【熊谷】かつて栄えた養蚕業と製糸業。その歴史を伝える「片倉シルク記念館」

昆虫の一種・蚕(カイコ)を飼う「養蚕業」、その繭からシルクの原料となる生糸を紡ぐ「製糸業」。明治時代から昭和初期にかけ、日本各地で盛んだった産業で、製品となった生糸のほとんどは海外へ輸出されました。一時は、世界一の生糸輸出国になるほどの活況を見せ、近代日本の経済を支えたことでも知られています。

埼玉県は、群馬県などと並ぶ生糸の大生産地でした。川から製糸工場に必要な水が得られたこと、横浜の港へ向けて鉄道による輸送ができたことなどが理由のようです。

しかし、化学繊維の台頭などにより全国的に養蚕・製糸業は衰退。今や希少な存在となっています。

操業を終えた熊谷工場の跡地に開設

「片倉シルク記念館」は、日本の一大産業だった養蚕・製糸業とはどういったものなのかを詳しく伝えている施設です。館内には、実際に製糸工場で使われていた機械や当時の写真資料などが数多く展示されています。入館料は無料です。

ショッピングセンターに隣接して建つ記念館。入り口へ続く通路には蚕の餌になる桑の木が植えられています

同館を運営しているのは、かつて各地に多数の製糸工場を持ち、国内トップクラスの生糸生産量を誇った片倉工業株式会社です。熊谷市には、敷地面積1万坪の工場があり、中学校を卒業したばかりの従業員たちのために高校まで整備されていました。しかし、1994年に熊谷工場は閉鎖。その6年後、明治時代に建てられた繭倉庫を改築し、工場跡地に同館を開設しました。

館長の落合和夫さんは「当館は、ここにあった弊社の工場について紹介するとともに、養蚕・製糸業の歴史を後世に継承していくことを目的にしています」と話します。

生糸作りに必要なさまざまな機械を展示

館内では、繭玉から生糸を紡いでいく工程が丁寧に紹介されています。目視で不良の繭を取り除く「選繭(せんけん)」から始まり、繭を煮て糸をほぐしやすくする「煮繭(しゃけん)」、繭から糸口を引き出す「索緒(さくちょ)」、そして複数の繭から引き出した糸を合わせ、1本の生糸にする「繰糸(そうし)」へと続きます。

国内で初めて片倉工業が開発した自動繰糸機(左は正面から見た様子)。熊谷工場には200台設置されていたとのこと

「繭糸は、太さが髪の毛の40分の1しかないため、自動繰糸機で繭玉の数を調節し、取引先の求めに合った太さの生糸を作っていたんです」と落合さんが教えてくれました。

また、1個の繭から取れる糸の長さは、1,300~1,500メートルにも及ぶそうです。

天井に126トン分の繭を保管する「蜂の巣倉庫」

日本で唯一現存する、繭の貯蔵庫「蜂の巣倉庫」も見ることができます。繭を害虫や湿気などから守るための仕組みで、天井部分に蜂の巣状の縦穴が105個あり、それぞれに1,200キログラム分の繭が収められていたとのこと。木造の建物ですが、かなり強固に作られていたようです。

蜂の巣倉庫での蔵出し作業を人形で再現。天井から下がった布製の筒を通して必要な分だけ、繭を取り出します

「写真とは違い、当館では直接、機械などを見ることができるので工程が分かりやすく、印象に残ると思います」と落合さん。最近、歴史ある建物を見て回っている人が増えていると感じているそうで、実際、取材日にも電話で開館日についての問い合わせを受けていました。

片倉シルク記念館は、2007年に国の「近代化産業遺産」に認定。これからも末永く、養蚕・製糸業の軌跡を伝え続けていくことでしょう。

◆取材を終えて

館内には、工場内にあった高校や従業員用プールでの写真も展示されていて、生き生きと働ける職場だったのだと感じました。また個人的には、初めて養蚕や製糸について詳しく知り、蚕が「お蚕様(かいこさま)」と呼ばれている意味を深く理解できたのが大きな収穫でした。 

取材日:2021年9月24日
矢崎真弓