【所沢】演奏者ならではの目線で。50歳を超えて開業した小さな楽器修理工房

「テレビで見たあの楽器はなに?」そんな興味にも答えてくれるサワダ楽器修理工房は、西武新宿線の新所沢駅西口にあります。学生時代に吹奏楽の楽しさを知り、現在も社会人吹奏楽団で演奏する“街の音楽家”が開いた小さな工房です。

傷み部分のまわりから丁寧に固定具にすべらせ、時間をかけてなめらかな曲線に戻していく店主の澤田さん

楽器が新しい環境を先導し、きっかけを与えてくれる

サックスカルテットCDと楽譜のコレクターでもあり、吹奏楽コンクール音源のLP・CDコレクションが豊富な店主の澤田成俊さん。これまでの楽器経歴は、ユーフォニウム・バリトンサックス・E♭チューバ・クラリネット・バスクラリネット・コントラバスクラリネット・アルトサックス・テナーサックスと数多く担当しています。

中学の吹奏楽部で演奏の楽しさにのめり込み、高校進学は地区の合同発表会をみて、「この吹奏楽部に入りたい」という理由で決めました。大学は将来のために電気工学科に進み、下宿生活のためアルバイトに精を出すも、バリトンサックス奏者を周囲がほおっておかず、再び吹奏楽部に入部。初めて自分のバリトンサックスを購入します。

そして大手音響メーカーでエンジニアの道を選んだ就職先でも、入社してまもなく上司に呼び出されます。「君は吹奏楽経験者なんだね」。会社の吹奏楽団を立ち上げた本人から直々に入団の声が掛かりました。

こうしていつも楽器が新しい環境を先導し、出会いのきっかけを与えてくれました。

入社当時、会社の吹奏楽団で参加した都内ライブハウスでの演奏風景。これらの経験のすべてが今の原動力となっている

吹奏楽団に修理職人がいたらいいのに

長年携わる吹奏楽の現場では、管楽器のトラブルに見舞われることも少なくありません。仲間の楽器の不具合をたくさん目にするうちに、「吹奏楽部に修理職人がいたらいいのに」と思うようになります。これが原点となりました。

のちにバブルが崩壊し、会社はオーディオ部門を事実上撤退。澤田さんは再編のなか希望退職を選択したものの、体を壊してしまい、再就職もままならなくなります。

そんなうつうつとした5年間の生活から抜け出すきっかけとなったのは、冠動脈が詰まり、医者から「生命の危機」といわれ入院したことでした。その頃は、ともすれば甘受しかねない状況だったといいます。しかし現実は違いました。医者の言葉に揺さぶられ、「生きたい」という思いに切り替わったそうです。

回復後、通いなれた楽器修理店の店主が事情を知り、自身の管楽器修理職人の師匠を紹介してくれました。本気で楽器修理の技術を習得し、独立する準備と意志がある人しか弟子にしない師匠に会い、固い思いを伝えます。そこで受け入れてもらったことで、リ・スタートをきることになります。

本気で楽器修理の技術取得に取り組んだ末の証。師匠から独立のお墨付きをいただく

愛着のあるものを使い続けてもらいたいから

こうして吹奏楽団の立場を知り尽くした楽器職人が誕生し、新所沢に楽器の修理工房を開業して4年が経ちます。楽器の調整、消耗品の交換はもとより、締まらなくなったネジの修理や、パーツで購入した客の依頼で楽器の組み立てなども行っています。

「楽器は愛着があって、もし故障しても簡単に買い替えることはできません。新しくしたら、またその楽器と1からのつき合いになりますから。大切な楽器とは調整や修理をしながらずっとつきあっていくものだから、この仕事は今後ますます必要になると思っています」

昔は多くあった“街の電器屋さん”のように、気軽に足を運べる店にしたいと穏やかな表情で話す澤田さん。楽器と吹奏楽を愛する人の憩いの場になる日も近いかもしれません。

◆取材を終えて

「巨人の星」の左門豊作似の親しみやすい澤田さんは、希望があればコンクールの音源などコレクションの視聴もさせてくれるそうです。東京までいかなくても、楽器の修理はもちろん、吹奏楽のことをディープに語れる店が新所沢にあることを知りました。 

取材日:2021年9月4日
磯崎弓子