、進んで家庭訪問をしていたんです。
その子の家へ行って、授業であったことを話して一緒に勉強して、「これだったら○○ちゃん、明日学校に来れそうだな」と手ごたえを感じると、「失礼します」って帰ってくる。

――面倒見がいいんですね。

川島 おせっかい焼きだったんですよ。漫画のキャラになるなって自分でも思います。

でも中学校に入ると、小学校のホームルームみたいなアットホームな雰囲気ではなくなりますよね。私はどう過ごしていいか分からなくなり、勉強に集中することにしました。
高校は都立の普通科に、大学は史学科に入りました。

インタビューにこたえる川島さん

ワクワクした会社に就職

川島 そろそろ就職を考える時期になりましたが、どう就職先を決めたらいいのか分かりません。
そんなとき、ゼミの教授がゼミ生みんなに声をかけたんです。「株式会社日本リクルートセンターというところで先輩たちが働いていて、今、学生のモニターやアルバイトを求めています。うちのゼミからも何人か来てほしいと言われているので、希望者はここに名前を書いてください」と。それがピンときたんです。

――ピンときたとは?

川島 ゼミの教授は学究肌で、ほかの大学からも一目置かれるような教授だったんですけど、企業の話をしない人なんです。その先生が言ってくるっていうことは、いい会社かもしれないと思ったんです。
今思えば、私は「誰が言うか」が大切なんでしょうね。
聞いたことのない会社でしたが、好奇心だけは人一倍旺盛だったので、一番最初に名前を書きました。

行ってみたら学生が大勢来ていました。学生はたいしたことはさせてもらえませんが、オフィスの中にいるので、打ち合わせの様子とか見えます。毎日非常にアグレッシブなことが行われているんだなと思って興味が湧いてきました。あまりにもその会社がおもしろそうで、子どものころのようなワクワク感がよみがえったんです。

新卒採用のための面接のチャンスがあるというのでお願いして、適性検査を受け、採用していただくことになりました。

ビジネスの土台、生きていく力を会社が教えてくれた

川島 入社したのは1986年(昭和61年)。前年に男女雇用機会均等法が制定され、施行が始まった年でした。
入ってみたら新入社員が700人もいました。高学歴者がいっぱいいましたが、みんなスタートは一緒。ここから突っ走っていけば一番にもなれるんじゃないかって思ったんです。超楽天的ですよね(笑)。

――どんな毎日でしたか?

川島 私にとってはすばらしい魅力的な職業体験でした。今の私のビジネスの土台、生きていく力を全部教えていただいたのはリクルートでのビジネス経験です。稼ぐ、生き抜くすべてをそこで教わったようなものです。

最初に配属されたのが広告事業部の、リクルートブック(求人雑誌)をつくる事業部です。リクルートの求人広告媒体の営業が私の仕事でした。
端から軒並み飛びこんで名刺を配り、社長の名刺をもらってくるという“どぶ板営業”も教えていただきました。そこで基礎となる根性を身につけさせられたと思います。

会社も新人教育に熱心で、2週間ぐらい合宿で教育してくれました。事業部長たちが入れ代わり立ち代わり来て、「この企業がこういう広告展開をしたわけは?」とかいろんな先進的な企画を教えてくれます。すごくおもしろいんです。

「営業はスポーツだと思え」と教えてくれた先輩もいました。真夏に飛び込み営業をするときは「そうだ、スポーツだ!」と自分に言い聞かせ、「汗かいてきます!」って出かけていく。そんな風にしていたら、新人だけど営業数字があがったんですよ。その年の通期の目標数字を、事業部の中で、私と、カリスマ営業先輩の2人が達成したんです。

――すごいですね!

川島 上司のおかげです。だんだん仕事の幅や深みも出てきて、仕事がおもしろくて仕方なかったですね。
そこを7年で異動となりました。

求人広告媒体の営業をしていたころの川島さん

先進の営業教育の手法は小学校でやっていたことだった!

――異動したのはどんな部署ですか?

川島 新規事業準備室で、営業チームの成果が上がるためのプログラムをつくる事業部でした。おもしろい仕事でした。
行動科学を取り入れた先進的な営業教育を開発したアメリカの会社があり、そのプログラムを日本化していきます。海外の人たちが来て、そのノウハウを、まず私たちに教えてくれました。

その一つが「ファシリテーション」です。
たとえば会議で、司会が一方的に指示・進行していくのとは違い、参加者が集団で問題を解決できるよう、認識の一致を確認したり、相互理解を深めるサポートをして促していくのがファシリテーションです。

――それってまさに、川島さんが小学生のときにやっていたことですね!

川島 そうなんですよ! ファシリテーションの体系的なやり方を教えてもらったとき、「あれっ、これ私、小学5年生のときにやっていたぞ!」と思いました。クラスの中で、多数決で決めずにみんなで意見交換するときの議長をやらされましたが、「それと一緒だ!」と。

人材開発会社にステップアップ

川島 リクルートに14年勤め、知り合いの紹介で1999年、人材開発業界のベンチャー企業に転職しました。35歳のときです。
周りは高学歴と高スキルの人ばかり。しかもセンスが良くて、アイデアをひねってくるんです。だから大規模な案件ばかりでした。

私は次世代経営者の育成や人事担当者向けのコーチングセミナーなどを担当しました。相手は一流企業のエリートたちです。セミナーには一流の講師陣を呼んでこないといけません。講師を探すのも私の仕事でした。だから数々の経営書を読んで、この人と思った先生にはどんどん会いに行きました。

講師たちには目的からブレないようにしてもらわないといけません。目的に沿っているかどうか、私も教材を勉強してチェックしました。事前の課題やチェックテストは私が作っていました。また、私自身も講師として営業研修、マネージャー研修などを行いました。もう必死で勉強しました。

――勉強、勉強、勉強ですね。

川島 ビジネススクールにいるみたいでした。本当にすごく勉強させてもらって、いろんな先生と知り合いになれて、人脈も豊かになりました。
時間も忘れて働いていたので、夢の中にもチェックテストの問題が出てくるほど。大変でしたが、すごくおもしろかったですね。

2年くらいして転職しました。私が「師匠」と仰ぐ人から、私のために必要なチャレンジへの誘いだったからです。
毎日全力疾走するような過酷な仕事でしたが、人と組織の多種多様な“問題解決筋力”を相当、鍛えられました。
でも私はちょっと疲れてしまって、独立し、飽きるまでしばらくブラブラすることにしました。2002年38歳のときです。

ありがたいことに、つきあいのあった企業やリクルート時代の先輩からいろいろお声がけいただいて、2004年くらいから人材開発の仕事に本腰をいれるようになりました。

日曜の朝練の様子。右が川島さん

自転車の世界へ

――埼玉に越してきたのはいつですか?

川島 40歳くらいですね。独立してブラブラしていたころです。

自転車を始めたのは47歳のとき、先輩から自転車のすばらしさを聞かされ、美容と健康のために乗ってみようかなと思ったのがきっかけです。もともと小学校時代にはよく乗っていたし、カッコイイ自転車を一度はほしいと思っていました。

買った翌日、さっそく自転車で出かけましたが、最初の調整が悪くて途中で自転車の調子が悪くなってしまいました。困って自転車屋さんを探して飛び込むと、「こういう自転車に乗るには、ちゃんと練習しないとだめだよ」と教えてくれました。
店内のホワイドボードに「日曜 サイクリングクラブ」と書いてありました。「こういうところで練習した方が良いよ」と言われました。
「分かりました。明日何時ですか?」「朝6時半に店の前集合で出発だよ。お金はいらないよ。ヘルメットとグローブは必要だよ」。

それから今日にいたるまで10年間ずっと、日曜の朝はサイクリングクラブの練習。もう、生活のリズムになっています。
朝練のおかげで、見沼たんぼや東浦和ののどかなエリアを知りました。川に日の光が映ってきれいだな、菜の花や桜並木がいいな、と。

――47歳から新しいスポーツに挑戦するなんてすごいですね。そのおかげで楽しみがぐっと増えましたね。

サイタマサイクルプロジェクトの社長に

川島 埼玉県は自転車保有率が日本一です。そのころ埼玉県では「自転車王国」としてサイクリングイベントが行われるようになり、私たちのサイクリングクラブは安全管理や先導役に駆り出されました。
2013年にはさいたま新都心で自転車競技のロードレース大会「ツール・ド・フランスさいたまクリテリウム」が始まりました。

ツール・ド・フランスさいたまクリテリウムで、先頭で一般体験走行の先導をつとめる川島さん

川島 そしていろいろなことがあり、2015年、株式会社「サイタマサイクルプロジェクト」を設立。私は社長となりました。ロードレースチーム「サイタマサイクルプロジェクト」を運営する会社です。選手を集めて実業団登録をして、2016年からレースに参画しています。

――どうして会社名とチーム名が同じなんですか?

川島 みんなに紛らわしいと言われます(笑)。でも「サイタマ」って言いたいし「サイクル」って言いたい。「なんのプロジェクト?」と聞かれたいからそうしようということになりました。

――何をプロジェクトとしているのですか?

川島 サイタマ(さいたま市、埼玉県エリア)に根ざしたロードレースチームとして地元に貢献しながら、自転車文化の向上と、安全教育など自転車に関する社会的な課題に応える活動を行います。最終的にはサイタマの自転車文化を世界と同じレベルにするのが目的です。
今後は自主事業として自転車スクールを運営していけるようにしたいと考えています。

自転車を楽しんでもらうために、川島さんたちはお楽しみコンテンツも準備中。見沼田んぼの中に「焚き火コーヒー」を味わう場所をつくり、そこでいろいろな野菜も育てています。野菜を収穫したらみんなでシーズンパーティー&サイクリングをしようと考えているそうです

――川島さん自身は今後どういう方向を目指していますか?

川島 「大人は社会課題に応えなきゃいけない」とだんだん思うようになりました。今まで自分は周りにお世話になってきたのですから。
まだ漠然としていますが、私にできることで地域のお役に立てれば、と思っています。

2 あなたらしくあるために大切なこと

自分の直感を信じてほしい

――一人ひとりが自分らしく生きていくために何を大切にしたら良いと思いますか?

川島 直感。自分の直感ではないかと思います。
今ってみんな、迷うとすぐインターネットで調べますよね。私も調べはします。ネットがない時代は占ってもらったりもしました。
調べたり言われたことからまた発想して、でもそれとは違う結論でもいいと思います。自分が直感的にはっと思ったら、それは信じた方がいいと思っています。

今、直感が鈍っている人が多い気がするんです。いろんな企業の研修会に行くと、特に若い方に真面目な人、慎重な人がすごく増えていて、すごく真剣に聞いてくれます。
素直で、人の話をみんな受け入れて、共感性も高くてステキだなとは思うんですけど、一方で、そうすると迷っちゃうかもと思います。聞くのもいいけど、「最終的には無視していいんだよ。自分がこうと思ったら直感で動いて」って言ってあげたいと、若い方の研修会に行くといつも思います。

3 未来を生きる子どもたちへ

自分でお金をマネジメントする力を

――次の世代の子どもたちが生き抜いていくために、どんな力や考え方を持ったら良いと思いますか?

川島 予測のつかない未来に不安やモヤモヤした気持ちが出てくることがあります。そういうときは、考えることはストップ。自然の中に出かけて、草や土を触って、空を見ることをおすすめします。そのうちに不安がやわらいだり、良いことがひらめいたりするかもしれません。
自分の力ではどうにもならないことや予想できないことを悩み過ぎないことです。

それから、自分でお金をマネジメントする力は必ずあなたを助けてくれます。お小遣い帳をつけましょう。あなたの夢、やってみたいことは何ですか? そのために、お金を計画的に準備しましょう。これは早く始めるほど、よいことがあると思います。

取材を終えて
すべてのことが糧になる

最近あることがあって川島さんは学んだそうです。それは「この人の善意はなんだろう」と考えること。

思わぬことを言われて、相手を怖いとか嫌だなとか感じてしまうのはだれしもあることです。でも、嫌われたいと思って言う人はいないから、「この人の善意は何だろう」「気づかせたい何かがあってこういうことを言うのかな」と、ちょっと思いめぐらして想像してみる。そうすると、その答えは出なくても、いつも良いことがひらめくことに気づいたのだそうです。

「自分の決まりきった発想とは違うものが投げ込まれると、脳が刺激されて、人間っていいものが出てくるのだと思います。不思議ですね」。
さすが人材開発のプロの視点です。そういう姿勢でいれは、どんなことからも何かしらくみ取れます。すべてのことが自分の栄養になっていくでしょう。

人生に起こるさまざまなことを「おもしろい」と俯瞰(ふかん)的にとらえ、学びの糧としてきた川島さん。「ブルドーザーのように」ものすごい馬力でキャリアを積んだ時期をへて、今、力を程よく抜き、自然体で世の中を見すえようとしているように感じます。地域に根差し、どんなチャレンジをされていくのか、楽しみに思いながら取材を終えました。

取材日:2023年5月9日
綿貫和美