浦和駅から徒歩15分程、埼玉県庁の近くに、昔ながらの風情を残した銭湯「鹿島湯」があります。今年(2021年)で創業65年。銭湯を愛した父から家業を継き、三代目となった坂下三浩(さかしたみつひろ)さんにお話を伺いました。
嫌いだった家業を継ぐという決断。きっかけは地域や常連客の銭湯愛
「実は銭湯という家業が嫌いでした」と語る坂下さん。
毎日忙しく働く両親とは一緒に過ごす時間も少なく、友達からは家業についてからかわれることも多く、家業にいい印象を抱いていなかったといいます。
先代である父・三夫(みつお)さんが病で倒れた時も、廃業で話を進めていたほど。
それが、さまざまな出来事が重なり、思いがけず、家業を継ぐという大きな方向転換を決断します。
廃業の話をしていた日、何日も銭湯を閉めているのを心配した常連客が店先に立っていたそう。
「絶対に辞めないでね」
鹿島湯がなくてはならない場所であることを力説する声が少なくなかったといいます。
地域や常連客からいかに愛されているかを感じた坂下さんは、収入が半減しても銭湯を続けることを決意。それまで銭湯の仕事をやったことがなかったため、入院している父に電話で指示を仰ぎながら銭湯仕事を始めたといいます。
銭湯は人情。人を受け入れる懐の深さと温かさが銭湯らしさ
坂下さんは、東日本大震災の直後2日目から現地でボランティアをした経験があります。惨状や、人のいい部分も嫌な部分もありのままを目にしたといいます。
7人の子どもがいる坂下さんは、子育てでもママ友や周囲の手にとても助けられたことが大きな支えになったとか。
「人はつながりなくして生きてはいけないですよ」
それが、さまざまな人を受け入れる鹿島湯の懐の大きさにつながっています。
「銭湯から人情味をとったら何も残らないくらい。銭湯ってそういう場所でいいと思うんです」
「今は愛おしい」銭湯家業。鹿島湯を残す挑戦は続く
鹿島湯のこだわりは、薪(まき)でたいた湯です。薪釜だけで営業する銭湯は、日本ではもう数軒しか残っていないそう。
「薪でたいたお湯じゃないとカラダの芯まで温まらないんだよ!」という常連客の声も多いといいます。
薪釜の場合は15分ごと、少なくとも30分に1度は、釜へ薪を入れに行かなければなりません。人の混み具合をみながら薪を入れ、温度を調整するさじ加減はまさに職人技。
大変な思いをしても薪釜を続ける背景には、脱炭素社会・脱化石燃料への意識があります。薪には、豪雨災害に大きく影響している間伐材や、廃棄されてしまう家屋の廃材などを利用。
また、廃業に追い込まれる銭湯の中には、台風や地震で煙突が倒れてしまったことがきっかけの場合も少なくないことを教えてくれました。
厳しい経営状況でも、銭湯を残していくための挑戦を続ける坂下さん。最後に銭湯への想いをこう語ってくれました。
「今は鹿島湯が何よりも愛おしいです」
◆取材を終えて 最近の入浴施設では「おむつがとれない小さな子どもはお断り」が多い中、赤ちゃん(ベビーバスの貸出あり)や小さな子どもでも入れる鹿島湯は、子連れママにはうれしい限り。 常連客が多い15時~17時はお湯の温度が熱め。はじめての人は19時以降がゆっくり入れる時間帯でおすすめだそうです。寒さが深まるこれからの時季、カラダとココロを温めに銭湯はいかがですか。 取材日:2021年10月26日 小林聡美