【深谷】1人の思いから始まった市民活動。「街の映画館」をどこにでも、いつまでも

仲間を募ってNPO法人を設立 

大河ドラマ『青天を衝け』の主人公である実業家・渋沢栄一の出身地として、今注目を浴びている深谷市。旧中山道沿いに広がる街には、偉人の足跡のみならず、古き良き時代の雰囲気を現代に伝える建物なども数多く残っています。

その中の一つ、七ツ梅横丁と呼ばれる場所にミニシアター「深谷シネマ」はあります。ここは、1694(元禄7)年から2004年まで、300年以上営業を続けた「七ツ梅酒造」の跡地。酒造りに使われていた建物を活用した雑貨店や古書店なども並ぶ、風情あるエリアです。深谷シネマは日本で唯一、酒蔵を改装して造られた映画館。映画監督の大林宣彦さんが長く名誉館長を務めていたことでも知られています。

深谷シネマはいわゆる「二番館」。来館者へのアンケートなどを基に年間約150作品を上映し、県内外から2万5千人を集客している

深谷シネマを運営しているのは「NPO法人市民シアター・エフ」です。映画館設立に尽力した、同法人理事長で館長の竹石研二(たけいし けんじ)さんにこれまでの道のりをお聞きしました。

竹石さんは、東京・墨田区出身。社会人になってから「横浜放送映画専門学院」(現:日本映画大学)で学び、一時は映画に関わる仕事に就くなど映画に親しんでいました。その後、妻の故郷・深谷市へ移住。この時点で、市内に映画館は1軒もありませんでした。竹石さんは生活協同組合の職員となり、地元に根付いて仕事に励みました。

状況が変わったのは、50歳になるころ。「県南へ異動したのを機に、どうにも地に足が付かない感じになってしまいました。そこで自分の本当にやりたいことを書き出してみたら“街の空き店舗を使って小さな映画館を造りたい”とはっきりしたんです。映画を捨て難かったんだと思います」と竹石さん。

仕事を辞めた竹石さんは、まずは仲間を募ろうと、熊谷市役所内の記者クラブへ出向きます。自分の考えを発表すると記事にしてもらうことができ、それを見た10人ほどの仲間が集まりました。1999年3月に活動を開始。市民文化会館や野外での自主上映会を重ね、2000年4月には、現在のNPO法人(特定非営利活動法人)を設立しました。「もちろん家族の理解は得ていましたが、今思えば向こう見ずだったかも。僕は考える前に動いてしまうタイプかもしれませんね」と振り返ります。

2度目の移転で出合った“江戸の地”

その後、洋品店の一部を借りて「フクノヤ劇場」を開館。たまたま通りかかった高齢の女性のリクエストに応え、『愛染かつら』(1938年公開)を上映したところ、一週間で1150人が詰めかけ、大盛況となりました。
しかし、黒字が続くことはなく、また店舗の老朽化もあり、1年を待たず閉館に。

それでも諦めず活動を続ける中、転機が訪れます。中心市街地活性化を目指す「深谷TMO(タウンマネジメントオーガニゼーション)構想」事業への参加です。「NPOとして、空き店舗を映画館にすることを提案し、採用されました。市や商工会議所と良い関係ができ、活動がしやすくなりましたね」

劇場内には、57の固定席のほか、仕切りのある「親子ルーム」(別料金)も設置

2002年7月、市が借りた「旧さくら銀行」の跡地で、常設の映画館として本格的にスタート。リピーターが増え、著名な映画監督や俳優にも足を運んでもらえる場所となりましたが、8年後、区画整理事業に伴い、移転先を探すことに。適切な場所がなく困っていたときに見つけたのが、江戸時代に創業し、長い歴史を持つ「七ツ梅酒造」の跡地でした。

竹石さんは「“江戸”と出合えたことに、驚きとうれしさがありました。格好よく言うと、ここに人が集まる映画館があれば、江戸を守ることにもなると思っています」と話します。

数多くの共感とサポートを力にして

屋根も落ち、ボロボロの状態だった元酒蔵の改装には、多額の費用が必要でしたが、国からの補助金や銀行からの借り入れ、そして、市民をはじめとする有志からの1千万円もの寄付により、2010年4月に見事、映画館として生まれ変わりました。

現在、受付業務をサポートするスタッフに、10人のボランティアが登録。無給ながら、担当日には映画を無料で見られるため、喜ばれていると言います。 また昨年、新型コロナウイルスの影響で2カ月休業した際には、心配の声が多く寄せられ、中には当時支給された「特別定額給付金(10万円)」を二人分、寄付しに来てくれた人もいたそうです。「皆さんの支えがなければやっていけません」と竹石さんはしみじみ語ります。

「映画人口を底上げし、映画産業の下支えにつながると思います」とミニシアターの存在意義について話す竹石さん

近年、各地でミニシアター設立の動きがあり、参考にしたいと見学に訪れる人が増加。竹石さんは、快く受け入れ、自身が持つノウハウなどを伝えています。「シネコン(シネマコンプレックス)とのすみ分けはできるはず。埼玉から全国へ広がり、最終的にはどこにでも“街の映画館あり”となればいいですね」
取材日は、コロナ禍による時短営業中。そんな危機の中にあっても、館長の目は常に前を向いています。

    ◆取材を終えて

約20年にわたる歩みを伺い、目標に向けて諦めずに行動し続けることの大切さと、“自分の人生を動かすのは、ほかの誰でもない自分である”ということに改めて気付かされました。

取材日:2021年5月27日 矢崎真弓