移住して新しい仕事を始めるのは、不安なもの。でも、事前準備をしっかりしておいたり、状況に合わせて柔軟に対応したりすると、落ち着いて仕事に取り組むことができ、良い方向に向かうきっかけになるようです。
「ときがわブルワリー」は、2012年に開設された清涼飲料水の製造工場。“ブルワリー”はビール醸造所の意味ですが、こちらではユズをはじめとする地域産の果実や野菜を使ったジュース、コーラなどを手掛けています。現在、自社製品の製造・販売のほか、飲料メーカーや地域の農家などからの委託製造も行い、高い評価を受けています。
オーナーは、埼玉県東松山市からときがわ町に移住した小堀利郎さん。移住のきっかけや事業成功のポイントなどを伺いました。
経済基盤を整えたうえで新しい仕事を開始
小堀さんは、大学で化学を専攻。卒業後は、食品会社や廃棄物コンサルティング会社などに勤務しました。ときがわ町に家族と共に移住したのは、2010年、30歳のときです。「もともと、化学の知識を使ってビール造りをするために移住しました。ときがわ町は、水がきれいですし、全区域にわたって住居・商業・工業といった用途地域が定められていないのが良かったですね」とこの町を選んだ理由を話します。
また移住と同時に、小堀さんは前職の経験を生かして廃棄物コンサルティング会社を設立。そこで生活の支えを確保できていたため、ビール造りという新しいチャレンジにも不安はなかったようです。
小堀さんはビール造りを始めるに当たり、町役場に相談。その後、試飲会を開くなどして自身の事業を具体的に紹介すると、多くの賛同が得られ、間もなく工場を建てるための土地を借りることができたそうです。「移住当初から地域の人にはお世話になっていますね。歓迎会を開いてくれたり、空いている土地を探してくれたり。応援してくださる方が今もたくさんいらっしゃいます」
ビールからジュースへ。良いと思ったほうへ方向転換
工場完成後、小堀さんはビールに使えそうな素材を地域の人から集めることから始めました。「一番多く集まったのがユズでした。でも、ビールには香りづけ程度にしか使いませんから、ジュースを作ることにしたんです。輸入した大麦でビールを製造して観光客に販売するより、地域産の素材で地域の人が飲むものを作ったほうがいいなと思いました」と方向転換のきっかけを話します。
この決断が成功へとつながります。ユズとハチミツを使った飲料「柚子の贅沢」を開発し、1日200~300本製造して自ら手売りしたところ、連日完売に。そのうち、町内外の農産物直売所、雑貨店、美容室、アパレルショップなどさまざまな店が商品を取り扱ってくれるようになり、「あれよあれよという間に」販売エリアが拡大していきました。
「決め打ちしたり、こだわったりするのではなく、良いと思うほうに柔軟に変えていくことが大事かな。時代も変わっていきますからね。僕はビールにこだわらなかったのが、まず良かったと思っています」
地域貢献につながった規格外ユズの使用
同工場で使用しているユズは、年間約50t。実に問題はないものの、皮が黒ずんでいたり、小さかったりして、そのままでは売りにくいユズを農家から買い取っています。それまで、見た目が良くないからと捨てられていたユズを小堀さんが農家側に立って、適正価格で買い始めたことで規格外ユズの価値が上がり、買い取り金額も上がっていったといいます。「農家さんに感謝されますが、僕も感謝しているのでお互い様です」と小堀さん。
ユズは、毛呂山町、ときがわ町、越生町などから仕入れています。「主に使っている毛呂山町のユズは、特に香りが良いです。大学できちんと調べてもらったら、香りの強さが他産地のユズに比べ、約4倍だということが分かりました。その点でも差別化できていると思います」と強みを話します。
今後は、直営の販売店を開くことを考えているという小堀さん。「今、場所を探していますが、絶対にやりたいという感じではないんです。その辺りも柔軟ですね(笑)」
取材を終えて
一つのことにこだわり過ぎると、自分で自分を縛り付けてしまう可能性もあります。小堀さんの“こだわりの無さ”は、生きやすさのヒントになると感じました。アルコール飲料を扱っていないのに「ブルワリー」の名を残したのも特に理由はなく、とりあえずそのままにしているだけとのこと。そのため、時折、ビールやワインを求めて訪ねてくる人がいるそうです。
取材日:2022年12月13日
矢崎真弓