【彩の知星】すばる望遠鏡の活躍を支えた裏方の力 ~技術者・大島紀夫~

ハワイの「すばる望遠鏡」をご存じですか? 日本の国立天文台がハワイ島マウナケア山頂に建設した望遠鏡です。口径8.2mの「ゆがみのない大きな1枚鏡」を持ち、「地球から最も遠くにある銀河」の記録を次々と塗り替えるなど、数々の成果をもたらしてきました。その華々しい活躍は、裏で支える人たちがいてこそのもの。すばる望遠鏡の構想、準備段階から深く関わり、観測が始まってからも裏方として支え続けた技術者・大島紀夫さんを紹介します。

埼玉県ときがわ町の堂平天文台と大島紀夫さん
大島紀夫さんと堂平天文台(埼玉県ときがわ町)

最初の勤務地・堂平天文台の望遠鏡は国産最新鋭

――大島さんは最初、堂平(どうだいら)天文台に勤めたのですよね? 

1968年に高校を卒業し、国立天文台の職員になり、地元の堂平天文台(観測所)に配属されました。当初は夜間の大学に通いながら、天文台の仕事をしていました。
望遠鏡を正常に動かすためには、望遠鏡だけでなくドームの整備、観測装置の手入れなども不可欠で、それら全般が私の役目でした。

――堂平観測所の望遠鏡ができたのが1962年です。当時はどんな状況だったのでしょうか?

当時、日本には岡山県に一番大きな口径188㎝の反射望遠鏡があったのですが、それはイギリス製だったんです。
ところが堂平観測所の望遠鏡は日本光学工業(現「ニコン」)がつくったんです。まったくの国産です。この望遠鏡の機械系は今見てもすばらしくて、博物館級ですよ。今でも業者から「このすばらしい望遠鏡の整備に関われてうれしい」と言われるくらいです。

堂平観測所で仕事をしながら、次の新しい望遠鏡の計画にもかかわりました。それが、ハワイ観測所の「すばる望遠鏡」です。私は最初の計画の段階から、技術的なことで参加していました。会議があるときは堂平から、国立天文台本部のある三鷹や東京に出かけて行きました。

最初から決まっていたのは「世界一の望遠鏡をつくる」ということ

ハワイ島マウナケア山頂のすばる望遠鏡
日本が誇るハワイ観測所のすばる望遠鏡(国立天文台提供)

――すばる望遠鏡について教えてください。

すばる望遠鏡は日本の国立天文台がハワイ島マウナケア山頂に建設したもので、1998年12月にファーストライト(最初の試験観測)を行いました。主鏡(対物レンズ)口径8.2mの1枚鏡で天体の光をとらえる、世界一の望遠鏡です。

レンズや鏡の材質、加工精度などによって性能は異なりますが、一般に、主鏡が大きいほど多くの光を集めることができ、淡くて見えにくい天体も良く見えるようになるんです。
現在、望遠鏡はどんどん進化していますが、すばる望遠鏡は、運用が開始されてからすでに20年以上過ぎた今もなお、第一線で活躍しています。

――日本が誇る望遠鏡ですね。ところで、すばる望遠鏡が誕生するまでをお話しください。事業計画はいつごろから始まったのですか?

1970年代からですね。就職して3年目でした。
戦後の日本には、大きな望遠鏡は岡山観測所の口径188cmしかなくて、日本で望遠鏡をつくりたいという声があがっていました。

最初は望遠鏡の大きさも設置場所も決まっていませんでしたが、「世界一の望遠鏡をつくろう」ということだけは決まっていました。

――昭和40年代ですよね。時代の熱気と勢いを感じます。

観測所も、世界一観測に適したところにしようという発想でした。世界の3大観測適地といわれるのが、チリ、ハワイ、スペイン西のカナリア諸島です。そこから慎重に考えてハワイに決まりました。

実はすばる望遠鏡の主鏡に二つ候補がありました。今採用されているのは、口径8.2m、薄さ20㎝の1枚鏡です。ほかにもう一つ、ハニカム鏡といって、厚くても中をハチの巣構造にしてくり抜いて軽くするという方法もありました。
どちらが合うか検討することになり、私はハニカム鏡の担当となりました。1980年にアメリカのアリゾナ大学がハニカム鏡を口径1.8mまで成功させていたので、つくり方を学ぶためにアリゾナ大学へも行きました。

――そうしたことを、堂平観測所にいる間になさっていたのですね。

そうです。1996年から国立天文台本部の三鷹に異動になり、本格的にすばる望遠鏡の準備に没頭していきました。

全身全霊で打ち込んだすばる望遠鏡の前で、楽しそうに微笑む大島さん
全身全霊で打ち込んだすばる望遠鏡の前で、楽しそうに微笑む大島さん(国立天文台提供)

すばる望遠鏡の「1枚鏡」制作に関わる

――すばる望遠鏡といえば、思い浮かぶのは大きな1枚鏡です。どうやって制作されたのですか?

1枚鏡のもととなる薄さ20㎝、口径8.2mの薄いガラス材をアメリカでつくり、それをハワイに運び入れました。梱包(こんぽう)すると約10mになり、高速道路の幅いっぱいを使って運びました

――現地で鏡にするのですか?

そうです。
マウナケアの山頂に窯を設置し、運んできたガラス材を窯に入れて中を真空にして、アルミニウムが溶ける1200度くらいに熱し、アルミニウムを表面に蒸着(じょうちゃく。)させます。そうすると鏡になるんです。

※蒸着=高度な技術が必要とされる製品に対し、物質を蒸発させ、薄い膜にした状態で付着させる加工方法

実は、この蒸着方法は、私たちがフィラメントの製造から工夫し、これでいこうという方法がみつかるまで、三鷹で何度も実験を繰り返したものなんです。8.2mと口径が大きいため、均一に蒸着するのが難しいんですよ。

――静かな水面のように、何一つゆがみのないすばる望遠鏡の1枚鏡は画期的で、当時世界的な話題になったのをおぼえています。その蒸着を成功させるために、大島さんたちが裏で努力されていたのですね! その後はどうしたのですか?

すばる望遠鏡の本格観測が2000年から始まりました。最初は初期不良がどうしても出るので、結構故障があったんですよね。私はハワイ観測所に呼ばれ、2000年2月、50歳のときからハワイでの勤務が始まり、8年半勤めました。

――そこでどんなお仕事を?

私はデイクルーということで昼間、山頂の観測所へ行って望遠鏡が正常に動くことを確認し、夜のオペレーターに引き渡すのが仕事でした。故障があったら、常駐しているメーカーの人と協力しながら修理するのですが、場合によっては夜中までかかってしまうこともありました。
ほかに地元採用のデイクルーたちもいたので、われわれ日本人がリーダーとなって、「望遠鏡の構造はこうなっていて」と構造から業務を教え込むのも仕事の一環でした。

すばる望遠鏡の大きな成果の一つとして、系外惑星(太陽以外の恒星の周りをまわる惑星系のこと)の直接撮像を成功させたことと、最遠方銀河を発見したことが挙げられます。そのために、すばる望遠鏡で系外惑星を観測できる方法を考えて観測装置をつくったんですよね。このように目的によっていろいろな観測装置がつくられ、私たちデイクルーはそうした観測装置を望遠鏡に取り付けるだけでなく、正常に動くかどうかまでを確かめて夜の観測者に引き渡すんです。
すばる望遠鏡ってすごく大きいから、人間が観測装置を持って行って「よいしょ」と設置するわけにはいかないので、基本的にはロボットを使って自動で行うんです。

――えっ、そうなんですか!

そうですよ。
でもね、最初のガイドピンが入るところは人間の目で確認しながらなんです。時には空中で作業することもあるので命綱をつけてやるんです。20m下の1枚鏡まで何もないんですよ。

――まさに命綱が必要な作業ですね。そういう裏方のがんばりもあったのですね。

空中での作業のため、命綱をつけて遂行する大島さん。20m下まで何もありません
空中での作業のため、命綱をつけて遂行する大島さん。20m下まで何もありません(国立天文台提供)

忘れられない星空

――今も心に残っていることはありますか?

ハワイ観測所のあるマウナケア山は高さ4200mなので、ほぼみなさんが高山病になるんですよ。

――富士山より高いんですね。

頭が痛いのはしょっちゅうだし、酸素が平地の60%くらいしかないので頭を働かせるのが難しくて、山頂ではプログラムを組んだり力仕事をしたりしないようにと言われるくらいなんです。

ある日、困難な作業があり、メーカーの技術者と一緒に修理していたんですが、私は高山病にかかってしまったんです。夕方になっても頭が痛くてしょうがなくて、「悪いけど休ませてもらうよ」と言ってソファにひっくり返っていたんです。
夜までかかってなんとか修理が終わり、ほっとして、帰ろうと荷物を抱えて玄関をヨタヨタ出ました。車に乗るんで空を見たら、その夜は、すっごくよく晴れていて、もちろん前にも見たことあるんだけど、改めて「うわぁ、すごい星だ~」と、頭が痛いのも忘れて空を見るということがありました。それくらい星がたくさん見えたんです。

――見慣れた光景なのに、そのときはひときわ美しく感じたのですね。

早く帰りたいと思っていたのに、出たらすっごい星空だったから、ただただ見上げていました。頭が痛いことも忘れさせるくらい美しい星空だったんです。

無数の星がきらめくマウナケア山頂の夜空
大島さんが感動したのはこんな星空だったのでしょうか(国立天文台提供)

――宇宙と一体となったような感覚だったのかもしれませんね……。ところで、毎回車で山頂まで通っていたのですね? 普段の生活は山のふもとで? 

そうです。生活していたのは海のそばの町だから、海抜0mから4000mまであがっていたことになります。
最初のころはバタバタですよ。毎日のように山頂の観測所へのぼっていましたが。故障があったり、あれやってくれと頼まれたり、定時には終わらない。

――そうおっしゃりながら、楽しそうです。

大変だったけど、ハワイでの毎日は楽しかったですよ。
マウナケアの山頂は雲の上なので、よく晴れるんですよ。ところが帰ろうと下りてくると、雲の中に突っ込んで行くんです。雨がザーザー降っていることもシトシト降っていることもありました。
町は早く店が閉まるので食べるところがなくて、自分の部屋に帰って、あるものを食べてビール飲んで寝ちゃう。そういう生活をしていましたね、

ハワイに来て間もなく、仲間と、ホノルルマラソンに挑戦しようということになりました。
前から少しは走っていたから4時間くらいでいけるかなと思ったけど、結果は4時間17分かかったんです。「くやしい」と思って、それでハマっちゃいました。50代の10年間でフルマラソンは45回走りましたね。
おかげで59歳のときに3時間18分。約1時間縮めたんです。そのころは月間300㎞を目標に練習で走っていました。といっても1日10㎞です。ゆっくりジョギングで1時間くらいかな。自宅に帰るたび、娘に「まっくろ」と言われていました(笑)。

天体を楽しもう

――秋になると、星がきれいに見えるようになりますよね。

そうですね。まず空気が澄んでくる。夏の間は湿度が高い。ということは水蒸気がいっぱいあるんですよ。それがなくなるから澄んでくるんです。

――大島さんは「子どもたちに星空に親しんでもらいたい」と星の話をしたりしていますよね。

はい。子どもたちに星の話をして、望遠鏡で星を見せてあげるんです。
たとえば土星を見せると「これ、本物ですか?」と、よく聞かれるので、「本物ですよ」と答えるんです。

――うれしそうですね。

星へ望遠鏡を向けて実際に生で見るのは、プラネタリウムとはまた違うと思うんです。自分の目で見て、星の美しさや色の違いなどを感じてもらいたいですね。
秋は木星や土星がよく見えるときです。チカチカと光がまたたかないのが惑星です。今年(2022年)11月8日には皆既月食もありますね。ぜひ夜空をながめて楽しんでください。

2022年11月8日皆既月食の「月食中の月の位置(東京の星空)」
11月8日皆既月食の「月食中の月の位置(東京)」 国立天文台提供 

取材を終えて

大島さんは退官した今、子どもたちに宇宙のおもしろさを伝える一方、中学校などから経験談を生徒たちに話してほしいという依頼を受けるそうです。
「折々に私の人生のターニングポイントはここだったよというのを付け加えながら話します。すばる望遠鏡に携わらなければ、私はここ(堂平天文台)で一生を終えたかもしれないし、別の仕事についていたかもしれません」 

地元の天文台に勤めていた若き技術者が、世界一の望遠鏡をつくるプロジェクトメンバーの一員となり、日本が世界に誇るすばる望遠鏡誕生の一翼を担った――。大島さんは数奇な人生を歩んでこられた方だと思います。 

数奇な人生といえば、堂平天文台もそうでしょう。当時日本で最新鋭の国産望遠鏡をそなえ、一時は日本の天体観測をリード。多くの研究者が観測に来ていたそうです。
その堂平天文台は、すばる望遠鏡が本格観測を始めた2000年、ひっそりと幕を閉じました。
そして今は「堂平天文台・星と緑の創造センター」として生まれ変わり、天文台のあるキャンプ場として人々を癒やしています。 

取材日:2022年9月17日
綿貫和美